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これからの学校教育のあり方について(3)――学校の5つの役割

(この文章は2/29日に書きました)

この記事の著者
中高一貫校で社会科の教師として37年間勤務する傍ら執筆活動にも力を入れる。
著書多数。
詳しくはトップページプロフィールより。

日本人はオレオレ詐欺に引っかかりやすい

女性
子供が来週から休校だと言って、今日、学校から一杯荷物を持って帰ってきたのよ
えっ、もう決まったのですか。あれは、あくまでも「要請」なので、その通りにしなくても良いのですよ
女性
私もそう思うし、急に決められても困っちゃうなと思って……。勤めもあるし、子供の面倒を見なくちゃあいけなくなったし……。コロナと言っても、公立の小、中学生は地元の学校に通っているので、関係ないのにね
まあ、ここ1,2週間を乗り切りたいということなんでしょう。まず子供の動きを止めてから、大人の動きを止めようということだと思いますけどね。ただ、感染者や死者が多い中国や韓国からの乗り入れ便をまず止めることが先決だと思いますけどね
順番が逆ということですね。
相手国への配慮、旅行業者への影響、観光立国と言っている手前もあるでしょう。様々なことがあり、決断が出来ていないと思います。
トップは決断と実行ですけどね。
そういう中で、日本の社会が少しパニックになりかかっているので、用心した方が良いですよ。
何か、ありましたか?
必ず、こういう時はデマが拡散します。そして、日本人はそういうデマに乗りやすい。トイレットペーパー、テイッシュペーパーがなくなるというデマが飛び交っています
あれはデマだったのですか? だけど、スーパーで貼り紙がしてありましたよ。トイレットペーパーとテイッシュペーパーは、合わせて2点でお願いします、と。そして、肝心の商品は全くありませんでした。
昨日のニュースでも言ってたでしょ。落ち着いた行動を、と。一人が慌てると、連鎖反応でみんな慌てます。付和雷同は日本人の得意技なんです
どうして、それが得意技なんですか?

国家を一つの家というイメージで捉えるのが、日本人の国家観なのです。どこにも「敵」はいないですよね。権力者とも民は手をつないでいます(もちろん、例外はありますよ)。だから、周りから何か言われたら、まずは信じるというDNAが体内に入っています。
女性
「おれおれ詐欺」に引っ掛かりやすいというのは、こういうところに原因があったのですね。



学校の5つの役割 ――不幸は海の向こうからやって来る

ここで言う学校は、小学校から高校までを想定しています。日本という国は二千有余年の歴史がありますが、その歴史を存続させる意義を伝え、後継者としての意識を高めるという大きな役割が学校教育に課せられていると思います
それに対して、そうはさせじというアンチの力が国内外から働いています。「不幸は海の向こうからやって来る」というのは、歴史的、現実的に見た上での結論です。

共産主義もコロナウイルスも、海の向こうからやってきましたどちらも、招かざる客人です。目に見えないウイルスに怯える人間の姿は、ある意味こっけいかもしれません。ウイルスは分かっているだけでも数百種類あるそうです。人間の周りに至る所にいますが、それに感染する人もいれば、感染しない人もいます。ウイルスは自分と相性が合う細胞に引っ付きます。細胞が誤ってウイルスを取り込んでしまうと、今度はウイルスが細胞を乗っ取り、自分の分身を大量に作らせます。増えたウイルスが細胞を飛び出し、他の細胞にくっつくということが繰り返されます。これがウイルス増殖のメカニズムです。

共産主義の増殖も同じ理屈です。共産主義の根底の哲学は唯物論です。観念というものは、高度に集積した物質である脳が生み出した作用であり、その脳を有する人間が最高の存在と説きます。その当然の帰結として、人間中心主義となります。この大自然の中から生まれた人間が、自然の支配者であるはずがありません。傲慢な考えと発想が一党独裁の共産主義思想を生み出しました。学校教育は、この影響を受けないようにすることが肝要です。

ⅰ) 学校は、文化を系統的に学ぶ場所

日本は古代以来一つの王朝が続いている伝統国です。それは、まぎれもない事実です。日本以外にそのような国はありません。ユーラシア大陸は、いろいろな民族が勃興を繰り返し、多くの王朝や国が興っては消えていきました。戦いや争いが多かったため、多くの決まりや法的概念、そして言葉が生まれました。そのことだけを捉えて、欧米諸国の方が進んでいるかのような錯覚を時として起こすことがありますが、逆だと思います。

そのような日本に生まれて、その国民の一員として、その伝統と文化を正しく受け継ぐ必要があると思います。学校は、今まで日本人が長い歴史の中で形成してきた文化を系統的に学ばせる義務があると思います。

一口に日本文化と言っても、かなりの数にのぼります言語は文化であり、基本中の基本です。ひらがな、カタカナ、漢字と、表音文字と表意文字という2つの文字を使う民族は世界にはいないと思います。それを筆で書く書道は中国発祥の日本文化です。行書、楷書、草書などいろいろな筆記体があります。
道とは、人生を意味しています。日本人は、何でも人生探究の道具にしてしまうところがあります。その他、華道、茶道、剣道、柔道があります。国歌の意味について、小学校でしっかり理解させて欲しいと思っていますし、和楽器くらい音楽室に用意されたし、と思います。給食の時に、箸の正しい持ち方を教え、何かの機会に元号について教えてあげて下さい。
文化の伝承が無くなると、民族は滅びの方向にシフトし始めます。系統的にどの学年でどのように教えるか、カリキュラム的な提案をする必要があります

ⅱ) 学校は、多くの仲間と関わりながら、協調、思いやりなど社会のルールを学ぶ場所

日本人はこのことを、地域の子供集団との関わり合いの中で、知らず知らずのうちに様々なことを学んでいました。
がき大将がいて、集団を統率し遊びの計画を立てます。年齢的に同じように遊べない子も仲間に入れて、「ミソ」というハンディを与えます。「ミソ」は捕まっても鬼にはなりません。そこには、実質的平等の考え方が見受けられます。
喧嘩をして泣いて帰ることもあります。がき大将が仲裁に入って仲直りをさせて、また一緒に遊びます。かくれんぼやあんたがたどこさ、ケン玉、コマ回し、女の子であればゴム飛び、ままごとゴッコでしょうか。
何をして遊ぶかは、集まった人数とメンバーを見て決めます。がき大将が決めることもあれば、多数決のこともあります。

このような遊びを楽しむ子どもの姿を、殆ど見ることができなくなっています。それとともに、学校現場でいじめが横行するようになっていきました。遊びを通じて、人への思いやりや仲間の大切さ、さらには体力を知らず知らずのうちに身に付けることができるのです。
このような日本の地域に伝わる伝承遊びを伝えていこうという動きがあります(「地域伝承遊び」で検索してみて下さい)。かつては、小学生くらいまでの子供たちが近所の空き地で遊んでいたのですが、それを学校教育の場面で意識的に伝える作業が必要な時代となりました。中学生、高校生でも楽しんで出来ると思います。

私の大学は教員養成系の大学であったこともあり、大学の体育の時間に「手つなぎ鬼」をしました。最初に説明があった時に「大学に入ってすることなのか?」と疑問に思いましたが、その数分後には夢中で遊んでいた自分の姿がありました。中学生、高校生でも充分楽しめます。



ⅲ) 学校は、身体を動かす意義と楽しさを学び、人生100年時代の基礎固めをする場所

日本人の男女の平均寿命は、80歳を超え、世界トップレベルですが、問題なのは健康寿命です。男性が72歳、女性が74歳です。健康寿命を伸ばすためにも、健康な身体を手に入れるための知識を学ぶ必要があります。

そのためには、学校に入学した時から計画的かつ体系的に学ぶ必要があるでしょう。「スポーツは、すべての人々に対して、教育と社会化の重要な場としての機能を果たし、個人の楽しみ、社会的関係・融合の貴重な機会を提供する」(ヨーロッパ・スポーツ閣僚会議(1995)リスボン宣言/池田勝「生涯スポーツの社会経済学」より」)ので、単なる運動という捉え方ではなく、学校生活を通して、自分が生涯付き合っていくことができるスポーツを発見する場でもある、との位置づけで捉えたいものです

ⅳ) 学校は、偉人が時代の中で考え歩んだ人生を学ぶ場所

 道徳が教科化され、教科書が作成され、評価の対象となりましたが、だからといって子供たちが急に道徳的に行動し始める訳ではありません。ここが、AIと人間の大きな違いです。このメカニズムの違いについて、多分、文科省のお役人には分からないのではないか、作成された教科書の内容を見て思いました。

 道徳というのは先人の生き方を学ぶ中で、自分だったらどうするかを考え、そして自分の今までのやり方や考え方ではダメなのだと思い、さらに新たな行動に踏み出すことが出来るきっかけを与えるものが望ましいと思います。

 生徒は、読解力はなくても感性はあるので、表面的なつくり話には反応しません。AIに知識を詰め込むような発想で、道徳的行動について解説した教科書を作成しても何も変わらないと思います。

手元に中学3年の道徳の教科書(『新しい道徳』東京書籍)があります。素朴な疑問は、どうして偉人の伝記がないのか、です。テニスで言えば、最初に上手い人の打ち方を見て学ぶ。偉人の伝記は最適なモデルなのです。しかも歴史の勉強にもなります。一挙両得なのです。
その手本と見比べながら、自分の生き方のフォームと見比べます。そこに反省が生まれて、あの人が生きたようにと目標をもって生活をしてみようと思わせることができたならば、道徳の授業としては大正解です子供の行動を変えるきっかけを作ったからです。人の行動を変えるのは、大変なのです。AIとは、ここが違います。人間がやっかいなのは、上手い人のフォームを見たからといって、私もそうやって打ってみたいと思わない人がいるからです。最初から出来ないと、あきらめる人もいるからです。

そういう観点から教科書を見た場合、教材として使えるものは、三浦雄一郎氏の「より高い目標を目指して」と「恩恵に感謝して」、そして「価値をめぐって」くらいです。「価値をめぐって」は、幸せについて考えさせる上では面白い教材だと思います。
それ以外は、申し訳ないですが、「わざとらマン」です。つまり、獲得目標があり、それに合わせた話がそこに載っているというだけです。例えば、「安全で健康な生活」の単元のところに「早朝ドリブル」、「スマホに夢中」があります。題を見ただけでおよそ内容は見当がつきます。先が見える話ほどつまらないものはありません。まさに、その典型です。そこには、人間をまるでAIロボットと考え、一生懸命プログラムを注入しようとしているように見えます。人間はそんなに単純な生き物ではありません


ⅴ) 学校は、自己のアイデンティティを確立し、自分の進路を発見する場所

このテーマは、中学生から高校生のテーマです。アイデンティティとは、自己同一性と訳しますが、簡単に言えば自分とは何者かを解明することです。自分の中にある自分の特徴の発見作業のことですが、そのためには周りの人(できれば家族以外)の意見を聞く必要があります。

人は何らかの役割をもってこの地上世界に来ています。一人ひとり姿、形が違うのは、そのためです。人は自分のことが一番分からないように創られています。だから、周りの人との対話の中で、自分を発見するようにします
自分自身を発見した後は、社会のどの分野で自分を活躍させるかを考えます。自分の思いだけでは、人生は歩めません。人には適、不適があるからです。ある程度定まったならば、自分で文章化(700~800字)します。その中には、それを目指す理由、手順をできるだけ具体的に書きます。書きあがったものは、机の引き出しの中に入れておいて下さい。現実がその実現に向けて動き始めると思います。もちろん、あなたの努力がなければダメですよ。

読んで頂きありがとうございました

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