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戦後史を検証する (1) ―— アメリカが悪夢を連想した時代 /「アメリカ人の日本人観と中国人観はシーソーのような関係にある」 

  • 2024年3月7日
  • 2024年3月9日
  • 歴史
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女性

「前回のブログで「思い込みが激しい民族」という表現がありました。あれは客観的に正しいのですか?」

「農耕民族の特徴でもあり、欠点だと思っています。永年にわたる農耕や漁業を基本とした定住生活の中で俯瞰的思考ができにくい体質になっています。どうしても近視眼的に考えるクセがあります」

女性

「要するに、偏った見方になりがちということですね」

「そうですね。そして、一度偏ると、なかなか自己修正が出来にくい面があります。かつての為政者はそういう日本人の弱点を見抜いて、海外との付き合いを抑えようとしたのではないかと思っています」

女性

「そういう説は初めて聞きました」

「私が一人で言っているだけです。菅原道真の遣唐使廃止の建白書、江戸幕府の鎖国政策、正確には「貿易相手国の制限政策」は、日本の状況を踏まえた措置だったと思っています」

女性

「明治の文明開化で日本はあっという間に洋風化しましたよね。要するに、あれを恐れたのですね」

「簡単に言えば、「外」から来たものに流されてしまうのです。特殊詐欺の被害が全く減らないでしょ。理屈は同じですよ」

女性

「相手の話に流されてしまうということですね。だけど、高齢者だからというのがあるのではないでしょうか」

「たまたま彼らがターゲットにしているのが高齢者なのでそうなっていますが、若い方たちも同じような手口で引っ掛かると思っています」

女性

「日本人の持っている民族的弱点を衝いた犯罪なんですね」

「実はそうなんです。ここからが本論です ↓ 表紙写真は「Adobe Stock」提供です」

 戦後最大の思い込み――平和国家として認められた

戦後の思い込みの一つは、国連に加盟したことによって、平和国家として認められたと考えたことです。日本の国連加盟が異常に早いことは、ドイツと比較すれば分かります。

ドイツは戦後、東と西に分割されましたが、1973年に国連に同時加盟が認められます。日本が国連加盟したのは1956年ですから、その差は17年です。しかも日本は、三国同盟の中で最後まで頑強に抵抗した国です。ドイツから言わせれば、こちらは分割された上に、何で日本よりこんなに遅いのかと言いたいでしょう。

日本が国際社会に早く復帰できたのは、急速に変化した極東情勢の流れの中でアメリカが対日政策を変えたためです。平和国家への歩みを始めたからと思い込んでいる人が結構いるかもしれまん。それは大いなる勘違いです。「9条神話」は、そんなところから生まれたと思っています。


(国連本部で日の丸を掲揚する/「国連広報センター」提供)

 アメリカが悪夢を連想した時代

日本の高度経済成長が1955年から1973年まで、実に足掛け19年間続きます。平均成長率が10%という驚異の伸び率だったのです。1968年には、世界第二位の経済大国になります。敗戦国で国土が焦土と化した国が、その1/4世紀後に世界の経済大国として蘇ったのです。その勢いで、アメリカ経済を抜いてしまうのではないかと言われたものです。1970年代には『ジャパン イズ ナンバーワン』という本がアメリカで出版されます。やがて日米貿易摩擦という言葉が生まれ、日本叩きが始まります。

1980年代の半ばには、アメリカの自動車産業の労働者が日本車をハンマーで叩き壊すパフォーマンスがテレビで放映されました。円安という為替環境もあり、日本から大量に自動車がアメリカに輸出され、アメリカの車が売れなくなっていることの苛立ちを表したパフォーマンスだったのです。

アメリカという国は、常にナンバーワンでいたいという願望を持った国です。ちなみにトランプはそういったアメリカ人の潜在意識に訴えて選挙戦を戦っている人です。それはさておき、パールハーバーは軍事面の悪夢でした。今度は経済の悪夢を日本に見せられることになるのかと思ったでしょう。1度あることは2度あるかもしれない。アメリカの目が中国に向き始めます。そういう日米関係の中で、米中接近を捉える必要があるのです。

(「就活ニュースペーパーあさがくナビ」)

 

 「アメリカ人の日本人観と中国人観はシーソーのような関係にある」(中村正則)

戦後史を専門とする中村正則氏によると「アメリカ人の日本観は中国観の関数であり、一方への好意的評価が他方に対する反感・憎悪と結びついていた」(『現代史を学ぶ』吉川弘文館、1997)と言います。アメリカ人からすれば、日本人も中国人も同じように見えると思います。我々がアメリカ人とカナダ人、あるいはメキシコ人の違いが分からないのと同じです。

彼らは功利主義的に判断をしているだけです。自分たちに必要な国と手を結ぶ、敵対すれば攻撃する。ただ、それだけだと思います。そう考えれば、ニクソンが毛沢東と突然握手をして米中間交渉をスタートさせた行動を理解できます。その後、交渉を重ね、1979年、中国の鄧小平政権の時代に米中国交正常化を実現させます。

そういった交渉について日本には事前に何の相談もなかったことを訝(いぶか)る向きもありますが、無くて当たり前です。アメリカはその時点では、日本よりも中国を選択したのです。そして、日本ではアメリカの行動を冷戦を有利に運ぶため、陣営に中国を引き入れる必要があったとの説明が主流でしたが、実はそうではなかったのです。切り捨てられていただけです。それが何故分からなかったのか。アメリカは常に日本の味方であるとの思い込みが、見る目を曇らせていたのです。

(「jugyo-jh.com」)

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