
「戦争社会学という専門分野があるんですね」

「戦争がどうして起きるのかという原因を探ったりするのですか?」

「原因というより、戦争によって社会や人間がどう変容し、動かされていくかといったプロセスを解き明かそうとする学問です」

「日本人は、戦争アレルギーみたいなものを持っているように思います」

「それは、どういう時に感じますか?」

「今、ちょうど沖縄の知事選挙の期間中です。基地問題が一つの焦点ですが、それへの反応を見るにつけ感じます」

「日本の国土は防衛にはうってつけです。島国で森林率が高く(66%)、平地が少なく、当時は食料の自給自足が出来ていました。何で、戦争に向かったのかなと思っています。それが戦争アレルギーの大元の原因です」

「過去は変えられないので、今後どうしたらいいのかを考えるしかありません」

「戦争についての総括が完全にすんでいません。1990年代以降になって、ようやく歴史家たちによって少しずつ総括本が出てきたと思っていますが、足りないと思っています」

「政府談話は節目ごとに出ますよね」

「一言で言えば、中途半端で不完全です」

「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「BlueFruit」提供です」
「戦う意思」9%――日本人に愛国心はないのか
「自国が戦争に巻き込まれた時に戦うか」という問いを、ギャラップ・インターナショナル協会が1981年の第1回調査以来、続けています。2023年末にも45か国で実施し、2024年に調査を公表していますが、「はい」と答えた日本人は相変わらず少なく、第1回から常に10%台前半を推移し、最下位をキープ、そして今回は9%でした。他国は時代の情勢(リーマンショックなどの危機やテロ)によって数値が乱高下したり上昇したりしますが、日本の場合は周りの状況に左右されることなく、安定的にダントツの最下位を続けています。
ちなみに、2024年調査の上位3か国は、アルメニア(96%)、サウジアラビア(94%)、アゼルバイジャン(88%)です。こういったデータを取り上げて、 “あの日本人はどこへ行ったのか”ということで「愛国心」を取り上げるパターンが定番化し、愚痴めいた評論が出されています。
その一方で、「日本が大きな戦争に巻き込まれる可能性がある」と答える人が62%に急増しています(「朝日新聞世論調査/2025年」)。だからと言って、自らの意志で国を守るために行動しようという気持ちにはならないということです。冷たい国民性なのでしょうか。しかし、災害の時にボランティアで多くの人が駆け付けます。決して、そういうことはないと思われます。国や戦争という言葉にアレルギー作用を引き起こしているかのようです。戦争への危機感は高まっている。しかし、自ら国を守るために戦うという意思には結びつかない。日本人の防衛意識には、いわば「危機認識と防衛意思のねじれ」が生じています。一体、何が原因でしょうか。歴史的に探る必要があります。

(「Yahoo!ニュース-Yahoo! JAPAN」)
徴兵制は誰を守るために始まったのか
結論から言いますと、過去に国民は「国防」について、2回ほど政府に騙されています。それが国民の深層心理・アレルギーを形成しています。「危機認識と防衛意思のねじれ」は、そこから生じていると思われます。順番に説明します。最初の騙しは明治の徴兵令です。
藩閥政府は明治6年に徴兵令を制定しています。徴兵制によって作られた軍隊は、外敵と戦うためというよりも、「国内の反乱を鎮圧し、生まれたばかりの明治政府(藩閥政権)を守るための軍隊」として機能していたというのが実態です。明治政府が1871年に全国の主要都市(東京・大阪・熊本・仙台)に配置した「鎮台(ちんだい)」と呼ばれる軍隊の拠点は、「国内の治安維持(不満分子の鎮圧)」を目的に設置されました。
当時、明治政府が進める急進的な近代化(廃藩置県、地租改正、そして武士の特権廃止など)に対し、日本中で凄まじい反発が起きていました。当時の政府には、これら「国内の敵」から自分たちの政権を守るための強力な軍事力が必要不可欠でした。実際、1877年(明治10年)に不平士族の最大・最後の反乱である「西南戦争」が起きた際、政府の徴兵軍(主に平民の農民で構成された軍隊)は西郷隆盛率いる最強の薩摩士族軍と戦い、これを鎮圧しました。つまり、徴兵された若者たちが明治初期に最初にやらされた仕事は、異国との戦いではなく、「同じ日本人の反乱を武力で鎮め、政府を守る盾になること」だったのです。
国民皆兵は「国家を守る国民の軍隊」という理念を掲げて出発しました。しかし、明治初期の軍隊が最初に大規模に投入された相手は外国軍ではありませんでした。国内の反乱でした。「騙された」「自分たちは国ではなく、薩長政府の権力を守るための道具にされている」と不満を募らせ、肢体を自傷してまで徴兵を逃れようとした者も出ました。日本の軍隊は、そのスタートの時点からすでに「国家防衛」という大義名分のもと「政権維持」という異なった役割を担わされたのです。

(「鹿児島県」)
「お国のため」はなぜ信頼を失ったのか
1889年に制定された大日本帝国憲法には「兵役の義務」(第20条)が明記されました。自国のために戦うかどうかは「個人の自由な意思や選択」ではなく、国民(臣民)の義務とされました。その趣旨を受けて、同年に徴兵令が全面改正され、兵役制度はさらに整備されました。陸軍の現役3年という原則は維持される一方、国民皆兵の原則がより徹底されていきました。それまでは、兵役についての免役条項や代人料制度があり、合法的に兵役を免れることができたのですが、それが出来なくなりました。ただ、その一方で、華族制度を作り、華族の身分(貴族階級)の者の徴兵義務は完全免除という措置を取っていたのです。
その後、日本は帝国主義戦争に向かいます。当時の国民が徴兵を受け入れたのは、かつての元寇のように外国の軍隊が攻めてきて、それに対して戦うという場面をイメージしていたと思います。ところが、行った戦争は異国の地を舞台にした勢力争い、つまり帝国主義戦争でした。国民が「お国のため」と納得していた大義名分は、軍部によって都合よく拡大解釈されていったのです。朝鮮の独立のために清やロシアと戦います。帝国主義戦争に足を踏み入れれば、それはお互いゲームセットと認めない限り、永遠に戦う必要があります。日露戦争に「勝った」と言います。しかし帝国主義国家間の勢力争いという長いゲームから見れば、それは野球でいえば1回表に2点を先取した程度だったとも考えられます。相手が存在する限り、安全保障上の競争そのものが終わるわけではありません。そのような、半ば泥沼のような戦争に徴兵した国民を向かわせたのです。
昭和に入ってからも、帝国主義戦争は続きます。何のことはない、終戦までの80年間、すべて日本が仕掛けた戦争ばかりだったのです。「満洲を防衛するためには、中国本土を叩かなければならない」「中国を降伏させるためには、東南アジアの資源地帯を押さえなければならない」「東南アジアを守るためには、太平洋の島々に防衛線を張らなければならない」。このように、軍部の都合で戦線が果てしなく広がるにつれ、一般の兵士たちは「なぜ自分は日本から何千キロも離れた見も知らずの土地で、現地の見も知らずの人々と殺し合っているのか」という根本的な矛盾を感じていたと思います。
ガダルカナル島、ニューギニア、ビルマなどの戦場では、戦闘そのものではなく、補給の途絶による飢餓や栄養失調、マラリアなどの疾病によって多数の兵士が命を落としました。歴史学者の藤原彰は、アジア太平洋戦争における日本軍戦没者の過半が、こうした餓死・戦病死だったと指摘しています。武器も食料も届かず、軍の上層部からは事実上見捨てられ、泥水をすすりながら飢え死にしていく中で、兵士たちは「国家は自分たちを人間ではなく使い捨ての消耗品としか思っていない」という残酷な真実を悟りました。1945年の敗戦後には「自分たちは騙されていた」という言説が広がりました。
もう騙されたくないという思いが、「自国が戦争に巻き込まれた時に戦うか」という問いに対して常に低い数字しか出ない根本的な原因です。戦後しばらく「愛国心」という言葉がタブーでしたが、ほとぼりが冷めたと思ったのか、1990年代末〜2000年代以降になって再び政治の表舞台で堂々と議論されるようになりました。最近も、9月7日の『産経』の「正論」欄に「愛国心忌避の風潮を変えよ」の論文が掲載されました。日本政府は明治から終戦までの戦争についてきちんと総括をしていません。まずは、それを行ってから「愛国心」が説かれるべきです。
日本人に愛国心がないのではありません。災害が起きれば、多くの人が見知らぬ被災者のために現地へ向かいます。故郷を愛し、地域を守り、文化や歴史を次の世代へ残そうとする気持ちもまた、広い意味での愛国心です。愛国心は国家が命令して生まれるものではありません。自分が暮らす社会を信頼し、この国を次の世代に残したいと思ったとき、自然に生まれるものです。問われているのは、日本人の愛国心ではなく、愛され、信頼される国をどのようにつくるのかということではないでしょうか。

(「ガウスの歴史を巡るブログ」)
読んでいただきありがとうございました。
よろしければ「ブログ村」のクリックをお願いします。
↓