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3/4世紀経った今でも充分な戦争総括が行われていない ―― 戦争も政治も俯瞰的に見ることが大事

  • 2022年12月24日
  • 2022年12月24日
  • 歴史
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女性

「前回は満州から命からがら脱出した稲毛幸子さんの体験記を基にした話でしたが、一つ質問して良いですか?」

「はい、何でしょうか?」

女性

「満州で敗戦を迎えた時、彼女は22歳です。ソ連兵の標的にならなかったのですか?」

「実は本の中にそのことが書かれています。いろいろ考えた挙句、彼女は顔に味噌でお化粧をすることを思い付きます」

女性

「味噌って、味噌汁にする、あの味噌をですか?」

「ソ連兵が2人銃を持って押し入ってきたそうですが、味噌を塗りたくった顔と味噌独特の臭いに、たまらず退散したそうです」

女性

「作戦勝ちということですね」

「何日間にわたりソ連兵が来たそうですが、味噌化粧のお陰でいずれも退散を勝ち取ることが出来たそうです。ただ、その後が大変だったみたいですよ」

女性

「どうしたのですか?」

「味噌にかぶれてしまい、顔が月面のクレーターのように凹凸に赤黒く腫れ上がって、唇はナマコのように分厚く腫れ上がり、とにかく悲惨な状態だったそうです」

女性

「とにかく、命が助かったから良かったと思います。グッドアイデアでしたね。しかし、負けて降伏してもソ連軍が攻めてきたのですね」

「ソ連軍だけではなく、彼女たちは満州の新京に辿り着くのですが、そこは中国の国府軍(中華民国軍)と八路軍(共産党軍)との戦場だったのです」

女性

「新たな困難が待っていたということですね。ここからが本論です ↓ 表紙の写真はプレジデントオンラインです」

 3/4世紀経った今でも充分な戦争総括が行われていない

「荒涼とした極寒地帯の凍土の中に、全裸のまま放り出されて眠る幾十万のシベリア抑留者たちの悲惨な遺体の山。満州の国境周辺で起きた開拓者たちの聞くも無残な集団自決。拉致、婦女暴行など数々の事件。その他さまざまな理由で帰国の夢を果たせず、無念の思いを残して逝った大勢の人たち。どれ一つ取っても、何の罪もない戦争の犠牲者でした。……」(稲毛幸子『1945わたしの満州脱出記』176ページ/ハート出版、2022年)。

無謀な戦争と誰もが言います。ただ、その戦争の名称すら定まっていません。第二次世界大戦、太平洋戦争、日中戦争、大東亜戦争—―考え方や立場の違いによって様々な名称が使われています。当時の日本の政府は、真珠湾攻撃の後、大東亜戦争と呼ぶということを決定していますが、教科書で専ら使われているのは、第二次世界大戦と太平洋戦争です。

大東亜からくる地理的イメージは朝鮮半島、中国大陸、東南アジアです。太平洋が入るイメージはありません。ただ、開戦は太平洋ハワイ島です。要するに、海軍は太平洋を主戦場とし、陸軍は大陸で戦ったのです。お互い別々の方向を向いて戦っていたのですが、これでは勝てる訳がありません。どうして、こういうことになったのでしょうか。明確な総括が今でも行われていないと思っています。そのため、教科書には事実だけが列記してあります。

(「普及版かみかぜよ、何処」)

 戦争の原因を探る

戦争は複合的に原因が重なって起きるものです。その原因としては、①日本国内の軍部独裁とも言うべき態勢、②アメリカの反日政策、③日独伊防共協定、④昭和恐慌が挙げられると思います

1 法的な欠陥と2つの軍事クーデター未遂事件(「15事件」と「2.26事件」)を通して、軍部が発言権を増していきます。法的な欠陥というのは、陸海軍の統帥権は内閣から独立していたことです。つまり天皇が統帥権を形の上でもっていますが、伝統的に日本の天皇は権限を行使しません。つまり、事実上の統帥権は参謀本部(陸軍)と軍令部(海軍)にあったのです。首相と陸軍大臣を同列なので、首相と雖も軍部に対して指令を出すことが出来なかったのです。ついでに言えば、参謀本部と軍令部に分けたため、どちらがイニシァティブを握るかを巡って対立が生じることになるのです。

2 日露戦争に日本が勝利をし、第一次世界大戦は戦勝国側にいましたので国際連盟(1920創設)では常任理事国(4か国)に入ります。黒船で脅した国があっという間に世界の大国の中に入ったことを一番警戒したのがアメリカです。この頃を境にアメリカが日本に圧力をかけてきます。ワシントン海軍軍縮会議(1920~21)。移民法(1924年)、これにより日本からの移民は全面的禁止となります。そして切り札になったのが経済制裁です。当時は鉄鉱石と石油の7割、工業機械は6割をアメリカから輸入していました。1940年6月に工業機械の全面禁輸、さらに翌年は石油も全面禁輸としたのです。

3 一番の疑問は何故、ヒトラーのドイツと軍事同盟を結んだのかということです。アメリカの対日圧力も一つの遠因となっています。日本は資源を求めて、東南アジアに軍事進出することになります。その地域は英仏の植民地が多くあります。ドイツがヨーロッパ戦線で圧力を強めれば、東南アジア地域の防衛が手薄になります。ドイツは日本との同盟はソ連に対する圧力になると考えたのです。ソ連からすれば、両サイドを警戒しなければなりません。当然戦力は2分されます。それを狙ったのですが、ソ連としては日本に対して悪しき印象を募らせることになったでしょう。

4 1929年の世界恐慌が日本にも波及します。当時の流行り言葉の中に「大学は出たけれど」というものがあります。戦前の大学生は今とは違って、「末は博士か大臣か」と言われる程の希少価値。大学も帝国大学、師範大学と早稲田、慶応といった私大がいくつかしかありませんでした。その大卒が就職難ですから、不況の凄まじさは推して知るべしです。国内にいては食べることすらできない。満州あるいはアメリカ、さらには南米に移民として多くの日本人が渡ったのです。

(「ホテルシーモアのお知らせブログ」)

  全体像を俯瞰した上で動くことの大切さ

以上、原因を概略的に説明しましたが、原因が揃って戦争が自然発生的に起きる訳ではありません。誰かがどこかで決断しなければ戦争は始まらないのです。真珠湾への攻撃から始まりますが、結局負けます。何故、負けたのか、これについても教科書には書かれていません。敗戦の事実、つまり、原爆投下→御前会議→ミズリー号での調印式→GHQの占領という感じです。現場で教えていた時に、本当に困りました。生徒達の疑問は、「なぜ」だからです。彼らは事実を知った後、「なぜ、起きたのか?」、「なぜ、負けたのか?」だからです。当たり前だと思います。なぜ、負けたのか、についても総括がきちんとなされていないと思います。そのため、自分の考えを授業で話をしていました。本来は、教科書にきちんと書かれる必要があります。そのための検定教科書だと思っています。

日本はこの敗戦から多くのことを今でも学べると思っています。完全に戦略ミスだからです。戦略が間違っていたら、戦術が正しくても、武器が豊富にあって、隊員がいくら優秀でも勝てません。なぜ、戦略ミスを冒したのか。要するに、全体像を俯瞰的に見ていた指導者がいなかったということです。実は、これは今の日本に通じるところがあります。

目先のことだけに心を奪われて、全体像、つまり10年後20年後を見て動いていません。サッカーの名選手はボールを見ながら全体を俯瞰して、どこにパスを送るのか、パスが通らなければドリブルかシュートかを瞬時に判断します。要するに、マクロの視点とミクロの視点です。両方に目配りすることによって、勝利が転がり込んできます。

仕返しだと言って真珠湾に奇襲をかけて、それが成功して喜んでいるようではレベルが低かったということでしょう。王手飛車取りと言った途端にその駒を取られてしまうようなものです。次の次を読んで攻撃をしなければ、笑い種になるということです。

(「TRANS.Biz」)

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