「渡辺京二氏が『逝(ゆ)きし世の面影』(平凡社ライブラリー.2005年)という大作を書かれています。1999年度に「和辻哲郎文化賞」を受賞した作品です」
「題名を見ると、過ぎ去りし時代の社会風景を描写した内容かなと思いますが、いかがでしょうか」
「この書の特徴は、江戸の後期から明治の頃の日本人の生き方や習俗、風俗を、当時来日した外国人が書き遺したものを手掛かりにして浮き彫りにしようとしたところにあります」
「それを敢えて紹介しようという意図は、どこにあるのですか?」
「我々が見ている日本人とは違った姿が多く見られます。全く違った日本の風景が、そこには描かれているからです」
「アインシュタインが大正時代に来日して、このような国を作ってくれたことを神に感謝したいというようなことを言ったことを知っています」
「チェンバレンは、古い日本は妖精の棲(す)む小さくてかわいらしい不思議の国であったという言葉を遺しています」
「戦前の日本は、大国相手に戦争をして、何か強面の国家イメージをもつのですが、どちらが本当の日本なんでしょうか?」
「どちらも本当でしょう。2つの面を併せもっていたということだと思います」
「それと現代の状況が、どうしても連続線で捉えることができません」
「実は、そこに一番の問題意識を感じているのです。戦前、戦後という言い方には、別々の国として捉えるべきという考え方があります」
「だけど、根本的なものは何も変わっていないので、連続的に捉えなければいけないと、常々おっしゃっていますよね」
「日本は一つの王朝としてみた場合、世界最古の国です。そのプライドをもちながら、先人が守り抜いたものを後世に伝える義務が一人ひとりの国民にあると思っています」
「そのためには、過去の日本、あるいは日本人を外国人たちがどのように見ていたのか、知る必要があるということですね」
「この本の帯に「今の日本が何か変だなと思う人に ぜひ読んでもらいたい一冊」とあります」
「ここからが本論です ↓」
日本は「子どもの楽園」(オールコック)
『逝きし世の面影』の第十章は「子どもの楽園」です。外国人の目から見た当時の日本の子供たちの様子が、実に多く書き遺されています。「子どもの楽園」と最初に表現したのはオールコックですが、それ以来、欧米の外国人が日本を言う時に、よく使うようになったとのことです。
渡辺氏はこの章だけで、10人くらいの外国人の文献にあたっています。そのうちの何人かの意見を紹介します。
・スエンソン……「少し大きくなると外へ出され、遊び友達にまじって朝から晩まで通りで転げまわっている」
・ネットー……「子供たちの主たる運動場は街中である。…子供は交通のことなど少しも構わずに、その遊びに没頭する。かれらは歩行者や、車を引いた人力車夫や、重い荷物を担いだ運搬夫が、独楽(こま)を踏んだり、羽根つき遊びで羽根の飛ぶのを邪魔したり、凧の糸を乱したりしないために、すこしの迂(よ)り路はいとわないことを知っているのである」
・アーノルド……「街はほぼ完全に子どもたちのものだ」「子どもたちは重大な事故を引き起こす心配などこれっぽちもなく、あらゆる街路の真っただ中ではしゃぎまわるのだ。」そして、子供たちの様子について「優しく控え目な振舞いといい、品のいい広い袖とひらひらする着物といい、見る者を魅了する。手足は美しいし、黒い服はビーズ玉のよう。そしてその眼で物怖じも羞(はじ)かみもせずにあなたをじっと見つめるのだ」
・モース……「私は日本が子どもの天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない」
子どもを叱ったり罰したりしないのは、16世紀以来の伝統
・ヒロン……「日本人は刀で人の首をはねることは何とも思わないのに、子供たちを罰することは残酷だと言う」
・フロイス……「われわれ(欧米人)の間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ言葉によって譴責(けんせき)するだけである」
・モース……「赤ん坊が泣き叫ぶのを聞くことはめったになく、私はいままでのところ、母親が赤ん坊に対して癇癪(かんしゃく)を起こしているのを一度も見ていない」
モラエスは「日本の子供は世界で一番可愛いい」と言い、モースは「日本人の母親ほど辛抱強く愛情に富み、子供につくす母親はいない」と言います。
当時の人たちが、児童虐待が増え、その防止のための法律(「児童虐待の防止等に関する法律/2000年」)まで作り、それにも関わらず減少するどころか増え続けているという現代の実態を知ったならば、腰を抜かして驚くかもしれません。当時から現在までおよそ130~150年くらい経っていますが、わずかその位の年月で、随分悪しき方向に変わってしまったと思っています。
原因のない結果はありませんので、そうなった原因を探り、対策を考える必要があります。
どうして明治の頃の日本は、子供天国だったのでしょうか
一つは、武家社会ということと関係があります。武家社会では12歳から15歳くらいで元服となります。今で言う成人式です。青年期という、あいまいな時期はありません。子供と大人しかいない社会です。子供は大人になるための予備軍です。日本の場合は、子供も大人も同じように扱いました。そして、当時は医療体制が今ほど整備されていなかったので、子供のうちに死んでしまうということが多かったのです。必然的に、丁寧に育てようという気持ちが強かったのではないかと思われます。
二つ目は、地域社会の中に子供集団が定着していたと思います。子供は集団で遊びます。その集団を統率するリーダーであるガキ大将が自然発生的に生まれ、その子を中心に子ども社会が地域で形成されます。一つの秩序立ったミニ社会が各地域に成立していたと思います。遊びを通して、社会のルールを幼い子供たちも学んだのだと思います。秩序立った行動ができる子供に自然になっていったのでしょう。だから、可愛い子供たちが地域で量産されたのだと思います。
三つ目は、大家族制の崩壊です。かつての時代は、子供が多ければやがては労働力として使うことができますし、武家社会では跡取りを遺す必要がありますので、多くの子供をつくろうとしました。そんなこともあり、家族がもはやミニ社会として機能していたのです。
今は核家族化が進行していて、3世代同居ということ自体が珍しくなりました。一方通行の人間関係が生まれがちです。家族間のトラブル、虐待が増え、自殺も増えることになります。
こういった原因を踏まえて、対策を考えることです。そして、その対策は少子化対策にもなります。
本来は、国会でこういったことを議論すべきだと思います。
読んでいただき、ありがとうございました。
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