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日本は教育後進国 / 藤井聡太棋聖の育成方法から学ぶこと

女性

「将棋を指したこと、ありますか?」

「高校生の時、休み時間に友達とよく指していました」

女性

「今度、小学生の息子を連れてきますので、手ほどきをお願いして良いですか?」

「ルールは教えられますけど、指導は出来ないですよ。あのを……、もしかして藤井棋聖誕生で、ふと思いついたんでしょ?」

女性

「ええ、分かります? ニュースを見て、凄いなあと思って、それで……」

「まだ、17歳ですよね。史上最年少で棋聖のタイトルを取ったので、マスコミも大きく報道しています」

女性

「ウチの子は9才なので、まだ間に合うかなと思って……」

「藤井棋聖の師匠が杉本昌隆八段ですが、彼の話だと、すでに小学校1年生の時点で彼の才能を見抜いていましたね」

女性

「えっ、そうなんですか!」

「『産経』の「藤井時代」という連載記事に、「平成21年、奨励会を目指す子供を育成する名古屋市の『東海研修会』。対局の感想戦で、子供らしからぬ口調で主張している男の子がいるのをみて杉本は驚いた。先を見るセンスの良さも持っていた、小学1年生の藤井だった」(2020.7.18日付)とあります」

女性

「その時点で、すでに周りとは違っていたのですね」

「師匠の杉本八段も11歳でプロ棋士に入門しています。厳しい将棋界で生きてきた人です」

女性

「そうなんですか。将棋一筋の人なんですね」

「我々はスポットライトが当たった華やかな面しか見ていませんので、その深さは分からないのですが、彼らには語りつくせない努力があると思います」

女性

「分かりました。帰ったら息子と相談してみます」

「本将棋以外にも、はさみ将棋、回り将棋がありますからね。楽しみ方はいろいろあります」

女性

「それでプロになれるのですか?」

「面白いことを言う人ですね」

女性

「ここからが本論です ↓」

 天才を見出し、育てる時代


藤井聡太棋聖を生み出したのは、まさに英才教育です。もちろん本人の才能がありますが、その才能を芽生えさせ、ひとつのかたちとして社会に送りだすためには、システムを作る必要があります。棋聖の話は将棋の世界のことですが、考え方は他の学問分野、スポーツ分野にも通じます。分析的に考えてみることにします。

才能がある子供を見出して、社会に送り出すためには、3つの要素を考える必要があります。まず、本人の才能です。二つ目は、その才能を見出す人をいかに養成するかです。三つ目は、その両者をつなぎ合わせるシステムをいかに構築するかです。

難しいのは、2番目と3番目です。これらが準備されていないため、多くの才能が日の目を見ることなく埋もれてしまったものも相当あると思っています。いくら良質な種が蒔かれても、コンクリートの上や土の上に撒かれたとしても水も与えられないようでは、芽は出ません。同じ理屈です。

どのような才能があるかということは、本人は勿論、親も分かりません。ただ、過去の天才の生涯を見てみると、その異才に気付くのは圧倒的に親が多いのです。そして、親がその子のために、最適な環境を用意するために動き回るというケースがおよそのところです。

ということは、親が気付かなかったり、気付いても何もしなかったりした場合は、埋もれて終わってしまうということです。

今までは、それはある意味仕方がなかったのかもしれません。ただ、現代は教育制度があります。この制度を有効的に活用することを考える時代です。

 特異な才能を見出し、伸ばす視点が欠落している

「千里の馬は常にあれども、伯楽は常にあらず」(原文「千里馬常有、而伯楽不常有韓文公」/韓文公「雑説下」より)という中国の故事成語があります。

1日千里を走るような才能をもった名馬は、周りに多くいるのだけれど、それを見出して育てる人、つまり伯楽がいないと言っています

この故事成語で気を付けたいのは、才能がある者は多くいるけれど、それを見出す人が少ないと言っていることです世の中の多くの人は、逆に考えていると思います。つまり、才能がある人は少なく、才能さえあれば、やがては社会の中で自然に芽を出すだろうと。アシストなどは殆どいらないと考えていると思います。

多分、今の文科省もそのように考えていると思います。なぜ、それが分かるのか。今の教育制度を見れば分かります

近代教育制度は、2つの役割があります。1つは、国民全体に教育を施し、文明社会で生き抜くことができるような力を身に付けさせることです。2つ目は、社会全体を引っ張っていく人材を養成することです。日本の文科省は、後者の視点が全く欠落しています

 競争時代を勝ち抜くための教育制度の構築を

世界は競争時代です。戦後大きな戦争はありませんでしたが、この間になくなった国が183か国あります。その辺りについては、吉田一郎著の『消滅した国々』(社会評論社.2012年)が詳しいです。結構分厚い本です。2800円しますので、図書館で見て下さい。と言うと、著者に怒られそうですが、著者の吉田一郎氏は、かつて香港に住んで、香港の日刊「香港ビジネスポスト」編集長を経て、さいたま市議会議員になったという異色の経歴をもつ人物です。


「消滅した国」の中で有名なのは、ソ連、南ベトナム、東ドイツ、チェコスロバキア、ユーゴスラビアといったところでしょうか。中には、独立した後に併合された国もあります。チベット、ブガンダ王国がそうです。

日本は四方が海に囲まれ、国境紛争とは殆ど無縁であったが故に、国というものは永遠に存続するものだという錯覚を多くの国民がもっています。しかしながら、世界の多くの国は、生存競争の渦中にいるという自覚のもと、あの手この手で国民をまとめるための努力をしているのです。お花畑の中で生きている感覚で過ごしているのが、日本人なのです。国家意識が低いと言われる所以です。

国家が存続するための重大な要素は、3つあります

 求心力と教育力、そして文化力です。求心力が無くなれば、人心は離れ国民はバラバラになり、国家は崩壊します。自虐教育をしていれば、誰も母国を支えようと思わなくなります。才能ある人は、賃金の高い国に移住をし始めます。

教育力がなければ、経済力が落ちます。経済力と軍事力(防衛力)は連動しますので、他国からの干渉が増えますし、現に中国からの執拗な領海侵入が始まっています。世界は力関係で動きます。日中の経済力と軍事力が逆転したので、今後はさらに国境周辺は騒がしくなるでしょう。

文化力はその国の魅力に直結します。日本は文化的には多彩で高度なものを有した国ですが、生かし切っていません。この辺りは、政治の問題でもあります。

そして、現代の日本は、前の2つが特に弱くなっています。実は、このブログを始めるきっかけもそういったことを日々発信していきたいと思ったからに他なりません。読んでいただいて、一人ひとりの行動が少しでも変われば良いと思っています。

明日は、教育力について、教育行政の在り方や教育課程も含めて、もう少し具体的に話をしたいと思っています

読んで頂きありがとうございました。

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