
「今日は8月15日、終戦記念日です」

「今年は終戦から81年です。首相談話が50年、60年といった節目ごとに出されてきました。昨年は石破首相(当時)が80年所感を出されました」

「談話ではなく、所感だったのですね」

「談話として出すためには、閣議で議論をして統一見解として出す必要があります。そうすると、個人の意見が反映されない可能性があります」

「それを避けたかったのですね」

「所感にした理由として、石破氏は「なぜあの無謀な戦争を避けることができなかったのか」を国民と共に考えたかったからと述べておられます」

「問い掛けは大事ですが、結局、投げかけただけで終わってしまったのですか?」

「石破氏はただ問題提起をしただけでなく、当時の日本が暴走した原因について、文民統制の欠如、議会のチェック機能の喪失、メディアの大衆迎合、精神主義の4つを挙げています」

「そうなんですね。すいません、あまり印象になかったものですから……」

「所感が出されたのが実は2025年の10月だったのです。参議院選挙の大敗もあり、その責任をとるかたちで内閣総辞職をしますが、その直前に出されたということもあって、内容の割には注目度は低かったのです」

「そういうことなんですね ここからが本論です ↓表紙写真は「循環型建築ネットワーク」提供です」
「あの戦争」はなぜ止められなかったのか
2人の会話にあるように、首相談話は閣議で決定しますので、次の内閣がその内容を引き継ぐのかどうなのかといった問題が出ますが、「(内閣総理大臣)所感」なので高市政権がその内容を政府見解として引き継ぐ法的義務がある訳ではありません。ただ、彼の問題提起は重要な内容が含まれていますので、考えてみたいと思います。
そもそも戦後80年の首相所感が「なぜあの戦争を避けることができなかったのか」でした。そういう問い掛けが出るということは、先の大戦も含めて、戦前についてきちんとした総括がなされていないということです。実際に、先の大戦の名称すら定まっていません。太平洋戦争、アジア・太平洋戦争、大東亜戦争、15年戦争など様々な名称が飛び交っています。未だに名称が定まっていない戦争によって、日本では約310万人の兵士、軍属と民間人が犠牲になったとされています(厚生省調べ)。今日は全国戦没者追悼式の日です。戦死者の霊はどのような思いでいるのかと思ってしまいます。呆れているのではないかとも思っています。
石破氏の問い掛けに戻ります――「なぜあの無謀な戦争を避けることができなかったのか」。先の大戦だけを見ていても、その問いの答は得られません。それは丁度、落ちるリンゴだけを仮に100万回見続けても何も分からないのと同じです。ニュートンは落ちるリンゴを宇宙の視点から俯瞰的に捉えたのです。そして、「確かに、北半球のリンゴは上から下に落ちるが、南半球のリンゴは下から上に落ちる」ことに気付きます。つまり、物事の真理を掴むためには、俯瞰的な視点が必要ということです。先の大戦を遂行した政権の源流はどこなのか。明治維新から始まっています。つまり、明治から終戦までの80年間を踏まえて考えなければいけないことなのです。

(「フォトライブラリー」)
明治国家が選んだ「帝国主義」という道
明治維新を境に日本は中央集権国家体制の下、富国強兵政策を採用します。当時の世界は帝国主義の時代でした。欧米列強は世界の各地を植民地として支配しながら国力を増大させていました。日本はそれに抗うのではなく、流れに沿った歩みを選択します。自らも列強と同じ帝国主義的な勢力拡張の道へ踏み込んでいきます。つまり、帝国主義の採用です。そして1889年の大日本帝国憲法制定を経て、中央集権的な国家体制へと軍事機構が制度化されていきました。「和」の国日本が、自分らしくない歩みを始めた瞬間だったのです。
その後の日清・日露戦争の主要な戦場となったのは、朝鮮半島から遼東半島、満州南部にかけての地域でした。いずれも朝鮮半島や満州をめぐる列強間の勢力争いという、帝国主義時代の性格を強く帯びた戦争でした。帝国主義戦争は勢力争いの戦争なので、両者が友好条約もしくは平和条約を締結するまで延々と対立が続くことになります。日清・日露戦争に勝ったと言って提灯行列や号外が出たそうですが、野球に例えれば、1回の表に点数が入っただけなのに、勝ったと言って喜ぶようなものです。問題なのは、実はそこから当事国とどのような関係をつくっていくかです。そちらの方が大事なのですが、そういう考えは殆どありませんでした。まるで、戦国時代の合戦のような感覚で戦争をしています。そのため、戦争が終結した後に講和条約を結んで終わりという感覚です。大事なのは、その後、旧敵国や周辺国との長期的な信頼関係をどう築くかということですが、その発想が大変弱かったのです。
ここで「なぜ、あの戦争を避けることができなかったのか」という問い掛けに戻りたいと思います。要するに、明治国家が帝国主義的な対外膨張の道へ踏み出した後にも、進路を修正する機会は何度もありました。しかし、日清・日露戦争の成功体験、軍部の政治的自立、満州権益などが積み重なり、次第に方向転換が難しくなっていったのではないでしょうか。坂道にブレーキが余り効かない車を置いたので、それが動き出してしまい、途中から加速がついて誰も止めることはできなかったのです。壁に激突してようやく止まったものの、車は大破してしまい、多くの犠牲者が出てしまったのです。

(「note」)
戦争を総括しないまま進む「軍事化」への懸念
問題なのは、ここからです。帝国主義を採用した政権と現在の政権は繋がっていますので、この一連の暴走劇について総括し、その結論を憲法に書き込む必要があります。特に、帝国主義についてどのように考え、どうするのかをきちんと書き込む必要があります。日本国憲法に平和主義の規定がありますが、日本の防衛力強化を歴史問題と結びつけて警戒する近隣諸国が存在するのも事実です。その疑いを晴らすためにも、日本自身の意思として、侵略戦争と帝国主義的な領土拡張を否定する理念を、改めて憲法の前文に書き込むなどして、明確にする必要があるのではないでしょうか。そして、自衛隊について条文の中に入れて憲法的に認知をし、自衛のための部隊であることを明記する必要があるのです。その上で、近隣諸国の誤解を解くための外交努力をする必要があります。
現在は、そのステップを踏まないで、軍事化を進めているようにも見えます。「防衛費のGNP1%枠」は1976年に三木内閣の時に閣議で決定しましたが、2022年に27年度までに防衛関連予算を「GDP比2%」に達するようにすることを閣議決定しました。さらに防衛装備移転三原則を改定して、英国・イタリアと共同開発する「次期戦闘機」の第三国への直接輸出を解禁したほか、殺傷能力のある武器の輸出制限を原則として撤廃する動きへと舵を切り、国際的な防衛サプライチェーンへ日本企業を参入させる環境作りを進めています。さらに小泉防衛大臣は、2026年7月のインターネット番組(「言論テレビ」)や、訪問先のベルギー・NATO本部での記者団への取材において核抑止力をめぐり「あらゆるタブーなく、核兵器に関する議論をしなければならない」と発言しています。さらに、2026年3月31日には「緊急事態を想定した避難施設(シェルター)の確保に関する基本方針」を閣議決定しています。
先の大戦の総括も進まない状況の中で、『産経』は「大東亜戦争」と公然と書くようになっています。「大東亜戦争」は日本陸軍が使った名称です。明治の維新期は脱亜入欧と言っていたので、ご都合主義のようなネーミングです。ただ、これが市民権を得つつあります。これらを総合的に見て、中国が「新軍国主義」と警戒しているのも分かる気がします。彼らからすれば、一度あることは二度あると思っているでしょう。最近は、ロシアがこの中国の考えに共鳴しようとしています。
問題は、防衛力を強化することではありません。日本が過去の何を反省し、何と決別した上で防衛力を強化するのか、そのことが明確に示されないまま、時の流れの中で物事を処理し始めていることです。当然、緊張が高まることになりますし、そこに危うさを感じます。
石破氏が投げ掛けた「なぜあの戦争を止めることができなかったのか」という問いは、過去を振り返るためだけの問いではありません。今までの失敗や反省を踏まえて、これから日本がどのような国として安全保障政策を進めていくのかを考えるための問いでもあるのです。

(「日本経済新聞」)
読んでいただきありがとうございました。
よろしければ「ブログ村」のクリックをお願いします。
↓