
「日本学術会議という団体知っていますか?10月1日、つまり今日から、国の特別機関から特殊法人になるのです」

「何がどう変わるのですか?」

「ナショナル・アカデミー(国を代表する公式な学術団体)という位置付けは変わっていません」

「にも関わらず、なぜ特殊法人化されたのですか」

「政府側と学術会議、考え方の隔たりが、かなりあったのです。しかも、容易に埋まるような状況ではありませんでした」

「軍事研究をめぐって対立したという話は聞いたことがあります」

「何をもって軍事研究と判断するかは、難しい問題があります」

「毒ガスとか、原子爆弾とか、用途が限られているものは分かりますけどね」

「ドローン技術による兵器が使われています。だからと言ってドローンそのものの開発研究を止めさせる訳にはいかないと思います」

「政治的な判断が必要な問題ですね」

「それを学術団体が行って良いのかというという問題があったのです」

「ここからが本論です ↓ 表紙は「Utube」からのものです」
なぜ日本学術会議は法人化されることになったのか
9月28日に『日経』は「学術会議は地球課題に針路示す重責担え」という題名の社説を掲載しました。その中で、学術会議に対して、「AIのリスクや気候変動、感染症、人道危機といった地球規模の課題」に向き合って欲しいとのメッセージを送っています。餞(はなむけ)の言葉という意味合いが強いと思います。
何故、組織替えをしたのでしょうか。政府側と学術会議、完全に考え方が違っており、接点が見いだせなかったためだと思われます。学術会議側は、科学的知見に基づいて政策を検証・提言することを重視しているのに対し、政府側は、国や社会が直面する重要課題について、科学的知見を提供する役割を期待しています。特に見解が分かれるのが、「軍事研究」・「軍事技術」です。民生品でも武器に転用できるので、何をもって軍事研究・軍事技術とするかは定義できないと政府側が考えているのに対して、研究機関ごとの技術的・倫理的審査をした上で軍事利用の恐れがあるものに対しては明確に反対すべきだし、研究すべきではないと言ってきました。
そして、もう一つの論点が産業界とのタイアップです。ヨーロッパの王室アカデミーも含めて、欧米のナショナル・アカデミーは、産業界とのタイアップをさかんに行っています。『日経』も政府の補助金だけでは足りないので、「民間から資金を募る必要がある」(同上)と言います。科学者と産業界が協力をして、イノベーションを起こすことによって経済を活性化して欲しいと思うのですが、それは「産業界等に従属する機関に変質させられ、独立したナショナル・アカデミーとして活動することは不可能となる」行為だと言っています(日本科学者会議幹事会「日本学術会議の解体を意図した『日本学術会議法案』の廃案を求める声明」2025.3.15)。要するに、見解がまったく対立してしまって、接点が殆どない状態だったのです。

(「沖縄」タイムス+プラス)
ナショナル・アカデミーに求められる科学と産業の橋渡し
世界のアカデミーは産業界との連携を極めて重視しています。それはある意味、当たり前だと思います。ナショナル・アカデミーは、学会のような純粋な学問団体ではなく、幅広い学問分野を横断しながら、科学的知見を社会や政策につなげる役割を担う組織だからです。産業・イノベーションとの連携も、その重要な機能の一つです。もちろん、国家の監視団体でもありません。例えば、全米科学アカデミーや英国王立協会(ロイヤル・ソサエティ)などでは、大学と産業界との人材交流や共同研究を制度的に推進しており、科学的知見を社会実装へ結び付けることを重要な使命の一つとしています。
経済発展するためには、イノベーションを起こす必要があります。日本は1990年代以降、長きにわたって経済が停滞しています。俗に言う「失われた30年」です。日本企業はイノベーションを起こせなくなったと言われています。その理由は、「シュンペーターの理論とは正反対のことをやり続けたからです」(中野剛志『入門シュンペーター』PHP新書)。イノベーションとは、「既存の仕組みや考え方に新しいアイディアや技術を組み合わせて新たな価値を生みだすこと」です。例えば、自動車と人を乗せて料金を取るというアイディアが結合すれば、タクシーという商売が成立します。それを会社組織で運営すれば、経済は活性化します。このように何かと何かを「結合」して、新しい価値を生みだすことをイノベーションと言います。
イノベーションは、単に新技術の発明を意味するだけではありません。大学の「知」と企業の「現場」を結び付けること自体が、シュンペーターのいう「新結合」の一つです。そのため、別に大学の教員でなくても、そのようなアイディアを出すことができると思います。企業関係者は現場にいて、社会が何を求めているかを熟知しています。だから、海外のアカデミーには、そういった人たちが会員として名を連ねているのです。
それに対して、日本学術会議の会員の殆どが大学の研究者です。これまでの日本学術会議(定員210人)における民間企業出身者の割合は、現行の会員名簿を見ても、大学・公的研究機関に所属する研究者が圧倒的多数を占めています。会員の大半は、国立大学・公立大学・有名私立大学の教授や名誉教授、あるいは国公立の研究所に所属する研究者で占められていました。彼らの問題意識は学問的な真理探究にあると思います。ナショナル・アカデミーが目指す方向とは、違っていたのではないでしょうか。

(「One人事」)
新しい日本学術会議をどうつくるか
日本にはノーベル賞受賞者など、世界的な業績を挙げた科学者が数多くいます。そうした科学者を、通常の会員選考とは別に「特別会員」「名誉フェロー」などの形で組織的に参画してもらう制度を設けてはどうでしょうか。今まで会員になっていないということについて、様々な理由があるかもしれませんが、無条件で別枠扱いで会員にすべきだと思います。ノーベル賞受賞者がずらりと名を連ねる組織になれば、「日本を代表する最高峰の頭脳集団」としてのブランド力が外から一目で伝わり、年間10億円の予算に対しても国民の納得感が得られやすくなります。彼らには、都合の良いところで参加してもらい、時にはアドバイスを受けるという立場で処遇したらどうかと思います。
今回の法人化では、会員選考にも外部の視点を取り入れる仕組みが導入されます。法人発足時の新会員についても、大学・研究機関・学会だけでなく、経済団体その他の民間団体などから広く推薦を受ける方式が採られています。「選定助言委員会」が新設されます。会員を選ぶ際、学術会議のメンバーだけでなく、経済界や有識者など外部の有識者を含めた第三者委員会(選定助言委員会)が設置されます。ただ、仮にそういった委員会を設置しても、全体を見渡しての人選が出来るとは限りません。むしろ、あらかじめ主要な数十の主要学会連合のトップに指定席(充て職)を枠(ポスト)として割り振ってしまい、6年の任期を学会の会長などトップの人間が2年ごとに交代していくというシステムはいかがでしょうか。つまり、一つの任期を3人で分割するのです。
ドッグイヤーと言われている現代、一人の人間が6年間も同じポジションを占め続けることは、学術界の急速なパラダイムシフト(構造転換)から取り残されるリスクを生みます。何か新しいものを生み出すのではなく、組み合わせと対策を考える仕事なので2年で充分だと思います。「2年で一つの成果(形)を出す」という明確な締め切り(デッドライン)を設けることは、組織の生産性を高めると思われます(「締め切り効果」)。
「基礎研究の深さ」を持つ大学教員と、「社会実装のスピード」を持つ企業人が同じテーブル(あるいはオープンなオンラインスペース)で議論することで、大学側は「現場の生きた課題」に気づかされ、企業側は「長期的な科学の知見」を得ることが期待できます。新しい日本学術会議に最も必要なのは、「誰が選ばれたか」以上に「そこで何が議論されているか」を国民から見えるようにすることではないでしょうか。会議をオンラインで国民に公開することを勧めます。それを配信すれば、大学教授と企業人がどんな熱量で、あるいはどれほど危機感を持って議論しているかが一目で分かるからです。
議論のプロセスがガラス張りになれば、会員が内輪の理屈でサボることも、政府が裏で不当な圧力をかける(容喙する)ことも不可能になります。オープンであること自体が、最大のガバナンス(統治)機能として働くでしょう。現会員の不安も多少解消されるのではないでしょうか。
学問の自由と社会からの要請は、本来、二者択一の関係ではありません。政府から独立してものを言えることと、産業界や社会と積極的に協力することは両立できます。必要なのは、どちらか一方から距離を置くことではなく、政府、大学、企業、国民のすべてに対して開かれた組織をつくることではないでしょうか。

(「Chatwork」)
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