
「クマ問題の背後には、いろんな問題があることが分かりました」

「クマはオオカミと並んで、頂点捕食者なので、森全体の生態系のバランスが自然にコントロールされる上でカギを握る動物なのです」

「単純に駆除すれば良いという問題ではないということですね」

「昨日、内閣改造が発表され、「クマ被害対策担当大臣」というポストが新設されました」

「被害対策というネーミングからすると、森の再生という視点はないでしょうね」

「クマが森から出てくるのは、彼らなりの事情があるのです。「被害」ではなく「クマ問題対策」とすべきでしょうね。その原因を突き止めて、地域ごとに対策を立てる必要があります」

「全国一律の対策になれば、駆除ということに重きが置かれることになるでしょうね」

「このままだと、ニホンオオカミと同じ道を辿ってしまうことになるかもしれないと思っています。そうならないためにも、人間側で緩衝帯となるような「里山」を維持管理するシステムを早急につくる必要があるのです」

「「里山」が戦後になって急速に衰退していくのですが、その原因は、過疎化ということですか」

「それも含めて様々な要因がありますが、法的な枠組みが整備されていません。その辺りについて、今回はお話をしたいと思います」

「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「Yahoo!ニュース-Yahoo!JAPAN」提供です」
「クマ問題」の根にある里山の喪失
「クマ被害対策担当大臣」。政府がクマ被害を重要な政策課題として位置づけたこと自体は理解できます。しかし、問題が起きるたびに、その現象への対応だけが前面に出れば、政策は対症療法に陥ります。日本の近現代の政治は、ほとんどこの手法が取られてきました。このブログでこの間発信してきたように、里山再生によって森の再生、ひいてはクマも含めて野生動物の保護をはかる、という観点がなければ、根本的な解決には至りません。
里山というのは、民家と奥山の間につくられた人工的な緩衝帯のことです。縄文前期の三内丸山遺跡(約5,900年前〜4,200年前)からは、クリをはじめとする植物資源の積極的な利用が確認されており、人々が集落周辺の自然に継続的に働きかけながら生活していたことがうかがえます。現代の「里山」という言葉をそのまま当てはめることはできませんが、その原型ともいえる人間と自然との関係を見ることができます。定住期間が1700年に及んでいたことが分かっていますが、自然との共生が図られていた証拠でもあります。
それに対して、近現代人は200年も経たないうちに、ニホンオオカミを滅亡させ、トキ、コウノトリの野生種を絶やし、ツル(主にタンチョウ)、アホウドリ、サギといった野生動物を絶滅の淵まで追い込みました。現在は、四国のクマが絶滅の恐れがあります。何が違うのでしょうか。自然に対する畏敬の念ではないかと思っています。
重要なカギを握るのが里山です。縄文人たちは、奥山と民家の間にクリ、トチノキ、ニワトコといった広葉樹の有用植物を植えて、共同管理をしていました。そこから採れた実や木材、木の枝は誰のものでもなく、全員のものでした。厳しい大自然の中で生き抜くためには、お互い協力しなければいけないという思いがそのような態勢をつくり、貧富の差が殆どない社会を実現させたのだと思われます。

(「JAMMIN/Social Wear Brand」)
小繋事件――所有権と入会権が衝突した50年
里山は、何とか現代まで保持されていますが、「風前の灯」のような状況になっています。今回は、それを法的な側面から見ていきたいと思います。里山は、先人が編み出した知恵の産物ですが、それを支えてきた社会的な仕組みの一つが「入会」であり、それを法的な権利として捉えたものが入会権です。紆余曲折はありつつも、その入会権を明治政府は認めて民法に書き込みます。これは現在もそのまま263条・294条として受け継がれていますが、法的には大変弱い権利になっています。
大正6年(1917年)に「入会権の確認」を求めて起きた訴訟がありました。小繋(こつなぎ)山の入会権をめぐって起きたので、「小繋事件」と呼んでいるのですが、争いは戦前(民事訴訟)から戦後(刑事事件)へ、元号をまたいで50年に及びました。表面的には地主の所有権と村人の入会権が対立した案件でしたが、実際には、村人たちが慣習に基づく入会権を有しているのか、その権利を法的に認めることができるのかが争われました。最終的に最高裁(小法廷)まで行きましたが、住民側の敗訴で終わりました。その結果、村人たちが小繋山に入って森林を利用することが出来なくなってしまったのです。
小繋事件が私たちに残した問題は、単なる一地域の所有権紛争ではありません。地域住民が長い年月をかけて共同利用し、同時に共同管理してきた山林を、近代法が「所有者は誰か」という視点だけで処理できるのか、という問題です。入会は、資源を利用する権利であると同時に、山を維持する共同管理の仕組みでもありました。その仕組みが失われれば、所有者が存在していても、実際には管理する人がいない森林が生まれます。それが広がった結果として、クマが人里に出没するようになったと捉える必要があるのです。

(裁判開始100年目を記念して建てられた石碑)
所有権から「地域森林共同管理権」へ
所有権という概念が近代日本にも入ってきましたが、当初は絶対的な権限として取り扱われたようなところがありました。ところが、実際の社会生活の中で様々不都合なことが起こり、現在は「公共の福祉」「緊急避難」の観点から、それに制限をかけようとしている流れになっています。例えば、災害によって破壊された建物や水害の時の放置車両の撤去の際には、所有権者の承諾が必要ですが、災害時には、公共の安全を確保するため、一定の要件の下で所有者の意思にかかわらず私有物に必要な措置を講じることが法律上認められています。
それと同じ考え方で森林関連法を整備する必要があるのです。明治時代に民法を制定して以来、山林についても「誰の土地なのか」という所有権を中心に制度を考えてきました。そこには、所有者を確定すれば、その者が管理するはずだという考えがあったと思われますが、管理そのものが多面的な視点が必要なため、簡単にできるような仕事ではないのです。
森林は木材生産の場だけではありません。水源、生物多様性、防災、景観、そして野生動物にとっても大事な場です。人間との緩衝帯である里山を整備することから始まって、生きた森を保持するためには、計画的な切り出しと手入れ、さらには景観まで考えた植林が必要です。「森林という公共性の高い資源には、所有権とは別に管理主体が必要である」という発想に全面転換した上で、所有権者と管理権者が協力して森林を整備するための法制度を策定すべきです。現在はどうなっているのか――森林・林業基本法9条は森林所有者等に対し、森林の「多面的機能」が確保されるよう整備・保全に努める責務を課しています。しかし、多面的機能の維持という社会的な責務を、個々の森林所有者の努力義務だけに委ねることには限界がありますし、実際には無理だと思います。
森林の状態は各地域によって異なります。だから地元の自治体が主体となって、土地所有者、地域住民、森林組合などが一定区域を「里山管理区域」として指定し、下草刈り、間伐、林道・作業道の維持、放置竹林対策、鳥獣害対策などを共同して行えるような体制、「地域森林共同管理制度」が必要です。法的概念で言うと、「地域森林共同管理権」(仮称)といった概念となります。森を持続可能な状態に保つために、その管理主体に与える権限となります。政府はそれを踏まえた上で、人間と自然との「境界を管理する仕組み」を21世紀の法制度として再構築することが必要だと思われます。下の図は田辺市が作成したものですが、これが現在の「到達点」だと思います。森を木を切り出す場としか捉えていません。防災、景観、野生動物という視点を入れた総合管理が必要な時代です。
クマを山へ戻すために必要なのは、クマだけを追いかける政策ではありません。人間が山との付き合い方を取り戻すことです。かつての入会が担っていた「地域で山の資源を使い、地域を守る」という考えを、現代の法制度として再構築する。そのとき初めて、里山は人間と野生動物を隔てる単なる境界ではなく、両者が共存するための「生きた境界」として蘇るのではないでしょうか。

(「田辺市」)
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