「このブログを開設して1年が経とうとしていますが、改めてコンセプトを明らかにしたいと思います」
「コンセプトというのは、直訳すると概念ですが、それではハッキリしませんよね。どういった意味として捉えればいいでしょうか」
「そうですね、まだ成熟した言葉になっていないかもしれませんが、「基礎、基本となっている考え方」という意味で理解して下さい」
「日本の危機がコンセプトですよね」
「それでは漠然としているので、どの方面から日本の危機についてアプローチしようとしているのか、つまり切り口がコンセプトになります」
「そうすると、政治、経済、教育、外交でしょうか?」
「そういった面から、日々のニュースを元に発信していきたいと考えています」
「政治、経済、教育、外交の中で、何が中心となるべきでしょうか?」
「そういうふうに、どれが一番という考え方をとりません」
「どれもが一番ということからですか?」
「そうではなく、政治、経済、教育、外交は、それぞれ切り結んだ関係にあるからです。そして、物事の本質は、様々な分野から多面的に見ることが重要です」
「同じ問題を政治的に取り扱っても良いと思いますし、別の方向の切り口があっても良いということですね」
「今の時代は、様々な要因が複雑に絡み合っていることが多いのです。政治の問題をたどっていくと教育の問題にいくこともあるし、経済の問題が外交に端を発していることもあります」
「そんなこともあって、いろんな問題に取り組んでいるのですね」
「複雑化した現代社会、一つの方面からのみのアプローチでは、解決の糸口さえ掴めないことがあります。角度を変える、つまり様々な学問分野から問題となっている事例にアプローチします。新たな解決策が出たりすることもあります」
「分かっていただけたでしょうか? 読者の皆さんも、そのつもりで読んでいただければと思います。ここからが本論です ↓」
小学校に教科担任制が本格的に導入される
小学校教諭の免許は「全科」が基本でしたが、その方針を変更して教科担任制を本格的に導入しようとしています(「働き方改革 授業準備に力」『日経』2020.10.19日付)。予算が絡むので、この先どうなるかは分かりませんが、一応現在の予定では、教科担任制が2022年度をメドに小学校に本格導入される予定とのことです。
すでに早い地域では2000年頃から教科担任制を導入している地域もあるとのことです。「浜松市は00年度から小学校の4年生以上で推奨。仙台市や東京都品川区、兵庫県なども導入した。小中一貫教育と合わせて取り組む地域が目立つ」(『日経』2020.10.19日付)とのことです。
同じく『日経』の記事によりますと、具体策を話し合う文科省の検討会議が、このほど始まったとばかりとのこと。このプランは基本的に賛成ですし、早く実現できたら良いとは思いますが、そのためには2つの乗り越えるべき課題があります。
1つは、教育予算を獲得できるのかという問題です。2022年度というのは、今から1.5年という直近の時期です。教育について財務省はいつも厳しい態度を示します。理解が得られないのではないかと思います。文科大臣の腕の見せ所でしょう。政治的優先課題ということで閣議の中で了承されれば実現の見通しが立ちますが、全国一斉に2022年度から、すべての教科においてというのは無理だと思っています。
2つ目は、教員の確保の問題です。中学、高校の教員免許取得者の助けを当てにしているようでは、この計画はおぼつかないと思います。中学、高校の教員免許を持っているのだから、小学校も教えられるはずという安易な発想はくれぐれもしない方が良いと思います。小学生に分かるように教える教育技術が必要です。そういったことを含めて、教員確保の問題があると思います。
すべて一律に考える必要はない
教育は個別、具体性が求められます。その現場の状況に応じて、柔軟に教員配置を決めたり、教育課程を変更したり、さらには手当などの支払いということが現場の管理職の判断によってできるようにするのが望ましいと考えます。教育財源の問題も絡んでくると思います。
例えば、ある学年のあるクラスは担任が殆どの教科を教える。しかし、隣のクラスは、英語、体育、家庭科については専科の教員が教えるということを、教員の力量やクラスの子供たちの状況を見て、現場の管理職がそのように判断したとします。
そういった判断とその「不公平」さを、手当の支払い額で最終的に調整することを容認される「環境整備」がなされることが必要です。簡単にいえば、現場の状況に柔軟に対応できるような管理職の力量を養成しつつ、現場サイドで必要な教員を必要数とれる裁量を与える必要があります。
教育のデジタル化を進めるにあたって
全国の学校では、昨年度から紙媒体の教科書とデジタル教科書の並行使用が始まっています。ただ、データを見るとデジタル教科書を活用している割合は、1割程度です。
これはある意味当たり前だと思います。端末機器の操作に慣れておらず、それを使いこなすには教師、生徒ともに、それなりの習得時間がかかります。端末を配れば、日本全国デジタル化に向けて動きだす訳ではありません。
ただ、最近気になっているのは、「デジタル信仰」が生まれているのではないかということです。「デジタル庁」の創設もありました。教育のデジタル化が合言葉のように言われる日が来るのではないかと恐れています。というのは、少なくとも小学生のうちは紙の教科書が良いと思います。目の健康にも良いですし、鉛筆で線を引いたりすることもできます。名前を書いて愛着心が湧くと、子供は勉強しようと思うものです。教科書をどう扱うか、乱暴に扱う子供もいます。だけど、そういったことを通して、本や教科書をどのように取り扱い、接すればよいのかということを指導することもできます。
新しい機器が導入される時、人々は時々錯覚をします。急に自身の能力が高くなったと思い込みます。そういうことはありません。
学ぶチャンスが無くなってしまうこともあるのです。何でも新しければ良いというものではありません。
読んでいただき、ありがとうございました。
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