ようこそ日本の危機へ!このブログでは主に最新のニュース、政治、教育問題を取り上げております。

ゲノムから見えてきた「日本人とは何者か」――  縄文人からアイヌ・琉球・本土へ / 日本列島人の起源をたどる

  • 2026年8月22日
  • 歴史
  • 33view

「日本人の成り立ちについて、最新科学による地道な研究が行われています」

女性

「このブログでも、前に紹介したと思います」

「「ヤポネシアゲノム」プロジェクトのことですね。2023年の3月で5年間の調査が終わり、9月に都内でシンポジウムが催されました」

女性

「ところで、「ヤポネシア」というのは、どういう意味ですか?」

「ラテン語で日本を意味する「Japonia(ヤポニア)」に、ギリシャ語で島々を意味する「nesos(ネソス)」を組み合わせた「日本列島」という意味の造語です。作家の島尾敏雄氏が名付け親ですが、アジアの東に浮かぶ日本を解明しようという意味が込められています」

女性

「ついでにゲノムを教えて下さい。ゲノム解析といいますよね。遺伝子解析とどう違うのですか?」

「遺伝子解析は遺伝子情報の特定の分野について調べます。ゲノムはDNA全体を調べます。例えるならば、本1冊を調べるのがゲノム解析ですが、遺伝子解析は本の中の特定分野を1,2行読むという感じです」

女性

「ゲノム解析ができるようになったので、様々なことが分かるようになったのですね。いつ頃から出来るようになったのですか?」

「2005年以降に爆発的に進化したデジタル・テクノロジーの恩恵によるところが大なのです」

女性

「これからも技術の進化に合わせて、何か分かってくることもあるでしょうか?」

「技術の進化も大事ですが、様々な学問分野の方が協力して日本のことを突き止めていくことが大事だと思います。そうすることによって、科学的な歴史が語られる土台が作られていくと思っています」

女性

「ここからが本論です ↓ 表紙は「科学技術振興機(JST)」提供です」

 ゲノムが明らかにした「日本人のルーツ」

自分は一体何者なのか。それを仮に知ったからといって、現在の自分の生き方が大きく変わる訳ではありません。であれば、別に知らなくても良いのではないか。そう思いつつ、だけど分かるならば知りたいと思います。自分が住んでいる国に対しても同じような感情を多くの日本人は抱いているのではないでしょうか。

2人の会話にある「ヤポネシアゲノム」プロジェクトによって多くのことが分かりました。氷河時代と呼ばれた時代があります。現在より寒冷で、大量の水が氷床として陸上に蓄えられていたため海面が現在より120メートル以上も低く、現在の本州・四国・九州は一つの巨大な島(古本州島)を形成し、そして一部は陸橋化していました。北海道はサハリンを介して大陸と陸続きとなり、本州・四国・九州も現在よりはるかに大陸に近い地理的環境にありましたが、主に2方向から日本列島に移動してきたと考えられています。縄文人の祖先がどの経路で列島に到達したのかについては複数の説がありましたが、古代ゲノム研究によって、その系統関係が次第に明らかになってきました。多くはアジア東端を北上するという「南回りルート」の集団で、そこにシベリア・樺太方面の「北回りルート」からのごくわずかな遺伝的流入が加わったということが分かったことです。

そのように氷河時代(旧石器時代)に大陸からいくつかのルートで移動してきた人々が、温暖化で氷が解けて大陸と切り離されます島国となり、列島内で長期間にわたって他集団との遺伝的交流が限定され、列島内の複数の集団が交流・混合する中で、世界のどの集団とも異なる独自の遺伝的特徴を持つに至ったのが「縄文人」です。先住民であり、「原日本人」ということになります。現代の日本人は、この縄文人の遺伝子を1割~2割程度有していることが分かりました。そこに、弥生時代、さらには古墳時代に大陸から来た人たちとの交配が進み、現代の日本人という独自の「集団」が形成されたという「三重構造モデル」が有力になっています。

(氷河時代の日/「豊橋市:とよはしアーカイブ」)

 縄文人が築いた「定住社会」と日本列島の基層

縄文人の直接の祖先となる集団が、大陸の他の東アジア集団から枝分かれして日本列島へと移動した決定的なタイミングは、約2万7,000年前〜1万9,000年前の「最終氷期最盛期(LGM)」と呼ばれる氷河期の最も寒かった時代です。その後、約1万7,000年前以降の温暖化によって海面上昇が起き、日本列島は大陸と切り離され、ほぼ現在の形となります。列島に取り残された人たちによる混血が1万年以上にわたって進みます。これが「縄文人」と言われる人たちです。

かつては、縄文時代は狩猟採集時代と考えられていましたが、定住生活を証明する遺跡がいくつか発見される中、その歴史が大きく書き換えられようとしています。現在では、南九州の上野原遺跡などの発見により、縄文「早期」(約1万1000年前〜)にはすでに本格的な定住集落が確立していたことが分かっています。上野原遺跡が発掘されたのは1986年です。1997年(平成9年)にはその大規模な集落の全貌が明らかになり、1999年に国の史跡に指定され、現在は「鹿児島県上野原縄文の森」という歴史公園として整備されています。縄文「前期」の三内丸山遺跡に注目が集まっているように思いますが、上野原遺跡の方が約4,000年も古く、その地での定住生活は2,000年に及びます。調理施設などに利用されたと考えられている「集石遺構」や燻製保存用の施設であったと思われる「連穴土坑(れんけつどこう)」の遺構も見つかっています。豊かな森と海の恵みをハイテクな方法で調理・保存しつつ、皆で共同生活を送る。多分、平和な日々であったろうと想像します。現在までの発掘成果からは、大規模な戦闘を繰り返した社会像は浮かび上がってきません。豊かな自然環境を利用しながら長期間にわたって定住生活を営んだ縄文社会が、どのような共同体秩序を持っていたのかは、非常に興味深い問題です。

従来、論争があったアイヌ人、琉球人ですが、今回のプロジェクトによって、それぞれ「縄文人」の特徴を持った集団だということが分かったそうです。つまり、アイヌ、琉球、本土の3集団は、いずれも「縄文人(先住民)」という共通の基盤を持っているということです。そして、アイヌ集団ではゲノムの約70%、琉球列島集団では約30%、本土日本人では10~20%程度が縄文人に由来すると推定されています。要するに、「アイヌ > 琉球 > 本土(ヤマト)」の順で、縄文人のゲノム(先住民の成分)を多く受け継いでいることが分かったのです。

(上野原遺跡出土品/「星降る縄文高地の縄文世界」)

 日本列島は「一つであり、多様だった」

プロジェクトの大きな特徴は、言語学の観点から、「日本語」「琉球語」「アイヌ語」の比較が行われたことです言語学では、日本語と琉球諸語は共通祖語から分岐した「日琉語族」に属する一方、アイヌ語は現在のところ他の言語との系統関係が確認されていない独立した言語とされています。アイヌの人々は、縄文人の血筋をベースにしながら、7〜13世紀頃にサハリン(樺太)やオホーツク海沿岸から南下してきた「オホーツク文化人(ニブヒなど北東アジアの系統)」とも遺伝的に深く交じり合っていることがヤポネシアゲノム等で判明しました。これは本土(ヤマト)人にはない独自の遺伝的ルーツです

従来アイヌの人々がどのような過程で形成されたのかについては、考古学・人類学・歴史学で長く議論されてきました。最新のゲノム研究によって、北海道の縄文人を重要な基盤としながら、オホーツク文化人や本土側の集団などとの交流・混合を経て形成されたことが明らかになってきました。言語,習慣も含めて独自の集団(民族)に分岐したことが今回のプロジェクトで分かったことだと思われます。それも含めて、「日本列島は、共通の縄文人の基盤を持ちつつも、北と南と中央でそれぞれ異なる歴史を歩んだ多様な人々(マルチ・エスニックな世界)によって形作られてきた」国であることが分かったのです。

今回のプロジェクトは、人間だけでなく、動植物のゲノム解析をしたことが特徴です。イヌ、ネコ、ハツカネズミ、イネといった人間にとって身近な動植物のゲノム解析をしています。イネについても複数の遺伝的系統が確認され、日本列島への伝播が単純な一回限りの出来事ではなかった可能性が示されています。それぞれの渡来集団の手によって別々のルート・時期に日本列島へ持ち込まれ、最終的に日本国内で定着したことが分かったそうです。

こうした研究成果を知的財産として後世に遺すため、朝倉書店から2025年に『シリーズ〈ヤポネシア人の起源と成立〉』(全4巻)が刊行されました。興味のある方は、お読みください。

ゲノム研究が明らかになったのは、「純粋な日本人」という集団が太古から存在していたという歴史ではありません。むしろ日本列島では、縄文人を基層としながら、時代ごとに外部から来た人々との混合が繰り返され、その中から現在の日本列島人が形成されてきました。その一方で、列島の北・中央・南では混合の割合や歴史が異なり、それぞれ独自の文化と言語を育ててきました。「共通性の上に多様性がある」――それがゲノムから見えてきた日本列島の姿なのかもしれません。

(「朝倉書店」)

読んでいただきありがとうございました。

よろしければ「ブログ村」のクリックをお願いします。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村

最新情報をチェックしよう!