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早稲田の創始者 大隈重信 ―― 良き国を作るには、教育が大事と考えた / 青年に期待して多くのメッセージを遺す

  • 2022年12月29日
  • 2022年12月29日
  • 歴史
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「前回は福沢諭吉について紹介しましたが、今回は大隈重信を紹介したいと思います」

女性

「福沢が慶応の創始者、早稲田の創始者の大隈を紹介してバランスを取ったのですか?」

「そういう訳ではないのですが、たまたま今年は大隈重信没後100年にあたる年なんです。そして、前回紹介した福沢諭吉とは同じ九州人で4つ上の先輩にあたります」

女性

「慶応と早稲田の創設者は、ライバルとして争った訳ではなかったのですね」

「そうですね。彼と福沢は活躍した分野が少し違います。大隈は総理大臣まで経験した政治家であり、教育に関心を持った人でした。福沢は思想家であり、政治に関心をもった人ですが、彼の政治家嫌いは有名でした」

女性

「接点がなかったということですか?」

「当初はお互い離れたところから、お互い毛嫌いしていたみたいです。ところが、ある酒席で2人は意気投合します。その時に、福沢から学校を設立することを勧められます」

女性

「それで早稲田を創建したのですね。ただ、政治と教育と掛け持ちですよね。彼はどちらを本当はやりたかったのですか?」

「彼の頭の中では2つのものが一つになっています。2つのものが上手くいって初めて国が発展すると考えたのです。現代において必要な視点だと思います。今の政治家に欲しい視点だと思いますが、教育について政治課題になることがありませんよね」

女性

「そう言われれば、確かに、そうですね」

「教育を保育と同じように考えているきらいがあります。日本が発展するかどうかは、今行われている教育次第なので真剣に考えなくてはいけない、という切迫感が余りありません」

女性

「日本の教育は比較的、上手くいっているし、文科省に任せておけば安心と思っているんじゃあないでしょうか」

「そういう狭い意味の教育ではなく、大所高所から日本の発展のために資する教育のあり方を考えて欲しいですし、自らも様々な機会を捉えて発信するくらいにならないといけないと思います。大隈重信はそれを行った政治家なのです」

女性

「スケールの大きな政治家だったのですね」

「彼が亡くなった時に日比谷公園で「国民葬」が行われています。当時の新聞報道によると会場に50万人(一説には30万人)、沿道に100万人の人出だったそうです。そして、それだけではなく、大阪、札幌、京城(現ソウル)、北京でも告別式が行われたそうです」

女性

「そうなんですか!  ここからが本論です ↓ 大隈公の写真は教育×文化WASEDAの提供です」

 明治、大正の激動期に活躍した政治家でもあり教育者

大隈重信は幕末から明治、大正の激動期に活躍した日本を代表する戦前の政治家でもあり、教育者です。彼は1838年に佐賀藩士の長男として生まれます。藩校の弘道館で蘭学を学び、長崎で英語を学び、語学力を買われて藩命で長崎に赴任します。その後、明治新政府の一員として活躍します。

山川の日本史教科書には、大隈については3つの場面で紹介しています。1つは、自由民連運動期に新しく制定される憲法の内容を巡って伊藤博文らと激しく対立をしたことです。これがいわゆる明治十四年の政変と言われる事件です。大隈はこれで一敗血にまみれて下野します。

2つ目は、外務大臣として条約改正に尽力したことです。英語力を買われての起用でした。ただ、交渉は上手くいかず、その交渉内容がリークされ、そのことに怒った右翼団体の一青年が爆殺を試みます。幸い一命は取り留めたものの、右足が吹きとばされ、そのため義足生活となってしまいます。佐賀県にある大隈重信記念館には、彼の右足が展示されています。


 

 教育の本質が分かっていた

3つ目は、早稲田大学の前身の東京専門学校を創設したことです。彼の教育観はどういったものだったのでしょうか。多くの言葉を遺しています。それを紹介しながら、彼の考えていたことの意義を探っていきたいと思います。

学問は脳、仕事は腕、身を動かすは足である。しかし、卑しくも大成を期せんには、先ずこれらすべてを統(す)ぶる意志の大いなる力がいる。これは勇気である」 (大隈重信)

一読して、これが何なのと思った人がいるかもしれません。彼のこの言葉を現代の教育関係者こそが噛みしめるべき言葉だと思っています。今の教育は、彼の言葉を借りると「脳」、「腕」、「足」を鍛えて、それで終わりと思っているフシがあるからです。

「脳」は学力、「腕」は技術力、「足」は体力ですが、大事なのはそれを統合する「意志の力」だと言っています精神という言葉に置き換えても良いかもしれません。それはともかく、教育の本来的な目的は後者ですが、今の教育は前者しか考えていません。学校は勉強さえ教えていれば良いと思っている人が多いような状況ですが、大隈に言わせれば、それは違うと言っているのです。

(「早稲田ウィークリー」)

 青年に期待して多くのメッセージを遺す

コロナに理由を付けて、大学の中には未だにオンライン授業をしているところもあるようですが、大学教育こそ学生に問い掛けを日々の講義の中で機会を見つけて問いかけて欲しいと思っています。

大隈ほど青年に期待を寄せ、青年に語り掛けた政治家はいないと言われています――「大隈伯はいかなる青年とも快く会って論議し、一たび青年問題に関して口を開けば、談論風発、その所論は実に的確であり、天下の青年は挙って耳目を欹 (そばだ)て、これを傾聴する」(『青年訓話』1911年)。

人はわがままな生き物です。全体に発しても響かなかった言葉でも、目の前の人がその言葉で感化されることもあります。デジタル技術が発達したと言っても、人の「思いやり波動」までを届けることは出来ません。教育は個別具体的なものです。全体に言ったことで終わりにするのではなく、出来る限り一人ひとりの状況に合わせてメッセージを届ける必要があるのです。その労苦を厭(いと)わず、様々な場面に於いて人生の先輩として後輩により多くのメッセージが伝えられる社会が、本当に心豊かな社会だと思います。

最後に彼の言葉を2つ紹介します――「怒るな。愚痴をこぼすな。過去を顧みるな。望を将来に置け。人のために善をなせ」。「諸君は必ず失敗する。成功があるかもしれませぬけど、成功より失敗が多い。失敗に落胆しなさるな。失敗に打ち勝たねばならぬ」。

彼の青年に期待する気持ちを汲み取って頂ければと思います。

(「九州旅行ナビ」)

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