「前回のブログで、最後の方でスピーキング力はいらないというお話でした。何となく肩の力が抜けた感じになりました」
「良い方向で抜けたのでしょ。何とかしなければみたいな感じでしたものね」
「配点を調べてみたのですね。5科目1000点満点中、20点が配点だそうです」
「全体の2%ですか。だったら、一切勉強しなくて大丈夫です。ジャパニーズ・イングリッシュ、母音丸出しの英語で勝負すれば良いと思います」
「まあ、確かに苦労する割には配点が低いので、努力する子にとっては苦労が余り報われないだろうなと思いました」
「実施する側も、本当に必要だと言うならば、スピーキングが抜群に上手い子は100点をあげてしまえば良いと思います」
「200点満点の100点ですか? あと、筆記で100点とれば満点ですよ」
「それで良いと思います。ただ、あくまでもかなり優秀な生徒だけですよ。少し上手い程度ならば、17から18点で良いでしょ。差をつけるということです。そうすると、周りに対してのメッセージにもなります」
「確かに、どんなに優れたスピーキングをしても20点ですから、少し上手い子との差がほとんどつかないと思います」
「本当にその能力をもっている人材が必要ならば別枠で育成する、現在はそこまでという訳ではないが近い将来そうなる可能性が高ければ配点を増やす、場合によっては特例を認める、ということだと思います」
「単純に組み入れただけでは、生徒の負担が増えるだけですものね」
「そうですね。人間はAIロボットではありませんので、何でも「てんこ盛り」にして与えればそれで良いという発想から抜け出る必要があります」
「やっぱり、レディネスという点で問題ですか?」
「レディネスにおいても、アイデンティティの観点から、さらには時代の要請という観点からも関係者はどういう入試にするか、カリキュラムも含めて絶えず検証して欲しいと思っています」
「ここからが本論です ↓表題画像は「アイデンティティ確立診断度テスト」提供です」
アイデンティティの確立――友人が鏡、親は鏡になれない
前回に引き続いて、今日もアイデンティティという観点から今の学校教育を概観してみたいと思います。
アイデンティティの確立のためには、親しい友人がどうしても必要と書きました。その理由は、友達が鏡になって自分の姿を写してくれることが大いに期待できるからです。こう書くと、親も鏡の役割を果たせるのではないか、と思う人がいるかもしれません。親は我が子に対して余りにも近いところにポジションを取っているため、自分の子供がよく見えないので不適格な場合が多いのです。
実際にモノを見る時、ある程度距離を話して見ます。眼球に付くか付かないかの距離にモノを置いても、よく見えません。例えて言えば、そういうことです。よく見ようとして、我が子に近寄り過ぎてしまうきらいがあります。特に、女性の親は男性よりそれが強い傾向となります。自分の血を分けた子供という意識があるためだと思います。
(「公認心理士監修、ダイコミュ相談室」)
アイデンティティ確立期の準備段階―― 幼児、小学生の段階
人間は何の予告もされることなく、この世に放り出されます。気が付いた時は、性別も名前、さらには国籍や家庭環境までセットされてしまっています。
乳幼児期は何らそのことに疑問を持たずに過ごしますが、青年期になると、そのことに対して自問自答し始めます。私は一体何者なのか、私は何をしに生まれてきたのか、ということを誰もが1回は考えるようになります。その時に、それを考える手掛かりが全くない場合は、人は悩み始めます。酷い場合は、精神的に病んだり、場合によっては死を考えたりすることもあります。
小学生の段階は、幼児期の延長という考え方ではなく、思春期のアイデンティティ確立期の準備段階と考える必要があります。その準備段階で何をすれば良いのか。必要なのは、自分の立ち位置についての情報です。立ち位置は地理的立ち位置と歴史的な立ち位置があります。
前者は、場合によっては宇宙の中の地球という話をしてあげれば良いと思います。世界の中の日本、日本の中のどこに住んでいるのか、そして自分の周りの自然環境ならびに社会環境の情報が必要です。後者は、この日本がどういう歴史を辿って今の時代まで来たのかということを知ることです。
さらに、社会が現実にどのように動いているかを知る必要があります。政治のことや経済のこと、それにからめて法や道徳、お金の流れなどを学ぶ必要があります。これらは、主に社会科のカリキュラムとして扱われていますが、これらを知れば一応各自の中に地理的な横軸と歴史的な縦軸が形成され、後は自分の将来を含めての立ち位置をその座標軸の中に当てはめるという作業を思春期の間に行うことになります。
(「bouteX」)
アイデンティティ確立期の準備段階―― 距離的な感覚と時間的感覚が重要
これらの座標軸を子供達一人ひとりがきちんと自分の中に形成する必要があります。そのためには、観念的な知識だけでは駄目です。現実的な感覚を伴ったものにしてあげる必要があります。地理的な感覚というのは、生活経験の中で身に付きます。方角とか距離感覚、建物の高さ、大きさなどです。幼い子供を持っている親御さんは、意識して会話の中に入れてあげるとそういった感覚を持つようになります。
長さの感覚は、身長や歩いた距離、走る距離などの情報を入れて上げれば、自分の中に実体験と共にインプットされていきます。1キロが1000mということを機械的に教える時に、1キロそのものを実際に歩いて体感をすることが出来ます。そこまで位は、小学校の低学年までに何回か実感させることができればと思います。
難しいのが時間の感覚です。最初は「お風呂にあと5分入る」とか「お遊びは、30分だけ」という会話を意識的にして、時間感覚を養うことが大事です。これがやがては時代の長さを実感する力となっていくからです。要するに、初めの一歩ということです。初めの一歩は、幼児期に各ご家庭で踏み固めて欲しいと思います。
それと同時に時代に興味を持たせるような読み物を与えます。「昔々あるところに……」で始まるお話が良いと思います。昔という概念が感覚的にわかり始めれた頃に一番良い教材が神話です。ギリシア神話でも、古事記神話でも良いと思います。神話は非科学的と言って目くじらを立てる学者がいますが、そんなことを言ったらアニメやキャラクターグッズは駄目となります。あくまでも、歴史を学ぶツール的な役割を果たしてもらう意図がそこにはあります。
大事なことは、子供たちが興味をもって吸収しようとするかどうか、そこだけを注意する必要があります。科学、非科学という大人社会のモノサシを子供の教育に持ち込む必要はありません。
(「You Tube」)
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