「立憲民主党と国民民主党との合流の話が、また浮上してきました」
「ついこの間、それぞれの代表同士で話し合いをしましたよね」
「今年の1月ですね。何回か話し合いの場を設けましたが、結局破談となりました」
「どうして、また話し合いをするのですか?」
「新聞報道を総合すると、理由は2つですね。1つは、衆議院解散・総選挙の動きがあるということ。2つ目は、世論調査の支持率。立民が6.8%、国民が0.8%なので単独では自民と対抗できない……」
「だから、2党で力を合わせて対峙していきましょう、ということなんですね」
「そうですね。元を辿れば同じ政党に行きつきますしね」
「民主党・民進党ですよね。一時は、政権を取ったこともありますからね」
「失われた3年間ですね。ちょうど、3.11があった時です。だけど、それも含めて民主党・民進党が約20年間、政権政党あるいは野党第1党として日本の政治に関わってきたのです」
「その後、別れたのですよね」
「2017年の衆議院選挙で民進党が分裂したのです。その後、立憲民主党が結党され、2018年には国民民主党が出来ました。合流するかなと思ったのですが、合流せず、現在に至っています」
「同じ親から生まれたのに、随分性格が違うなって思っているのですが……」
「それは正しい見方でしょうね。立憲民主党の方から見ると、仲間のように見えるのかもしれませんが、世界観自体が違うと思います」
「ネットでそれぞれの政党のスローガンを検索してみました。立憲民主党は結党以来、「まっとうな政治」だそうです。国民民主党は「つくろう、新しい答え」です」
「スローガンが抽象的過ぎて、何を言いたいのか分からないですね。高校生でも、もう少しましなコピーを作ると思います」
「その言葉を聞いて、イメージが湧くのが良いスローガンだと思います。そして、そこには謙虚さがありつつも、目指すものへの熱き思いを感じさせるようなものが良いですね」
「今日は何か凄いことを言いますね。まあ、確かにその通りです。両党とも、独善的な感じしか受けません。自分たちが言うことが、すべて「まっとう」で「新しい」と思っていると受け止められるだけです」
「それぞれの政党の政策の違いについては、JAPAN CHOICEの政策比較コンテンツ でチェックしてみてください。(ここからが本論です)↓」
「まっとう」で「新しい」とは、何か
「まっとうな政治」(立民党)という禅問答のような題目をスローガンに掲げて政党活動をすること自体が「まっとう」ではありません。なぜならば、後で何とでも言い訳ができるからです。「新しい答え」(国民党)というのも同じです。何が言いたいのか、と誰でも思います。
「まっとう」の意味は、その人その人によって解釈が分かれてしまいますし、イメージしたものも一人ひとり違います。ただ、そのように漠然模糊とした言葉をわざと選んだと思っています。余りはっきりと自分の立場を言ってしまうと、他の政党と連携をしたいと思った時にマイナスに作用するからです。そして、お互いあいまいな言葉を掲げている者同士が、また合流協議をするという。ある意味、必然的な流れになっています。
ただ、政党助成金をもらって活動している政党であることを深く自覚して欲しいと思います。何が何だか分からないような内容の看板を掲げて選挙戦を戦い、国会内では政権政党の足を引っ張るのが仕事みたいなことをしています。良い悪いではなく、どのような政治姿勢なのかを明確に述べた上で、選挙運動をして欲しいと思っています。
中道という言葉は、冷戦時代の遺物
国民民主党は、「改革中道政党」を標榜しています。中道という言葉は、もはや死語ですし、現実の政治の世界ではあり得ない言葉です。例えば、どこかの国と同盟を組むという話が出た。組むか組まないかのどちらかです。憲法を改正するのか、しないのか、皇統を守るのか守らないのか、2つに1つです。政治は決断の連続であり、政治力は決断力です。中道ということは、常に保留ということでしょうか。耳当たりの良い言葉が通用する時代ではありません。そういう優柔不断な態度だから、立憲民主党からのアプローチを受けるのです。
国民民主党の玉木代表のインタビュー記事が『正論』(2020.7月号)に載っています―――「批判一辺倒では国民に響かない」、「憲法については積極的に議論していいと考えている」、「食料安全保障を憲法に書き込む議論をそろそろやるべき」、「本質的な地方分権の議論が必要」。そのように、きちんとした問題意識がありつつも、われわれ国民の方に響いてこないのは、軸足が「野党」に乗っかかっているからです。
玉木代表が考えている中身は、保守的であり与党の発想で今の政治状況を見ています。例えば、「今の異常事態における政府の対応について、どう思うか」という質問に対して、「一括して取りまとめている司令塔がない」とズバリ問題点を指摘されていますし、日本の技術が海外に流出している問題があり、その対策のために「外国為替および外国貿易法」を改正したのですが、「上場企業だけを対象にしても意味がない」と、その問題点を指摘されています。そういった問題意識が生かされる場面は、与党の中に入って政策の策定に関わることではないでしょうか。
政策立案型の保守政党が欲しい
社会や世界の動向を見て、政策を立案し、官僚組織を動かす力が政府や与党に求められていますが、官僚主導になってしまっています。つまり、力のある政治家が少なくなっているということです。議院内閣制の場合は、大統領制と比べて、どうしても意思形成が遅くなるきらいはありつつも、チームワークによって乗り切る必要がありますが、そのためには政策立案能力があり、バランスがとれた政治家が多く必要ですが絶対数が足りていないと思います。
そのように思った理由のうちの一つは、このブログ(5/16日)にも書いたのですが、検察官の定年延長問題において、あのような法案が閣議を通ってしまうことが信じられません。閣議のメンバーは20人いるのですが、少し法的な知識があれば、問題ある法案であることを見抜けたと思いますが、殆ど素通りしています。
それから、9月入学についての判断が遅すぎます。あの様なことは1日か2日で判断できるような事柄ですし、今後議論を続けるようなことではありません。大学共通テストを巡ってのお粗末な対応もありました。
実はその辺りのことについて、かなり前から李登輝が指摘しています――「1985年のG5プラザ合意以降、日本は急速な円高の中で、自分を見失ってしまったのではないかと思われることが多い。ことに、経済問題に関する政策決定の拙(つたな)さについては、国際的な批判もしかたがないだろう。その最大の原因は、私には現在の日本が、アメリカや台湾と異なり、あまりにも世襲制がひどくなったからではないかと思うのである。
この問題は、往々にして日本の社会問題について論じる際に指摘されるのだが、私はむしろ政治の世界こそ世襲の弊害が大きいのではないかとみている。たとえば、日本では、無名の若者が国会議員になろうと思っても、いまやほとんど不可能であることを考えれば分かるだろう。そしてまた、現在の国会議員のかなりの部分が、二世と三世に占められていることからも明らかだ」(『台湾の主張』PHP研究所.1999/78-79ページ)と指摘されています。
二世、三世の問題は今に始まったことではありませんが、その問題と「支持なし政党層」の受け皿づくりを考える必要があります。政党人はどうして、「支持なし政党層」をきちんと分析しないのか、不思議に思っていますが、彼らの動向や言動などを分析すると、保守政党の出現を待ち望んでいることが分かります。「和」の国のDNAを受け継いでいるのです。少なくとも、階級政党のような政党の活躍を望んでいる訳ではありません。実際に、立憲民主党が徐々に支持率を下げているのを見れば分かると思います。社民党は党そのものが消滅するでしょう。共産党は確実に党員と「赤旗」の部数を減らしています。
国民民主党が泡沫政党として消えるかどうかは、そのポジションをどこに置くかによって決まります。賢明な選択をされることを期待しています。
読んで頂きありがとうございました。
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