「毎週日曜日の朝の7時45分からNHKで「さわやか自然百景」という番組があるのですが知っていますか?」
「たまに、見ることがあるかなという程度です。むしろ、私はその後の8時からの「小さな旅」をよく見ています」
「実は、「さわやか自然百景」、毎週楽しみにしている一人なんです。必ず見ています」
「えっ、そうなんですか! 自然のことには興味がないと思っていました。失礼しました」
「何をおっしゃる。私はこう見えても、エコロジストです。そして、あの番組は20年以上にわたって続いている長寿番組で、平均視聴率は10~15%の間という人気番組なのです。番組の最初と最後に流れる音楽が、またこれが素敵ですよね」
「そうなんですね。目立たないヒット番組なんですね。ただ、映像を撮るために物凄い時間と手間をかけているんだろうなと思うことが結構ありますね」
「確かに、水中の魚の生態や鳥の動きなど、どうやって撮ったのかなと思うことがあります」
「日本はまだまだ多くの自然が残っているので、撮りきれないのでしょうね」
「番組で紹介されている場所は、一般の人たちが殆んど知らないような所が多いと思います。仮に行ったとしても、生き物たちがそこでどういう風に暮らしているかは分かりませんからね」
「この前の日曜日は見ましたよ。確か、北海道北見山地の近くの何とか村の草原を紹介していましたよね。ちょっと変わった名前の村です」
「えーと、ちょっと待っててね。手帳を見るからね。西興部(にしおこっぺ)村ですね。アイヌの言葉かなって思ったのですが、いくつもの森が草原に入り組んだ形で残っているんですね。上手く調和していて、生き物の楽園になっているという紹介でしたね」
「森は地元の酪農家が遺したと言っていたと思います」
「日本の先人たちは森との共生をはかったのです」
「自然神の考えですよね。アニミズム(精霊崇拝)と学校で習いました」
「日本は多神教の国ですからね。山や川、森には神が宿っていると考えたのです。ご神木という言葉もあります」
「環境保護に繋がる考え方ですよね。ここからが本論です ↓なお、表題の写真提供は「読売新聞オンライン」です」
自然との共生にどの程度取り組むか――環境問題で重要なこと
気候変動対策を世界的に取り組もうということで行われているのがCOP(コップ/「国連気候変動枠組条約締約国会議」)です。1992年に第一回目が開かれて、今年が27回目なので、COP27と呼んでいます。
工業化の結果CO2の排出量が増え、地球温暖化が進み、海面上昇がこれから上がるだろうということで、その責任をめぐって先進国と途上国との対立が原因で今年のCOP27は予定の閉幕日をオーバーしてしまいました。
地球環境に専ら影響を与え続けたのは先進国であり、発展途上国は被害者である。被害国の救済のために基金を創設すべきだという話になり、今年はそこでまとまったようです。具体的にどの程度の規模の基金にするとか、金額などの分担などを巡って、来年に話し合いが行われることになると思います。
ただ、環境問題で一番重要な視点は、自然との共生を各国がどの程度真剣に取り組むのか、ということです。その考えがなければ、人類は絶えず自然からの反撃を受け、常に猛威に怯えることになります。人間は自然に立ち向かっても絶対に敵わないということを自覚する必要があるのです。日本は毎年環境大臣が出席しているようですが、本来はそういう話を世界に向けてするべきなのです。したという話は寡聞にして聞きません。
(「TBS NEWS DIG」)
西洋の自然観が環境を破壊した
英語のカルチャー(culture)ですが、名詞は文化という意味ですが、動詞は耕すという意味です。ここに大陸の人たちの自然観がよく表れています。自然を耕す、つまり改良した果てに文化や文明が生まれるという考えが込められています。
言い換えると、自然は人間が作る近代社会に対して、敵対的な関係として存在すると捉えるのです。目の前に森があれば、それを切り倒していく、そして人工的な都市を幾何学的に作っていくというのが、彼らの発想です。
自然も幾何学的に配置するというのが、彼らの発想です。例えば、ベルサイユ宮殿の庭園ですが、品種改良されたバラを左右対称に配置しています。いかにも人間が手を入れたことを自慢げに誇っているかのように。城壁も人工的に造った立方体のレンガを積み上げます。日本の城の石垣とは形も考え方も違います。
日本庭園は西洋庭園とは逆発想です。いかに人の手が入っていないように見せるかが腕の見せ所なのです。自然そのままを楽しみたいというのが、日本人のDNAの中に刻み込まれているのです。
(「トリドリ」)
森の機能が分かったのはここ最近のこと
日本に来る外国人が、緑の多さに驚くということを聞いたことがあります。ただ、かつては地球の殆どの地域は森に覆われていたはずです。地中海世界も広大な森に覆われていたのですが、船舶や住宅、果ては燃料としての薪を得るために森が切り拓かれていったのです。植林をすれば良いのですが、そういう発想は殆どなかったようです。
同じアジアの中国でも森林伐採が都市づくりの際に大規模に行われています。植林をしないので、最後には、はげ山となります。はげ山は雨水の浸食を受けますし、そこから流れ出た水はただの泥水なので、何の栄養分も含みません。そのため土壌は痩せ、川を通って海に流れてもプランクトンが好む栄養素が殆んどないため沿岸に魚が集まって来なくなります。
日本では生活のために樹を切ることはありましたが、必ず植林をして地域の森を里山としてムラ全体で守る努力をしたのです。森を遺せば、そこから湧き水が出て、それは栄養分を含むため、周りの草花が育ち、それを目当てにした虫や鳥たちが集まり、川には魚が生息するようになります。多分、そういうことを縄文時代には生活の知恵ということで知っていたのではないかと思います。
神社と書いて「もり」と読むことがあります。森は神さまがいて、生命の源を産み出す地という考え方です。そこから、自然宗教としての神道が生まれたのだと思います。自然の風景を見て厳かな感じを抱くのは、日本人の中に流れるDNAのなせる業だと思います。
(「アマナイメージズ」)
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