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日韓関係、終焉の時代 / 近くて遠い関係であり続けることが、両国にとって幸せなこと 

「付き合いやすい人と、付き合いにくい人がいますよね」

女性

「今日は人間関係ですか?私は今の職場に入って、ずっと人間関係で悩んでいます。そういう悩みはないですか?」

「ないと言えばウソになりますが、気にしないようにしています」

女性

「気にしないということが私には出来ないのです」

「そういう場合は、逆に微笑みかけて近づいたらどうですか?」

女性

「そういう『わざとらマン』になれる人となれない人がいるのです」

「まあ、時にはウルトラマンになっても良いじゃあないですか。いろいろトライしてみて下さい。ところで、人間関係と同じように難しいのが国際関係です」

女性

「結局、そういう話にもっていきたいのですね」

「隣国関係が日本にとって悩みの種ですからね」

女性

「気にしないようにすれば良いじゃあないですか」

「気にしないということが私には出来ないのです」

女性

「あれ、どこかで聞いたセリフですね」

「人間は、気にするところが人によって違うということです」

女性

「国際関係を人間関係のように考えてはいけないのですか?」

「別に構わないと思います。深く付き合った方がいい人、義理で付き合う人、出来れば避けたい人、避けなければいけない人がいるように、国も類別することができると思います。首相の頭の中には、国別の順位が入っていると思います」

女性

「この国の順位はいかがでしょうか? ここからが本論です ↓」




 日韓の教員が共同で韓国史観の本を出版

図書館で『日韓共通歴史教材 学び、つながる 日本と韓国の近現代史』(明石書店.2013年)という本を見つけ、こういう本が日韓の教育関係者の共同で作成されたことを初めて知りました

著者は日韓共通歴史教材制作チームということですが、そのチームについての紹介が最後のページに載っています。次のようにあります――「日本の広島県教職員組合と韓国の全国教職員労働組合は「平和・人権教育」をともに推進するため、2001年8月「相互交流と協力に関する議定書」を締結した。この議定書を受けて発足したのが、広島と大邱の教職員で構成された「日韓共通歴史教材制作チーム」」であり、「この本を通じて、若い人たちが共通の歴史認識を持ち、平和と友好が更に深まることを願う」とあります。

ただ、違う歴史と価値観をもった民族が、共通の歴史認識を持つことは不可能と考えます共通の歴史認識ということを、よく韓国の人たちは言います。ただ、歴史的事実は1つですが、その事実をどう見るか、どう認識するかは違っていても構わないと思います。様々な見方、考え方があるし、それは異なっていても良いのです。異なっているからこそ、議論が必要であり、学会を舞台に大いに議論すれば良いと思います。それを無理やり1つにまとめる必要はありません

そして、そのような作業は、歴史を専門的に研究してきた学者が行うべきことであり、日韓の小学校から高校の教員が集まって行うようなことではありません。仮に、学会の見解と分かれた場合は、どうするのでしょうか。組織や団体には、それぞれ暗黙のうちに行って良いこと、そしてその範囲外のことがあると思います。教職員組合というのは、教員の労働条件改善のために専ら存在する組織団体だと考えます。越権行為とも思えるようなことをして、韓国史観の本を日本で出版しても、結局日韓の友好にとってマイナスに作用するだけだと思います。

 

 共通の歴史認識を求めること自体間違っている

伊藤博文をハルビン駅で銃殺した犯人の安重根(アンジュウコン)は、韓国では民族主義者として評価を受け、ほぼ英雄扱いです日本では殺人犯として死刑判決を受け、執行されています。ちなみに、実は伊藤博文は朝鮮併合反対派だったのです。暗殺によって有力な反対派がいなくなったために、皮肉にも翌年併合されることになります。

ところで、ジョージ・ワシントンはアメリカの初代大統領です。アメリカにとっては建国において偉大な功績を打ち立てた人ですが、イギリスにとっては貴重な植民地を彼が率いた反乱軍によって奪われることになりました。英雄どころか、反逆者というのがイギリスの扱いです。

英米文学とか英米法という言い方をします。両国とも、同じ英語を使います。日本人から見ると、同じ価値観、同じ歴史を共有しているかのように見えるかもしれませんが、それは大いなる誤解ということがお分かりいただけたのではないでしょうか。イギリスとアメリカの間においてすら、それぞれ別々の歴史があり、歴史認識の違いがあります

日本と朝鮮との交流を調べると、友好関係を保ったのは百済が存立していた時代くらいのものです。朝鮮通信使の交流を思い浮かべた方がいるかもしれませんが、「どう考えても、いわゆる朝鮮通信使は、まさに朝鮮の日本に対する朝貢使節団そのもの」(石平『朝鮮通信使の真実』WAC.2019年/55ページ)との指摘を受けています。善隣友好の歴史がほとんどないのです。先に紹介した本の標題が『日本と韓国の近現代史』とあるように、両国の出会いは1910年の日韓併合から始まったと言っても良いくらいです。

 

 日韓関係の源流は、「日韓併合」にあり

1965年の日韓国交正常化以来、この隣国と日本の関係が無事だった時代はなかった相剋(そうこく)の原因となってきた政治問題の糸をたぐっていくと、『韓国併合』という源流へとたどり着く」(久保田るり子『反日種族主義と日本人』文春新書.2020年/18ページ)と指摘します。相剋とは、「対立・矛盾する2つのものが互いに相手に勝とうと争うこと」(weblio辞書)という意味です。日韓関係を相剋の歴史であったと捉え、その最初の出会いが『韓国併合』と言っています。


『韓国併合』という語句を使っていますが、この韓国は現在の韓国ではなく、大韓帝国のことです。まぎらわしいので、日韓併合(1910年)が良いと思っています。ついでに王朝の流れを言いますと、この大韓帝国は李氏朝鮮の流れをくみ、朝鮮半島全体を統治していたのです。

しかし、その大韓帝国と韓国は繋がっていません。李王朝の流れをくむ李垠(りぎん)殿下が、戦後になって日本から帰国しようとした時に、断固拒否したのが韓国初代大統領の李承晩だったのです。だから、そこで王朝としての流れが途絶えてしまったのです

ところで、この日韓併合を植民地支配と言って批判しますが、まず戦前における植民地経営は国際的に合法活動です。実際に、アジア地域は欧米列強の植民地競争の草刈り場だったのです。そして、併合と植民地は違います。併合というのは、一つの国として取り込んでしまうということです。

つまり、大韓帝国を日本の一部として併合し、日本が合法的に統治することになったのです。朝鮮は「日本の一部」となり、国際法的にも、日本の連邦を構成する地域の一つという位置付けになったのです。周辺諸国の合意を取り付けた上で、そのような措置を行いました。

ただ、日本からすると、好んで併合した訳ではないということです。実際に資源もない、土地も痩せている、山ははげ山で森林資源もない、ということは近海で獲れる魚は不味いことが分かる。すべて無いないづくしだったのです。だから、福沢諭吉は関わるなと言っていたのです。暗殺された伊藤博文も併合に強硬に反対していたのです。関わらなくて済むものならば、関わりたくないというのが日本の本音だったと思います。

何故、関わったのかと言えば、国防のためだったのです当時の半島はロシアの南下政策を抑える上で、さらには自国の防衛のため、極めて重要な位置にありました。そのため、関わらざるを得なかったのです。経済的にそれほど余裕があるような状況ではありません。はっきり言って、併合はお荷物ですし、安全保障問題がなければ関わっていないと思います。

しかし、併合をした以上は、その責任感から日本は朝鮮半島を本国(内地)と同じように考え、インフラ整備や教育環境を整えようとします。鉄道を敷き、帝国大学までつくり、各地に学校を造りました。そういった日本の努力を一切見ようとはしない人たちであることを、この間の経験で知ったと思います。人間の中には、誠心誠意尽くしても、結局すべて悪い方にとってしまう人がいます。韓国を含め、半島の国は、そういう国だと多くの日本人が思い始めています。

石平氏は「通信使の時代から現代に至っても、半島の人々は何も変わっていない。われわれは彼らとの付き合いには気をつけないといけない。あるいはそもそも、彼らと一切付き合わないのはわれわれにとってのもっとも賢明な選択肢であるかもしれない。歴史の教訓からみれば、彼らとはやはり、関わってはいけないのである」(前掲書 195ページ)と言っています。首肯できる意見だと思います。

徴用工判決に基づいて日本企業の資産の売却が実行され始めた場合、それを合図に日本大使館、在韓の日本企業は撤退の準備を始める必要があると思っています

読んでいただき、ありがとうございました。

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