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日韓関係の悪化の原因は、日本の教科書にあり/日露戦争から日韓併合までを検証する

「知る人ぞ知るという本を紹介します」

女性

「どうしたのですか? もったいぶって」

「親日派のための弁明」という題名の本です。日韓関係について書かれていて、向こうでは発売してしばらくして、青少年有害図書に指定されたそうです」

女性

「あら、そうなんですか。ただ、表題が分かりにくいですね。私なら、もうちょっと過激に、かつ、買ってみたくなるような表題をつけるわ」

「例えば、……」

女性

「そうね、「日韓関係これが真実」とか、「読まなきゃダメ、今こそ日韓関係」、それと……」

「分かった、分かった。有難う。そうか、なるほどね。表題がちょっと分かりにくいかな。だけど、2002年に出版されて、売れ行き好調で文庫本まで出ています。出版されて20年近く経っていますが、「ヤフオク」を見ても余り値崩れをしていません」

女性

「肝心の中身は、どうなんですか?」

「一言で言うのは難しいのだけど、あえて比較すると、昨年末に話題になった『反日種族主義』よりも日本寄りですし、視点も俯瞰的ですね」

女性

「えっ、そうなんですか」

「『反日種族主義』の方は、テーマを徴用工、慰安婦に絞って書いていますが、こちらの方は、日本の韓国併合からの流れを書いています。あと、もう一冊」

女性

「まだ、あるのですか?」

最近の話題作『誰も書かなかった 日韓併合の真実』です。これを使わせて頂きたいと思います。高校の先生が書いていますが、この類(たぐい)の本は大学の教員は書けないのではないかと思っています

女性

「それは、どうしてですか?」

「歴教協や歴史学会に必ず所属しているはずなので、そうすると忖度が働いて、組織の意向に反するものは書けなくなると思っているからです」

女性

「学問の自由は、ないのですか?」

「建前はそうですが、何故か日本の場合は、一つの考えに収斂(しゅうれん)していくところがあります」




 日清戦争がどうして起きたのか。日本の教科書では因果関係が分からない

日本が近代化を急いだのは、欧米列強の植民地競争の餌食(えじき)にならないためでした。19世紀の半ば頃の東アジアへの欧米列強の進出を表す地図を見ると、何とか侵略を受けていないエリアは、日本、朝鮮、タイくらいのものです。後は、支配されている状況です。まさに風前の灯だったのです。

そういった状況の中で、一般的に何を考えるでしょうか。「自国の独立維持のためには、隣国である朝鮮が外国に侵略されないことが大事だと考えていた。朝鮮の独立維持を目指すこと。これが日本政府の対朝鮮方針の基本であり、のちに保護国化、合邦化へと方針転換していくことになる」(豊田隆雄『誰も書かなかった 日韓併合の真実』彩図社.2019年/16-17ページ)のです。

周りを囲まれ、朝鮮半島が敵方に堕ちれば日本が危うくなる。だからそれを守ろうとする、誰が考えても分かる理屈だと思います。ところが、「朝鮮に対する影響力の拡大をめざす日本政府は、軍事力の増強につとめるとともに、清国の軍事力を背景に日本の経済進出に抵抗する朝鮮政府との対立を強めた」(山川「日本史」)というのが教科書の記述。文章が少し分かりにくいのですが、要するに日本は経済力と武力をもって、清国、朝鮮と対立したと言っているのです

世界史の教科書(山川出版)は「朝貢国である朝鮮への影響力を確保しようとする清と、それに対抗して朝鮮に進出しようとする日本は介入をくりかえし、軍事的衝突の危機が深まった」。その後努力を双方するが、日清戦争となったという書き方です。まるで、子供の喧嘩のように戦争が起きたと捉えています。そして、一番の原因は、「だだっ子の日本」と言いたいのでしょう。

 日露戦争も日本の防衛のため、中国東北部と日本海を舞台に戦われた

 南下政策をとるロシアと日本の戦争は、ある意味必然的だったと思います。日露戦争が主にどこで戦われたのか、地図を見て欲しいと思います。中国(清)東北部の旅順、奉天、そして日本海海戦です。なぜ、そこが主戦場となったのか。ロシアが中国東北部(満州)を事実上占領していたからです。朝鮮半島に近いその地域は、日本にとって防衛上重要地域だったのです

再び山川の世界史教科書に登場してもらいましょう。「イギリスやアメリカはロシアの南下の動きを警戒した、……日英同盟を結んで日本にロシアをおさえさせようとし、アメリカもそれを支援した。日本は両国の経済的援助を背景に対ロシア強硬方針をとり、1904年ロシアに宣戦した」。

国の防衛事情とか政策に関係なく、ゲームのような感覚で戦争が起きると思っているようです

 日韓併合は、日韓の防衛のため、国際的合意を経て行った

日露戦争に勝利し当面の敵は追い払ったものの、重要な問題が待ち構えていたのです。朝鮮半島をどうするか、という問題です。直接統治と間接統治のどちらにするかという問題です。政権内でも議論がありました。経費と防衛の両面から検討されたと思います。

直接も間接もどちらも植民地と言うのが一般的な風潮になっていますが、直接統治は併合でアネクセイション(annexation)で、間接統治は植民地なのでコロナイゼーション(colonization)となります。日本は迷った末に前者の併合を選び、イギリス、ロシア、アメリカといった関係国の同意を取り付け、朝鮮と併合条約を結びます。

日本にとっての朝鮮は植民地というより拡張された日本の領土という意味合いがより大きかったと思われる。当時、日本人は朝鮮と台湾を統治するにあたって、おおむね本土の人間と同じ待遇を与えた。とくに朝鮮にたいしては、大陸への入口という地政学上の重要性のために、むしろ本土以上の投資をおこない、産業施設を誘致するなど破格の扱いをしたと考えられるのである」(金完燮/キムワンソフ『親日派のための弁明』草思社.2002年/14ページ)

再び、山川日本史の記述を紹介します――「日本政府は憲兵隊を常駐させるなどの準備のうえに立って、1910年に韓国併合条約を強要して韓国を植民地化し、漢城を京城と改称してそこに統治機関としての朝鮮総督府を設置して、初代総督に寺内正穀陸相を任命した」。「常駐」、「強要」、「植民地化」といった言葉の端々に悪意がこもっていて、どこの国の教科書なのかという感じがします。

【日本の朝鮮統治による変化】

(1910年)  (1934年)
人口 1330万人 2113万人
鉄道(延べ) 1086km  2935km
歳入 4874万円 2億6298万円
小学校 126校 479校
普通学校 173校 2100校
中学校 1校 11校
高等普通学校 5校 26校

(「日韓併合で朝鮮民衆は救われた」『産経』2018.9.1付)

これ以外に、日本は帝国大学を京城(現ソウル)につくっています。「植民地」に帝国大学を作ったのは、日本が最初で最後です。西欧の国が驚いています。植林事業もしています。大陸の狩猟民族には、植林という発想がなかったのです昨日のブログの話ではないですが、彼らは獲物を求めて行動しますので、その地を保持するという発想がないのです。

このことについて、「このように日本の支配がはじまると、ついに朝鮮社会において本格的な文明開化の時代が幕を開けた。多くの学校が建設され、警察署と裁判所、行政機関がつくられて市民は法による統治とサービスを受けられるようになり、……朝鮮の民衆の身分は、貧しい大華帝国の民から日本帝国の市民へと変わった。朝鮮民族にとって、このような変化はあらゆる角度から考えて歓迎にあたいするものだった」(金完燮 前掲書62ページ)

 台湾の方は、持ち出しがなかったようですが、このようなことで、半島については経営的には常に赤字だったようです。その赤字は終戦まで、解消されることはなかったとのことです

道楽息子に限って親不孝。それは人間だけではなく、国家にも当てはまることだということです。そして、日本の国から、教科書を通じて半島に反日を情報発信しています。向こうからすれば、それが日本の統一意見と当然思うでしょう。それに合わせて、日本に要求してくることになります

政府には足元(文科省)を見つめ、元栓を閉めて欲しいと思っています

ところで、特に社会科の教科書が一つの「盲点」になっていて、書きたい放題になっています。機会があれば見て頂いて、気になった場合は、自分なりの方法で周りに発信して頂きたいと思います

読んで頂きありがとうございました




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