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「封建社会」という用語が日本史の舞台から退場しつつある ―― 西欧の農奴社会と日本の村落社会は同じではなかった /  (週3回の配信です)

  • 2026年8月18日
  • 歴史
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「NHKで手塚治虫の自伝的ドラマを放映していましたが、見ましたか?」

女性

「見逃したと思います。どんな内容でしたか?」

「『手塚治虫の戦争』という題名です。8月12日にNHK総合およびBSP4Kにて、特集ドラマとして放送されました」

女性

「見逃し配信で見てみますね」

「手塚治虫と言えば、マンガの神様ですからね。私たちの世代からすれば憧れの人でした。悲惨な青春時代を送られたのだなと思いました」

女性

「当時は、戦争一色の時代でしょ」

「彼が16歳の時に終戦を迎えていますが、その時点で漫画を描いていましたし、漫画家になることを決めていました。ただ、当時は漫画を自由に描くことはできませんでした。マンガを描いたため「非国民」と言って袋叩きになったこともあったようです」

女性

「まあ、ひどい!」

「今では考えられないような時代だったのです。日本人は極端から極端に走る傾向があります」

女性

「いつも思うのですが、それは何故でしょうか?」

「島国という、ある意味「閉鎖的な空間」に住んでいることと関係があると思っています。しかも、権威に弱い国民性です」

女性

「上の方が間違えると、それに右倣えをしてしまう傾向があるということですね」

「そういう実例は、戦争だけに限らず、いろいろあります。1つずつ指摘していきたいと思いますが、今日は封建社会という言葉を取り上げてみたいと思います」

女性

「ここからが本論です ↓ 表紙は「歴史総合ドットコム」提供です」

 「封建社会」という概念はどこから来たのか

環濠集落という呼び名で説明されていますが、中国や朝鮮を含めてユーラシア大陸では古くから、集落や都市を堀や塀、土塁などで囲み、外敵から住民や財産を守るということが広く行われてきました。こうした外の蛮族から共同体を防御するという発想は、その後の城壁都市にも受け継がれていきました。ただし、「誰を、何を、どこまで囲んで守るのか」は、地域や時代によって大きく異なっていました。

中世ヨーロッパでは、城壁に囲まれた都市が各地に形成される一方、その周辺には広大な農村社会が広がっていました。都市では聖職者や貴族だけではなく、商人や手工業者などによる独自の社会が発達し、農村では領主を中心とする荘園制(manorialism)が広がります。そこには自由農民もいましたが、土地に拘束され、領主に労働や貢納などの義務を負う農奴も数多く存在していました。

領主と農奴とは土地を媒介にした支配・被支配の身分関係です。農奴が具体的にどのように扱われたのかについては、地域や時代、荘園ごとの慣習によって大きく異なりますが、一般的な傾向としては、土地への拘束が強く、職業選択や移動の自由は大きく制約されていました。荘園によっては、農奴が領外の者と結婚する際に領主への結婚税の支払いを求められるなど、婚姻や移動について様々な制約が設けられていました。農奴は奴隷そのものではなく、一定の土地を耕し、そこで家族の生活を営む権利も持っていました。しかし、近代的な意味での自由な農民とは大きく異なる存在だったのです。

その一方、城壁の内側は、都市の象徴である大聖堂をはじめとして、石造りの立派な邸宅、活気ある市場、高度な教育を行う大学など、最先端の富と文化が凝縮されていました。そして、その都市生活を食料生産の面から支えたのが、周辺に広がる農村社会でした。そこには自由農民とともに、土地に拘束され、領主に労働や貢納の義務を負う農奴も数多く暮らしていました。城壁の中には豊富な食料とまばゆいばかりの生活がありましたが、その外側には、ぬかるんだ道、粗末な藁葺きの小屋、過酷な労働に縛られる農奴の暮らしがあったのです。

このような社会をどのような用語で説明するのか。ヨーロッパの学者たちが「Feudalism(フューダリズム)」と名付けたのです。本来、狭義のFeudalismは、領主と農奴の関係そのものではなく、主君と家臣との間で封土を媒介として結ばれた主従関係を中心とする概念です。一方、領主と農奴との関係は荘園制(manorialism)として区別されます。しかし後世になると、こうした政治・経済・身分関係を広く包含して、中世ヨーロッパ社会を「feudal society」と捉える考え方が広まりました。そして、この概念が日本に導入され、「封建制」「封建社会」などと訳され、日本の中世から近世にかけての社会を説明する言葉として定着していったのです。

(「Yahoo!ニュース-Yahoo!JAPAN」)

 日本の農民は「農奴」だったのか

日本の近世の百姓には、田畑・屋敷などについて強い所持権が認められていました。江戸後期には、御家人株の売買や養子縁組などを通じて、富裕な町人・農民が武士身分に入る例さえありました。移動の自由もあったので旅行も出来ましたし、結婚も自由でした。一方の農奴はまさに、一生農業に従事する奴隷のような存在でした。また、武士はヨーロッパで言うところの領主とは違います。あくまでも管轄する土地から税金を徴収する権利を有していただけなので、少なくとも西欧の領主―農奴関係を、そのまま日本の武士―百姓関係に重ねることはできません。

そもそも、日本の村は単なる行政末端ではなく、村掟を定め、年貢徴収、入会地の管理、治安維持、紛争処理などを共同で担う、強い自治機能を持った共同体でした。西洋の農奴が領主によって一方的に裁かれていたのに対し、日本の農民は、自分たちの法で仲間を裁き、武士の介入を拒んでいました。この村落自治の存在を抜きに、日本の武士と百姓の関係を西欧の「領主―農奴」関係と同一視することはできません。

問題なのは、西洋の「領主-農奴」と日本の「武士—農民」が織り成す社会、少し調べれば似ても似つかない社会ということが分かるのに、どうして「封建社会」という言葉を日本の歴史に当てはめたのでしょうか。講談社から1974年に『総合講座 日本の社会文化史 第二巻 封建社会』が出版されています。その冒頭部分で次のようなことが書いてあります――「いまでは封建社会という言葉は教科書でも採用されていて、日本歴史の発展の一段階として、武家社会といわれる6世紀以上にわたる時代の特徴をさすものとしてだれしも疑わないほどになり、封建制とよばれる政治・法律・社会・経済制度のみならず、そこで生まれた文化的諸局面をも含めて、その構造が明らかにされつつあるわけであるが、……」。

さらに、「日本の封建社会は、古代律令制社会の解体とともに発生し、近代資本制社会の成立とともに消滅したが、……」(同上、17ページ)とあり、このような結論に至ることができたのは、「じつはたえまない緻密な研究の積み重ねがあるからだ」(同上、22ページ)としています。しかし、その「緻密な研究」の前提となっていた「封建社会」という概念そのものは、果たして十分に検証されていたのでしょうか。

(「マナペディア」)

 なぜ日本の歴史を「封建社会」と説明してきたのか

なぜ、このようなことが起きるのでしょうか。哲学者ベーコンが権威によって真実が歪められてしまうことを「劇場のイドラ」と名付けました。日本史研究にも、こうした「劇場のイドラ」に似た現象がなかったのか、検証する必要があります

権威の第一弾は、海外の研究家たちによって付されました。先鞭をつけたのはマルクスです。「日本がその土地所有の純粋に封建的な組織と、その発達した小農民経営……」を見た場合、ヨーロッパよりも遥かに封建的である趣旨のことを書いています(同上、13ページ)。さらに1950年秋、アメリカのプリンストン大学でトインビーも出席して研究会議が開かれた。「歴史における封建制」という題でしたが、日本を分担したライシャワー教授は9世紀から19世紀までの日本史上の事実が、西洋の封建制度の定義と叙述が大変に似ていることを強調しています。

そんなこともあって、日本封建社会を正面に据えた専門書が1950年代頃から次々と刊行されます。木村礎編『日本封建社会研究史』(文雅堂、1956)、伊東多三郎『日本封建制度史』(吉川弘文館、1949)、永原慶二『日本封建社会論』(東大学術叢書 東大出版会、1955)といったところです。これで完全に、日本社会は封建社会であったという“常識”がつくられ、教科書に書き込まれ、試験に出されて国民が一般常識的な知識として記憶するようになったのです。

歴史学は、マルクス主義(唯物史観)の影響が非常に強い分野であり、特に「封建社会」という概念は唯物史観にとって重要なワードであったことは間違いありません。ヨーロッパで起きた歴史の「発展段階」(古代奴隷制→中世封建制→近代資本主義)を日本も踏まえているはず、という思い込みで研究が進められていたのだと思います。しかし、古文書の解析を進める中で、日本には西洋的な意味での封建社会は存在しなかったという意見が近年の日本史・西洋史の双方の研究者によって強く主張されるようになってきました。教科書もそれを反映して徐々に書き換えられているのが現状です。

今後、「封建社会」という一つの概念によって中世から近世までを一括して説明する記述は、さらに後退していくのではないでしょうか。要するに、西欧で生まれた概念を使って、日本史を説明しようとした試みが破綻したということです。このようなことからも、日本は他国にはない独自の歴史を有していることが分かっていただけたと思います。

(「ユキドケの人生楽しくあそブログ」)

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