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卒業という名目で、学校現場から追放されている子供たち

  • 2020年1月10日
  • 2020年1月11日
  • 教育論
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卒業に値する学力を有していないにも関わらず、機械的に卒業証書を与えて、学校から子供を追放するということが日本全国で行われている。現在日本では小、中学校では、留年(原級留置)はない。だから、仮に全休しても進級できるし、最後には卒業できる。公立、私立を問わず、そうなっているし、そうしてきた。

そのことに対して、誰も何も問題意識をもってこなかった。仕方がない、それはそれで良いのだ、ということであろう。ただ、現場にいる身として、本当にこれで良いのかと近年思うようになった。

実際に、小学校で不登校となり、自動的に卒業、その学区の中学校に入学、出席せずに卒業というケースもある。私立学校ですら、入学式の翌日から全休、卒業させたということもある。その後、どうするのかということだが、通信制、単位制、フリースクール、定時制といったところであろうか。問題なのは、どの程度の学力がカバーされているかなのであるが、家庭の力でカバーし切れるものではないと思っている。

無題

不登校の数が取るに足らない数字であるならば、個人あるいは家庭の問題として片付けて良いかもしれないが、統計開始の1966年度より年々増加して、2018年度には過去最多を更新してしまった。

文科省の統計数字によると、小・中学校における不登校児童生徒数は16万4528人(前年度比2万1497人増)で、内訳は小学校は4万4841人(同9809人増)、中学校は11万9687人(同10688人増)である。問題なのは、少子化で子供の数が減っているにも関わらず、不登校の数だけが増え続けていることである。

不登校の割合は、およそ小学生180人に1人、中学生28人に1人である。中学校では1クラスに1人は不登校の生徒が確実にいることになるが、それは現場の実感と合っている。

ここに、近年は「保健室登校」というのも出てきた。学校に来るのだが、教室に入れずに保健室に直行してしまうという生徒である。このケースは、授業を受けていないが、学校に来ているので出席扱いで処理される。数字には表れないので、実態がどうなっているのか分からないが、調べればかなりの数になるのではないかと思っている。それと同時に、これからは子供たちの居場所ということで、ラウンジ的な空間を学内に設置するという発想が必要ではないかと思っている。

義務教育の9年間、学校に来ても来なくても、成績も関係なく送りだしてしまう。ひと昔前ならば、勉強が苦手であれば就職という選択があったが、現在は98.8%の者が高校に進学する。事実上、義務教育になってしまっている。だから、考えなければいけない時期に来ている

文科省は大学共通テストと言っているが、実施するならば、小学校6年生、中学3年生を対象にした「全国共通卒業資格テスト」(仮称)をするべきだと思っている。大学は学問を究めるところで、しかも専門分野が細分化されているので、各大学が求めている能力が違うはずである。大学入試は各大学の責任ですべきこと、公務員試験でもあるまいし、大学共通テストはいらない。共通テストと言うなら、義務教育の節目においての資格試験的なものの導入を考えて欲しいと思う。

小学校から中学校、中学校から高校に送り出しても、学力が不十分なため、そのままドロップアウトというケースが多いと思っている。学力以外のこと、例えば対人関係やいじめ、発達障害の問題などが原因ということもある。それらに対する精神的ケアをすることなく、形だけの卒業は単なる問題の先送りに過ぎない。

本来は様々な問題について、それぞれの学年の子供たちに対応しなければいけないのだが、せめても小学校、中学校を卒業する節目で学力が身に着いたかどうかを判断する「卒業認定共通テスト」の導入を提案したい。どういう内容にするかは、議論のあるところだと思うが、テストに不合格の場合は、留年ということになるだろう

「義務教育で留年?」と思うかもしれないが、戦前の日本は小学校でも留年をさせていたし、アメリカでは現在小学校も中学校でも留年がある学力がないまま、進級させても結局は授業についていくことができず、本人が可哀そうという判断である。留年をした子に対しては、当然個別に知的な面と精神的な面の両方から特別なサポートをつける必要がある。そのための留年の措置である。

現状は、無理矢理卒業させて上級学校に入学したものの、教科書が読めない、送られてきた教材の意味が分からず、自信喪失となり引きこもりとなってしまうというパターンが多いのではないだろうか。

現在の日本の公教育を改めて俯瞰してみると、全国一律の一斉授業を行って、理解したかどうか、精神的に健全に育ったかどうか、全く関係なく機械的に卒業させて、「あとは知らないよ」という体制になっている

教育は人権なので、その子の持っている能力が全面発達するように、社会的なサポート体制を組む必要がある。そして、上手く育てられれば、貴重な人財になる。そういった点には全く問題意識はなく、へんに大学教育に関わろうとして失敗した。共通テストを行おうとしているが、やるべきことはそこではない。ピントがずれているとしか言いようがない。

学校教育からはみ出て引きこもりになった場合は、年齢が10代であったとしても文科省の管轄から離れ、厚労省の管轄になる

内閣府の調査(平成30年調査)によると、15~39歳の引きこもりは推計で54万1千人であるが、適用される法律は「生活困窮者自立支援法」(以下「支援法」)という法律になる。これは2015年に生活保護法の改正に合わせて、生活保護一歩手前の人たちを支援する目的で制定されたものであるが、引きこもりの人が生活困窮者予備軍というのもおかしな話である。

そして実際に「支援法」に基づいて仕事をするのは、都道府県である。第三条には「生活困窮者である子ども及び当該子どもの保護者に対し、当該子どもの生活習慣及び育成環境の改善に関する助言を行う事業」、「生活困窮者である子どもの進路選択その他の教育及び就労に関する問題につき、……連絡調整を行う事業」という規定がある。

行政職の公務員すべてが教員免許をもっている訳ではない。とまどっている地方公共団体もあるのではないかと思う。

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