
「『日経』(9/14日付)が「四国のクマ 絶滅の恐れ」という見出しで報じていましたが、クマ被害で騒いでいる地域がある一方で、絶滅の危機に瀕している地域もあるそうです」

「四国がそうなんですね」

「四国の個体群は残り十数頭と、絶滅寸前に追い込まれているそうです」

女「もし、クマが絶滅した場合は、どうなるのですか?」

「林野庁の職員の話が載っていますが、クマが果実を食べ、ふんの中に残った種によって植物は分布を広げているそうです」

「多様な森がそういったかたちで作られてきたのでしょうね」

「森の生態系が崩れることは間違いありません。ニホンオオカミが明治時代に絶滅したことは知っていますか?」

「そういう話を聞いたことがあるという程度です」

「シカやイノシシといった獣害が報じられることがありますが、元はと言えば、ニホンオオカミを駆除してしまったために起きていることです」

「天敵がいなくなったので、ある特定の個体数が増え始めるということですね」

「クマですが、この記事によると、関東周辺を除いて殆んどの地域が絶滅の恐れがあるとのことです」

「ここからが本論です ↓表紙写真は「PIXTA」提供です」
「駆除」の前に考えるべきこと――クマはなぜ人里に現れるのか
クマ問題ですが、マスコミの報道が出没という表面的な現象を追いかけ、その危険性と対策をことさら強調する傾向があります。そのためなのか、行政の対策も駆除に重きを置いたものになる傾向があります。クマも含めて、野生の動物たちとはこの日本列島の中で何万年にもわたって共生してきました。そういった共生の歴史には全く触れることなく、危険と駆除しか言わないマスコミの報道姿勢は問題だと思っています。
八王子市は2026年9月に「ツキノワグマ対応マニュアル」を策定・公表しました。都内の区市町村で初の試みとして注目を集めていますが、その中身を詳細に見ると、「出没した後にどうするか」という対症療法に重きが置かれていることは否めません。
公表されたマニュアルの主軸は、出没状況を「危機レベル1〜4」の4段階に分類し、対応手順を明確化することにあります。レベル1・2: 山中での目撃や日常生活圏周辺(半径200m以内)での複数回目撃に対する「注意喚起」や「追い払い」。レベル3・4: 人家侵入や市街地への出没、人身被害に対する「対策本部設置」や「捕獲」「緊急銃猟(射殺)」というものです。マニュアルには、平時からクマを生活圏に引き寄せないための防除対策も盛り込まれています。その点は評価すべきです。しかし、全体の中心はあくまで「出没したクマにどう対応するか」という危機管理にあります。マスコミの過熱報道による市民の不安を一刻も早く解消するための、防衛的な側面が強く反映されていますが、さらに一歩踏み込み、「なぜ人間とクマとの境界が崩れてきたのか」という地域社会や里山の変化まで視野に入れた長期的な政策が必要ではないでしょうか。

(「TVer」)
里山という「境界線」――先人の智慧を現代に生かす
私たちは近代以降の「人間の都合」や「科学・テクノロジーによる管理」ばかりに目を奪われがちですが、八王子を含めたこの関東の山林一帯には、何千、何万年もの間、先人たちは里山を保持して、そこを野生動物との緩衝帯にして彼らと平和的に共生してきた重厚な歴史と智慧が確かに存在します。野生動物の気配を感じ、敬意を払い、距離を保ちながら共生を図ってきたのです。それを単なる「昔話」で終わらせず、現代の行政施策の「精神的な柱」や「具体的な手法」として掘り起こすことが、現代の行政に求められています。
八王子市は、高尾山や陣馬山などの豊かな山林と、新興住宅地や農地がモザイク状に密接しているため、広範囲に人工的な緩衝帯を設けるのは不可能です。しかし、かつての八王子の先人たちは、まさにその入り組んだ地形で「里山(薪炭林や萱場)」を維持することで共生していました。人間が日常的に立ち入り、草を刈り、薪を拾う「里山」は、見通しが良くエサも少ないため、クマやイノシシにとっては「見つかりやすくて居心地が悪い場所」でした。動物たちは自然とそれを察知し、「奥山」に身を潜めていたのです。八王子という地域に残る「先人の智慧」を掘り起こすと、現代の対症療法を乗り越えるためのヒントがいくつも見えてきます。これは懐古趣味ではありません。環境省も、集落周辺の藪の刈り払いや里山二次林の管理によって緩衝地帯を形成することを、クマの侵入抑制策として位置づけています。つまり、先人が生活の中で維持してきた「境界」を、現代の科学的な野生動物管理として再構築することは十分可能なのです。
現代の行政がやるべき根本対策とは、コンクリートの壁や電気柵を立てることではなく、放置されて藪(やぶ)と化した現代の元・里山を、先人のように「見通しの良い防衛線」として再生させることです。行政が主導して市民ボランティアや大学(八王子は大学都市です)の力を集め、藪の刈り払い、放置林の適正管理、放任果樹の除去などを進めることは、まさに先人の知恵を現代に最適化させた「行政の力」と言えます。かつての日本の農村には、収穫の際、あえて木の実や果実を少し残しておく「木守り(きまもり)」という習俗がありました。その意味は神への豊作祈願など諸説ありますが、自然から得られるものを人間だけで取り尽くさないという感覚にも通じるものがあります。

(「八王子観光コンベンション協会」)
「山には山の領分がある」――共生の文化を取り戻す
現代の行政マニュアルに決定的に欠けているのは、こうした「野生生物に対する敬意と、お互いの領分を認める精神性」です。出没したクマをドローンで追い回して射殺の是非で揉めるのではなく、「かつてこの地で人間と動物はどう距離を取っていたのか」を郷土史から掘り起こし、地域住民の教育や、高尾山を訪れる年間300万人の観光客への「山のルール」として再構築していくこと。それこそが、八王子市という歴史ある自治体に求められる、100年先を見据えた真の「根本対策」ではないでしょうか
武蔵御嶽神社を中心として、多摩・秩父地方にはニホンオオカミを「お犬さま」「大口真神」などとして畏敬する狼信仰が広く存在しました。先人たちはオオカミを「ただ恐ろしい存在」として排除するのではなく、「猪や鹿を狩って畑を守ってくれる山の神の使い」として感謝し、畏怖していたのです。「山には山の支配者がおり、人間はそこにお邪魔している」という明確な境界線の意識がありました。
先人たちは山に入る際、山の神に祈るなど、山を人間だけの空間とは考えませんでした。現代に置き換えれば、クマ鈴などによって人間の存在を知らせ、野生動物との不意の遭遇を避けることも、「山では人間の側が注意する」という思想につながります。高尾山には年間300万人規模の登山客・観光客が訪れています。そんなことから、普通の観光地と同じような感覚で踏み入れがちですが、「ここは野生動物の生息域でもある」という意識を改めて共有する必要があります。「山の領域への敬意」を市民や登山客のモラルとして呼び掛けることも行政に求められています。
クマ問題の本質は、クマが人間の領域に入ってきたことだけにあるのではありません。人口減少や農林業の衰退によって里山が荒れ、人間の側が長い時間をかけて維持してきた「境界線」を後退させてしまったことにも目を向ける必要があります。必要なのは、クマを恐れて排除することだけでも、逆に野生動物を無条件に保護することでもありません。「人には人の領分があり、山には山の領分がある」という関係をもう一度つくり直すことです。
先人が里山という物理的な境界をつくり、山への畏敬という精神的な境界を守ってきたように、現代の科学と行政の力によって、新しい「人間と自然の境界線」をつくる。そのことこそ、クマ問題を一時的な駆除で終わらせない、本当の意味での共生政策ではないでしょうか。

(「里山づくりの推進/奈良県」)
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