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教科書に書かれている嘘シリーズ(9) / 台湾の統治と八田與一について

女性

産経新聞に「文科省教科書検定に意義あり」の1面を使った意見広告、先生の名前もありましたね

気持ちだけ応援と思っています

女性

不合格の実例がいろいろ出ていましたが、ひどいのになると、同じ文章なのに、前は合格だけど、今回は不合格というのもあるんですね。何か、最初に不合格ありき、理由を屁理屈のようにつけているという感じがします

どうしてこうなったか、分かりますか

女性

なぜでしょうか。自由社を狙い撃ちしていますよね

簡単に言えば、文科省が共産主義者に乗っ取られたということを意味しています。歴史教科書が年々ひどくなる傾向があります。実は、韓国が反日なのに、台湾は親日なのは何故かという質問が時々ありますが、日本の教科書の書き方に一番の原因があると思っていま

女性

教科書ですか?

日本にとって地政学上重要なのは朝鮮半島です。そういうこともあり、韓国の反日を煽るような記述が多いのですが、台湾は日本も含めてさほど関心のない辺境の島だったのです。台湾を巡って殆ど事件がない、ないものは書けない。ただ、それだけですが、それでも書こうとしています

女性

日本は我が子のように可愛がろうとしてインフラ整備などの環境整備をしたけれど、それを日本の国内の反日グループが「侵略という色メガネ」で見て、教科書に書き連ねたということですか?

まあ、そういうことですが、それはひどいものです

女性

当然、その情報は韓国に行きますよね。それで反日が続いているということですか

世のお父さん、お母さん方は3教科には関心があるのですが、社会科には余り関心を持っていないと思います。教科書は市販されていませんし、現場でも生徒の数プラスαしか来ません。そこが盲点となっています。書きたい放題になっています

女性

その実態も含めて、報告して下さい

何回かにわたっての報告になると思います




 辺境の地であった台湾―—開発をした日本人について、日本の教科書は何も書こうとしていない

台湾が世界史の舞台に登場するのは17世紀が最初です。最初はオランダに統治をされますが、その期間(1624-61)の短さを考えると、何も魅力を感じなかったのでしょう。清が台湾を自国領としますが、それは1684年のことです。しかし、開発をするなどといったことは全く思ってもみなかったのでしょう、「化外の地」として200年以上放置し、日清戦争で日本に敗れると、厄介払いのように日本に割譲したのです。清の李鴻章は、台湾がとてつもなく劣悪な島であることに日本は間もなく気づくことになろう、と呟いたと言われています。(参考:金完變『親日派のための弁明』草思社.2002年)


日本から現地調査に向かいます。マレー・ポリネシア系の先住民と対岸の福建・広東から移住してきた族群が耕地を奪い合う状況にプラスしてコレラ、ペストなどの熱帯病も蔓延していました。植民地経営といっても未開のような土地であれば経費もかかるし、人員も派遣しなければいけない。帝国議会ではフランスに1億円で売却したらどうかという提案が出るくらいだったのです。

こういう状況でしたので、教科書には殆ど記述がありません。「台湾総督府をおき、はじめての植民地経営に乗り出した」(山川「世界史」301ページ)、「日本政府は、新たに領有した台湾の統治に力を注ぎ、1895年樺山資紀を台湾総督に任命し、島民の頑強な抵抗を武力で鎮圧した」(山川「日本史」291ページ)と本文に書き、さらにわざわざ脚注をつけて「台湾の支配は、現地の地主・商人などの富裕層を懐柔しながら進められたが、その一方で貧農などの民衆は日本の支配への抵抗を続け、たびたび反日武装蜂起をおこした。日本はこれに対して徹底した弾圧でのぞみ、その支配は1945年まで続いた」 (山川「日本史」291ページ) と、反日的な記述をしています。

確かに、「もうひとつの日清戦争」と言われるようなことがあったのは事実です。「樺山、桂、乃木の三代総督の時期、反抗する武装勢力・土匪(どひ)との戦いにエネルギーのほとんどを奪われ、台湾開発には何ひとつ成果を残すことができなかった」(渡辺利夫『台湾を築いた明治の日本人』産経新聞出版.2020.4.1/95ページ)のですが、陸軍次官・児玉源太郎、後藤新平が赴任して、一挙にその流れが変わります。

児玉源太郎については、渡辺利夫氏は「児玉ほど豊かな構想力をもち、着想を迅速に政策化し、政策遂行のために最善の人材を抜擢してことにあたる、そういう多彩な才能と気概をもった指導者は、日本の近代史においてもそうはいない」(渡辺利夫 前掲書.200-201ページ)と、評価しています。

 実は、日本が一番手を焼いたのは土匪(どひ)だったのです。土匪というのは「土着の匪賊の意味だが、掠奪・暴行・盗賊集団がある一方、俠客集団もあり村落自衛組織もあって性格はさまざま」(渡辺利夫 前掲書.91ページ)です。軍隊で言えばゲリラ兵、市民感覚で言えばヤクザ集団のようなものです。普段は普通に市民の中に入って生活しているので、なかなか見分けがつかないのです。

後藤新平が台湾総督府の民政局長に任命されますが、彼は「台湾を日本の基準で統治しようとかかることは、タイの目をヒラメに移植するのと同じで不自然なこと」と述べ、彼ら(土匪)に対して「巡撫(じゅんぶ)政策」で対応したのです。当時いた20名くらいの土匪の「組長」に対して、免税や手下の者の就業を保障するなどの条件を提示し、応じない者には刑罰で挑むという両面作戦を遂行したのです。

このことについて、渡辺利夫氏は後藤の考えを紹介しています――「社会の習慣とか制度とかいうものは、みな相当の理由があって長い間の必要から生まれてきているものだ。その理由を弁(わきま)えずにむやみに未開国に文明国の文化と制度を実施しようとするのは、文明の逆政というものだ」(渡辺利夫 前掲書224ページ)。

簡単に言えば、人を見て法を説けと言っているのです。そして、「六三法」という本土とは別の法体系が台湾には適用されることになります。台湾銀行が設立され、資金調達の備えをした後、鉄道建設、港湾建設、土地調査事業、水道事業、水利灌漑事業、林業開発が行われていきます。

昨日のブログで紹介した八田與一が工科大学卒業をして台湾に来たのは、ちょうどこの頃だったのです。台湾の地形は中央の南北に背骨のように走る急峻な中央山脈があり、雨季の大量の雨が平原を流れ落ち田畑を水没させたと思いきや、乾季には土壌が干上がり固まって鋤も入らなくなってしまう

八田の功績は、ダムを構築し、そこで貯めた水を田畑に流すために3000メートルものトンネルを掘削し、延べにして地球を半周する位の用水路を作ったのです。起工から竣工まで10年余の大工事でしたが、台湾の荒涼とした大地が緑の作物に覆われることになりました。

こういった日本人たちの偉業をアメリカの『ニューヨーク・タイムズ』が1904(明治37)年に報じています

タイトルは「日本人によって劇的な変化を遂げた台湾という島 他の誰もが成し得なかったことを数年で達成した驚くべき成果 他の植民地国家に対する一つの教訓」というものでした。

先に、山川日本史の記述を紹介しました。その中でウソが書いてある部分があります。

貧農などの民衆は日本の支配への抵抗を続け、たびたび反日武装蜂起をおこした。日本はこれに対して徹底した弾圧でのぞみ、その支配は1945年まで続いた

『ニューヨーク・タイムズ』の記事を紹介しますので、比較してみて下さい

「……台湾の内陸部は、漂着した難破船を襲って島に近づく乗員を殺戮する無法者や盗賊などの徒党により支配されていた。……おそらく中国は、この無法な島を手放してかえってほっとしたのではないか。日本は台湾の征討に1年を要し、1896年になってようやく台湾の施政を開始することができた。しかし、台湾の統治を職責としてきた中国の行政官などは、台湾の無法者と結託して日本という新しい支配者に反抗しようとそそのかし、そのために台湾は1901年まで騒擾が起こる不穏な状態におかれていた。……日本の特記すべき成功をもたらした諸政策には、次のようなものがある。何より、日本は住民の慣行を可能な限り尊重し、文明化を強要するのではなく、文明化の方向に彼らを寛容に導くよう努めた。……」


 教科書になぜこういった反日の記述をするのか

紹介したウソの記述は、本文に入れていないところがいやらしいところです。偏差値が高い大学に入るためには、センター試験で80~90%をとる必要があります。そうすると、どうしても脚注まで読み込む必要があります。そういう連中に特に読ませたいという意図があるような脚注のつけ方になっています。仮に真実であったとしても、わざわざ教科書に書いて高校生に知らせるようなことではありません。

教科書になぜこういった反日記事を載せるのか、それは書いている者が共産主義者の階級史観に立っているからです。国家を労働者階級と資本家階級の対立と捉えるのです。封建時代でもあるまいし、そんな階級などありもしないのですが、彼らはそう思い込んでいるのです。その上で国家を弱体化させることはイコール資本家階級の弱体につながり、それが労働者階級にとってプラスの影響となるという屁理屈です。

革命至上主義をとっている彼らにとって、国家を弱体化させるためならばウソもデマも戦略のうちなので、あらゆる機会を狙ってこういったことを仕掛けます。この文章を台湾の人が読んでくれて、反日姿勢を強めてくれれば、これもまた国家を弱体化させることにつながるという考えによるものです

しかし、東洋一のダム築いて現地では毎年慰霊祭が開かれている八田與一のことについて日本人の多くは名前すら知らない人が多いのではないでしょうか。ちなみに、児玉源太郎や後藤新平は、脚注扱いですが山川教科書に載っています。ただ、彼らがどのような思いで台湾の統治に携わっていたのかについて、全く書かれていません。多分、台湾で現地の人たちのことを考えた日本人が戦前にいたことが分かると、彼らの「戦前暗黒歴史観」からすれば説明できなくなり困るからだと思います。しかし、教科書というのは、そういった他国のために骨身を惜しまず働いた人を顕彰しつつ、紹介するべきだと思います。

頭が逆立ちしているため、合格させるべき教科書を不合格にして、不合格にするべき教科書を合格にしています

読んで頂きありがとうございました




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