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「自分は何者なのか」を教えない国 ―― 偏差値教育の限界と、アイデンティティを失った若者たち / 「不登校量産教育」を行う文科省

女性

「栃木県で起きた強盗殺人事件ですが、実行犯4人が全員高校生だったそうです。驚きですね」

「高校に進学したものの、何のために進学したのか、自分の目標は何なのかがはっきりしていないと、「闇バイト」のようなものに引っ掛かってしまいます」

女性

「そうでしょうね。単に勉強だけさせていれば良いというものではないと思って心配になり、いろいろ検索していたらユニークな塾を見つけたのです」

「どういう塾ですか?」

女性

「リーダー育成塾「希動学園」というのです。静岡県の菊川市にあるので、通わせることはできませんが、東京でもこういう塾がもしかしたらあるのかなと思って……。地上波テレビの取材を受けたみたいで、Uチューブで、それを見ることができます」

「(「希動学園」で検索すればホームページからUチューブを見ることができます。それを見て、)子供たちが生き生きとして元気ですね。

女性

「勉強も教えてくれるのですが、それよりも挨拶とかコミュニケーション、プレゼンテーション、自分の目標を持つことの大事さを教えてくれているみたいなので、そこが気に入りました」

「21世紀の教育を先取りしたような塾だと思います」

女性

「ただ、本来は学校がそういったことをすべきではないかと、ふと思ったのですが……」

「おっしゃる通りだと思います。学校が塾のようになっています。勉強だけ教えて、後は知らないという感じになっています。これでは、不登校は増えてしまいます」

女性

「ここからが本論です ↓表紙は「地理おた部~高校地理お助け部~ライブドアブログ」提供です」

 「内なる違和感」が人生を動かす

『日経』(2026.5.18日付)に30年勤めた富士通を退職し、55歳で国立音大に入学して音楽教師を目指している男性の記事が掲載されました。小学校5年生までピアノを習っていたそうですが、「仕事しかしていない人生で良いのか」という疑問がふと湧いて、音楽教室に通い始めたことがきっかけとなったみたいです。

人間は不思議な生き物です。客観的に見て、何の問題もなく人生を送っているように見えても、本人の内側に、その生活に対して説明のつかない違和感が生じることがあります。単なる気まぐれではなく、人間の深層に存在する「自分らしく生きたい」という欲求が発する内なる声だと思います。

その声を、アイデンティティと言い換えても良いと思います。アイデンティティは、エリクソンが打ち立てた心理学概念であり、「自分は何者であり、どのように生きる存在なのか」を認識することです。自らの特性・個性・能力を理解し、それを社会の中でどのように生かしていくかという“人生の軸”です

55歳で音大に入学した彼にとって、音楽の道こそが本来のアイデンティティだったのでしょう。本来であれば、青年期にそれを確立すべきだったのですが、そういった機会も教えもなかったのでしょう

義務教育の最大の目的は、子どもたちに「自分は何に向いているのか」「社会の中でどう生きるか」を考えさせて、自らの可能性を発見させることにあるはずです。スポーツで勝負するのか、勉強を続けるのか、職人になるのか、家業を継ぐのか。大まかな方向性を定めるにしても、自分を見つめる作業が必要です。しかし、日本の学校教育は、その指導が極めて弱いのです

(「note」)

 「空気を読む教育」がアイデンティティを弱くした

心理学者エリクソンは、青年期(10代〜20代)の最重要課題を「アイデンティティの確立」としました。しかし、それをサポートしきれていない日本の学校教育・進路指導の構造は、不登校やひきこもりを生み出す決定的な要因になっています。

現在の日本の学校教育の原型は明治時代に文部省によって形成されました「富国強兵」のスローガンが掲げられた時代です。要するに、強い軍隊をつくって、欧米列強に対抗できる強い国にするというのが、国家目標でした。それに合わせて、人材育成が図られましたので、「個性を伸ばすこと」ではなく、「集団に適応できる人材」を効率的に育成することでした。“空気を読む”“和を乱さない”ということが強調され、すべて周りに合わせることが善とされる傾向が強かったのです。それから百数十年経っていますが、学校現場では基本的には同じことが教えられています。

周囲と同じ行動を求められ、自分の特性や個性を抑圧して生きていると、「自分の軸(アイデンティティ)」が育ちません。その状態で社会に出ると、「自分は何のために生きているのか」「社会に自分の居場所はあるのか」という不安に耐えきれなくなります。目標も持てず、自分に対して自信を持てず、社会との接点を失っていく。その結果として、「ひきこもる」というかたちでしか自分を守れなくなる人が増えていると思われます。

(「地理おた部~高校地理お助け部~ライブドアブログ」)

 偏差値教育では、人生設計ができない

日本の進路指導の多くは、本人の「特性や適性」ではなく、「偏差値によって、どの学校や企業に入れるか」というマッチング作業に重点が置かれています。これは戦後になって経済復興が大命題となり、「国力(経済)を底上げするため、一定以上の学力と規律を持った労働者を、大量かつ効率的に育成すること」が求められたからです。戦前は兵士、戦後は企業戦士を育成するために、学校教育が利用された側面があったのです。そして、どの部署(部隊)に配属するかは、採用した側が決める。変に「人生」を考えさせると、忠実に働かなくなるかもしれない。個性尊重は危険な考えだと思っているフシがあったのです。そのように、日本の学校教育は、「従順で均質な労働者」を育てることには成功しました。しかし、多様化した現代社会を生き抜くために必要な「個のアイデンティティ」を育む教育への転換は全くできていません。ここに問題の本質があります。

なぜ、文科省はアイデンティティに基づく指導をしないのでしょうか一人ひとりのアイデンティティ(個性や内面)に寄り添う教育は、非常に手間と時間がかかります。限られた予算と人員の中で、国家を発展させるためには、「一律の基準(偏差値や校則)」で集団を管理する方が圧倒的に「効率的」だと思い込んでいるからです。

さらに、アイデンティティや特性、適性といった個人の内面は、数値化が難しく、評価基準が曖昧になりがちです。これを進路指導の基準にすると、「なぜこの生徒が選ばれ、自分が落とされたのか」という明確な証明が難しくなります。文科省が最も恐れるのは、国民やメディアからの「不公平だ」という批判です。そのため、一目瞭然で言い訳ができない「ペーパーテストの点数(偏差値)」を基準に据えざるを得なくなってしまっているのです。

実は、文科省も近年、「個に応じた教育」や「キャリア教育の充実」を掲げてはいますが、学習指導要領の文字の上の変更にとどまっています。しかし、「入試の選抜方法」や「新卒一括採用という社会構造」そのものにメスを入れない限り、現場の指導が根本的に転換することは難しいでしょう。

アイデンティティに基づく進路指導を実践するには、教員が心理学やキャリアコンサルティングの高度な専門知識を持ち、かつ生徒一人ひとりと向き合う膨大な時間が必要です。しかし、教育予算が絶対的に少ない中、特に公立学校の現場は教員の長時間労働や業務過多(部活動、事務作業、保護者対応など)が深刻化しており、科学的知見に基づいた「個の育成」を行うための精神的・時間的なリソースが完全に枯渇しています。文科省の「全国一律教育」が続く限り、不登校、ひきこもりは今後も増え続ける可能性が高いと思われます。

(「朝日新聞」)

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