
「「『高学歴親』という病」(講談社新書、2023)という題名の本を買って読んだのですが、今回話題にしたいと思います」

「どういう方が書いておられるのですか?」

「ノーベル賞を受賞した山中伸弥氏と親交がある成田奈緒子という女性の脳科学者が書いています」

「難しそうですね」

「肩書を聞くからそう思うだけで、実例も多く入っていて、極めて分かり易い文章です。あなたも「高学歴親」の部類なので、一応読んでおいた方が良いと思って、持ってきました」

「高学歴の親御さんが特に陥りやすいのは、何だと言っているのですか?」

「三大リスクは「干渉、矛盾、溺愛」」

「私には全部当てはまらないと思います。干渉しても撥ね返されるだけなので、最近は本人に任せています」

「干渉するほど関わらないので、矛盾、溺愛もないということですね。お子さんは中学受験をするのですか?」

「それも本人次第だと思っています。特に私はこだわっていません」

「成る程、自然体なんですね。ここからが本論です ↓表紙は「日経クロステック」提供です」
偏差値という「一つの物差し」が生む閉塞
「高学歴な親御さんほど、意外と孤独で視野が狭くなりがち」と、成田氏は指摘しています。自分の学歴を肯定すると同時に、できれば子どもにも同じ道を歩んで欲しいと願うのでしょう。しかし、目標が一つになると、どうしてもそれを絶対視しがちなので、周りが見えなくなる危険性が出てきます。それを子どもが素直に受け止めてくれれば良いのでしょうが、必ずしもそういう場合だけとは限りません。様々な悲劇が起きています。
2008年6月8日、東京・秋葉原で無差別殺傷事件が起きました。歩行者天国に男がトラックで突っ込み、歩行者をはね飛ばしたうえ、ナイフで次々と人を刺し、7人が死亡しました。犯人の加藤智大容疑者は中学校時代は常にトップ10に入る成績優秀者で、進学校の青森高校を2001年3月に卒業しています。
同級生の大半が大学に進学する中、自動車に興味を持つ中で岐阜県にある自動車整備の短大に進学します。しかし途中から「整備士ではなく弘前に戻って教師になりたい」と言い始めます。ところが短大から四大への編入がかなわず、中途半端なまま卒業し、定職に就けずにブラブラすることになります。
どのような家庭で育てられたのか。彼の弟が自殺をする前に250枚にわたる「記録」を残しています。それによると、「小学校時代から友人を家に呼ぶことは禁じられていた」、「テレビで見られるのは『ドラえもん』と『まんが日本昔ばなし』だけ」、「作文や読書感想文は母親が検閲して教師受けする内容を無理やり書かされた」、「兄は廊下の新聞紙にばらまいた食事を食べさせられていた」とあります。この告白は当時、大きな反響を呼びました。加藤自身も母親からの影響を、著書『解』の中でこう分析しています――「(母親は)自分が絶対的に正しいと考えている人でした。母親の価値観が全ての基準です。その基準を外れると母親から怒られるわけですが、それに対して説明することは許されませんでした」。
子どもの個性を発見して育てるのではなく、自分の価値観を子どもに刷り込むことをしていたようです。結局、彼はアイデンティティを確立することができず、最後は自暴自棄になって凶行に走ります。最終的に加藤智大は死刑囚になりますが(2022年執行)、彼は「加害者」でもあり、「歪んだ教育環境の被害者」でもあったのです。

(「YouTube」)
教育虐待が家庭を壊す時代
こちらのケースは裁判が現在進行形のものです。被告人は小学生の頃から悪い成績を取ると、父親から正座をさせられ、長時間叱責をされるといった教育虐待を繰り返し受けていたようです。念願の国立大学(九州大学)に合格したものの、それは本人にとっての目標ではなく、父親の目標だったのです。自分のために厳しく指導してくれていることが分かれば、それはやがて感謝の気持ちになったでしょうが、そうではなかったのです。自分の人生を生きている感覚を持てなかった時、心の中に強い怒りと殺意が芽生えてしまったのでしょう。
大学に入学したものの、アイデンティティが形成されていないため、大学の講義を受けても身が入らなかったと思います。本来なら、自分の将来の進路を見据えた上で、学部を含めた進学先を考えますが、そういった視点自体が欠落していたようです。今度は大学での成績が悪いということで、1、2時間正座をさせられた上で強く叱責され、そこで殺害を決意したようです。その4日後の昼に自宅にいた父親を殺害し、止めに入った母親をも手にかけるという悲劇へと発展します。
新聞やその他のメディアは量刑や犯行時の年齢(19歳)などについて専ら話題にしていますが、教育問題として扱わなければ、同じような悲劇が繰り返される可能性があります。被告人に対して、どのような教育虐待が行われたのかということですが、日本では死者の「悪口」は言うものではないという感覚が強いので殆ど報道されませんが、被告人は加害者でもあり、被害者でもあるので、その背景を社会全体で直視する必要があります。
「人間として下の下」、「失敗作」などの暴言、ほおの平手打ちや、わき腹を蹴ったりなどの暴力、さらには読む本も指定され、将来の夢も否定されていたとのことです。その兄の様子を傍らで見ていた妹が「兄は心優しく、私を可愛がってくれた」と証言しています。その姿こそ、本来の人格だったのでしょう。父親の偏った価値観と過剰な思い込みが、家庭そのものを崩壊させてしまったのです。

(「朝日新聞」)
AI時代に問われる「教育観」の転換
2つの事件を紹介しましたが、刑事事件になった瞬間に教育問題から切り離されてしまうようなところがありますが、これらは現代の偏差値教育が生み出した悲劇です。同じような問題を抱えた家庭は数多く存在しているはずです。表面化していないだけで、同じような問題を抱えた家庭は数多く存在しているはずです。そのような問題意識を持つ必要があります。
とにかく現在の教育は、学校と家庭に責任を押し込み過ぎています。今回のケースはその責任を家庭で全部背負い込もうとした結果起きた悲劇です。親の過剰な自信や焦りが、結果的に子どもの成長を歪めてしまったのです。そして、このような家庭ほど、地域との繋がりや親戚づきあいを軽視し、狭い世界に閉じこもる傾向があります。
本来、子どもは地域共同体全体で育てる存在でした。「一人の子どもを育てるのに一つの村がいる」というアフリカの古い諺があります。子育ては家族だけで行うものではなく、地域全体(村全体)の支えや知恵が必要であるという意味で、子どもの教育や成長には周囲の協力が不可欠だという教えです。地域行事、異年齢交流、自然体験、地域ボランティアなどの活動との関わりの中で人は成長していくものなので、学校の成績だけでは、人間の価値は測れません。
人間は、多くの可能性を秘めた極めて精密な「装置」です。人間の身体は、約60兆もの細胞で形づくられています。そして、その細胞の中には、約2万数千個もの遺伝子がセットになって組み込まれています。そして遺伝子工学者の村上和雄氏は、「遺伝子は環境によって大きく変化する」と言い、「遺伝子にはオン、オフのスイッチがあり、それをオンにする生き方が重要」(『スイッチ・オンの生き方』致知出版社、2009)と述べています。
どうすれば、オンになるのか。アイデンティティを確立することです。自分の特性・個性に合った進路を見つけることです。輝き方は人それぞれによって違いますが、それは比較をして論じることではありません。白い光、幻想的な光、赤色の光など、様々な光が輝く社会を目指すことが大事です。偏差値という一色の光で社会が発展できる時代は、すでに終わりつつあります。AIが急速に発達する時代だからこそ、多様な個性が共存し、それぞれの能力が生かされる社会へと転換していかなければならないのです。考え方の転換を早急に図る時代です。

(「致知出版社」)
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