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音楽教育を重視した李登輝氏 / 「アイデンティティー」の形成のための音楽教育という捉え方

  • 2020年8月12日
  • 2020年8月13日
  • 教育論
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「昨日のブログで李登輝氏のことを話題にしましたが、実は彼が台湾で非常に成功したのは音楽教育だと言っているのです」

女性

「へえー、そうなんですか!」

「李登輝政権というのは1988年から始まるのですが、彼は「台湾アイデンティティー」の形成のための音楽教育という位置付けをします」

女性

「やはり目の付け所が違いますね」

「ある曲を聴いた時に人間は感情を動かされることがあります。千の言葉よりも1つの曲ですので、やはり目の付け所は流石だと思います」

女性

「確かに、戦後台湾の置かれた「政治的位置」を国民に伝えるのは、難しかったでしょうね。その微妙なニュアンスを音楽に託した訳ですね」

「李登輝氏は、台湾は大陸とは別の国と言いたいところですが、当時の国際的な政治環境を考えると、それを言う訳にはいかない。かと言って、中国の一部ということは言いたくない。そのジレンマの解決の途を音楽教育に求めたのです」

女性

「具体的に説明していただいても良いですか?」

「1993年に新しく台湾の小学校の音楽教育の目標が5つ示されます。その中でも「伝統音楽の重視」と「国を愛する心、ひいては世界を愛する心を育む」というのに注目して欲しいと思います」

女性

「日本にはない視点ですね」

「日本の伝統楽器を学校で習ったという話は聞きませんからね」

女性

「こういう話を聞いたことがあります。外国の音楽関係者が日本の学校を見学させて欲しいということで来るそうですが、一番驚くのは琴、三味線、太鼓といった日本の伝統楽器が学校にないし、教えてもいないことに驚くようです」

「伝統楽器もそうですが、歌い継がれてきた唱歌もひそかに消されています」

女性

「それは初耳ですね。理由は何ですか?」

「時代に合わなくなったということです。その代表例が『村の鍛冶屋』です」

女性

「鍛冶屋さんは、もういないということだけで、載せなかったのですか?」

「その他、長いとか言葉が難しいということで縮められているものもあります」

女性

「ここからが本論です ↓」

 芸術、芸能、スポーツなど特殊な才能を伸ばす教育の重要性 


音楽、美術、スポーツといったものも一つの大事な能力ですが、日本の場合は、それを表立って評価していませんし、そういったシステムが用意されていません

どういうことか。例えば、将棋の藤井棋聖は、普通科の高校に在籍しています。プロ棋士なのでタイトル戦も含めて、多くの対局戦がありますので、学校の授業どころではないと思います。定期試験も受けられないということもあると思います。その際に成績をどのように処理しているのか、向学のために教えて欲しいと思っている位ですが、普通の規定に照らせば退学かもしれません。

ただ、藤井棋聖を規定に合わせて退学にしましたと仮にしたとすれば、「何を考えているんだ」と社会から非難を浴びることは目に見えています。そのため、何か彼の状況に合わせた特別ルールを事後的に作って対応していると思いますが、本来はおかしな話なのです。

本当は、あらかじめそういった文化、芸術、芸能、スポーツの才能がある子のために、特別なカリキュラムに基づいた特別コースを用意すべきなのです。私立学校には、そういうコースを用意している学校がありますが、公立学校にはありません。これも本来は逆、つまり国公立の学校が率先して特別コースを用意すべきだと思います

特別なカリキュラムに基づいた特別コースのイメージが湧かないかもしれませんので、もう少し具体的に話をします。

1つの県のどこかの学校(小、中、高)に文化、芸術、スポーツコースを作りますカリキュラムは各個人の状況に合わせて組みます。担当教員は、教室で教えるというイメージではなく、生徒のスケジュールに合わせて授業、場合によってはオンライン授業をすることになると思います。ただ、学活や総合については、全員の参加を基本とします。1クラスの定員は、10名くらいでしょう。送り迎え、勉強のフォローについては保護者の全面的な協力という条件付きです。大会など公式行事優先で、遅刻、早退、欠席もOKです。高校では出席日数を進級、卒業の条件としません。卒業判定会議で承諾されればOKとします。

学校行事、例えばオリエンテーション、芸術鑑賞、修学旅行は生徒のスケジュールを優先して、合った期間にあわせて学校側が引率をするということにします。集団生活も彼らの成長を考えれば重要なことです。とにかく、すべてを生徒中心にまわします

台湾で李登輝氏はこういった特別コースを「音楽」について用意したのです。「音楽の分野では、台湾からいろんな天才が出てきて、世界各国で大活躍しています。小学校から中学校、それから高等学校、大学には一貫した『音楽教育』を施すための特別のコースやクラスをつくり、才能ある生徒なら誰でも分け隔てなく外国に留学できるような道も開きました」(李登輝『武士道改題』小学館.2003年/276ページ)。それが大変上手くいったと言っています。日本の文科省にも、こういう発想が欲しいところです


音楽教育の3つの意味


日本の文科省は、台湾とは逆に、音楽教育の意味がよく分かっていないのではないかと思っています。単に、歌を歌わせて、洋楽器を弾かせていれば良いだろうという発想です。そもそも、単に国家公務員試験に合格しただけの文科省のお役人に音楽教育がどうして分かるのでしょうか。その彼らに、学習指導要領を作らせるという、その出発点で間違っていると思っています。

音楽教育の捉え方は、台湾が正しいと思います。音楽文化という言葉があるように、日本文化を後世に伝えるという使命が学校教育に課されています。これが音楽教育の1番目の目的でしょう。日本には、三味線、太鼓、尺八、箏(こと)といった和楽器の文化があります。いつも思うのですが、どうして日本の学校でこういった楽器について触れる機会をもたせないのでしょうか。伝統芸能と楽器を子供たちに意識的に伝えて欲しいと思っています。

音楽教育の2番目の目的は、アイデンティティーの形成でしょう。長く歌い継がれた唄には、それなりの意味があります。意味が分からないので、教科書に載せないというのは、短絡的です。そもそも、音楽というのは、音を楽しむのが本来のあり様(よう)です。そんなことを言っていたら、洋楽は聴くことができません。日本語なので、歌っているうちに分かることもあります。家で口ずさんで、それを聞いた親がその意味を教えることもあるでしょう。教室で最初に教員が教えても良いと思います。

音楽で専ら使うのは右脳です。音に合わせて歌い、その歌詞を聞いてイメージを膨らませます。そこに日本の自然の風景が描ければ、立派な音楽教育です

音楽教育の3番目の目的は、友と歌声を合わせることにより、仲間の有難さを実感させることです。これも立派な音楽教育です。

 日本人は合唱が好きな民族です多分、長年の農耕生活で周りと力を合わせて様々な農作業をこなしてきた経験が、DNAの中に染み込んでいるのではないかと思っています。生徒たちの中には、いやいや練習するような子もいますが、自然にクラスがまとまり始めて熱心に練習をし始めます。最初からまとまって練習が始まることはありません。ただ、合唱コンクールが迫ってくると、クラスがまとまり始めます。毎年、大体そうなります。

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