ようこそ日本の危機へ!このブログでは主に最新のニュース、政治、教育問題を取り上げております。

『僕の見た「大日本帝国」』(その2) 韓国篇 ―— 戦後になって日本に対して行動を起こす / 日韓で議論と感情が平行線

  • 2024年8月8日
  • 歴史
  • 105view
女性

「前回は台湾でしたが、今回は韓国ですね」

「韓国は戦後建国されますが、その前身の大韓帝国は1905年に日本の保護国となり、1910年に日本に併合されます」

女性

「どうして併合したのでしょうね?」

「本当ですよね。何でそういう余分なことをしたのかなと思っています。暗殺された伊藤博文は、併合に反対していたのです」

女性

「台湾と韓国、同じように植民地統治をしても片方には感謝され、片方には恨まれる。その違いは国がすでにあったか、なかったかの違いのような気がしてきました」

「台湾の場合は未開の地のような状態から始めていますが、朝鮮の場合はすでに王朝が成立していますからね。土足で乗り込まれたような感覚を持ったのだと思います」

女性

「ただ、当時は植民地経営は合法活動だったはずですよね」

「国際法的な問題と、民族のプライドの問題を同列に論じることはできません」

女性

「国際法的に合法だからと言われても、彼らにとっては全く意味をなさないということですね」

「実際に1965年の日韓基本条約によって国際的な意味の和解は成立しましたが、彼らの感情を納得させるような見解を出すことは出来ませんでした」

女性

「不満がくすぶったかたちだったのですね。それはどうしてですか?」

「明治から大正期の日本の政策は基本的に間違っていないという政府の立場にあると思っています。両国の間で、そこが一番大きく見解が違うところです」

女性

「明治維新150周年という政府は祝賀行事を挙行していますが、明治維新は正しかったという考えなんですね」

「ここからが本論です ↓ 表紙提供は「文化放送」です」

 朝鮮併合以前の歴史を問題視

朝鮮併合の後、朝鮮半島に移住する日本人が激増し、それに合わせるかのように半島各地に神社が作られました。終戦時には74社あったそうです。ところが日本の敗戦を境に、それらは破壊され、現在は1社も残っていないそうです。台湾とは大きな違いです。根底には、日本の統治に対する受け止め方の違いがあります

ソウルの南90キロの町に7つの独立記念館があります(下の写真)。その記念館に、併合されるまでの史実に関する展示がなされています。日本人には刺激が強すぎるとのことですが、何を展示しているかということから、彼らの問題意識が分かります。

江華島事件や伊藤博文を暗殺した安重根(あんじゅんぐん)のこと、王妃の閔妃(みんび)殺害事件、強制徴用などの展示から、彼らの問題意識は明治維新の頃からの日本の政策を問題視していることが分かります。

(「ハナビツアー」)

 戦後になって日本に対して行動を起こす

李氏朝鮮がその初期に都をソウルに移して以来、首都として約600年の歴史を有しています。東京都が約160年の歴史なので、それを考えれば長い歴史を刻んだ街だということが分かります。歴史があるということもあり、人口の1/4にあたる約1千万人がソウルに住んでいます。交通量だけなら、東京よりも多いのではないかと言われています。

神社は壊されましたが、統治下に建てられた建物で著者が訪れた時にまだ使われていたものが結構あったのです。三越京城店の建物、朝鮮銀行本店の建物、朝鮮貯蓄銀行の建物などがその当時も使われていたそうです。しっかりした作りなので、建ててから70~80年位経っても現役で活躍できています。

そういった建物だけでなく工業設備、鉄道、道路と言ったインフラ整備にも力が注がれた痕跡が見られます。朝鮮半島を本気で国内並みの状態にまで持っていこうと考えていたと思われます。そんなこともあり、併合した時の人口が1300万位だったのですが、終戦時は2900万人に膨れ上がっていたのです。物質的に豊かになっても、彼らはそれだけでは納得しなかったのです。奪われたプライドの代償を求めるかのように、戦後になって日本に対して行動をし始めます。

(「Pngtree」/夕暮れのソウル)

 議論と感情が平行線になっている――日本と韓国

著者の西牟田氏はクルーズ船に乗って竹島に行っています。日本の船は近寄ることが出来ませんので貴重な経験だと思います。周囲約400mの小さな島というより、50m位の高さの2つの岩が組み合わさったような形だそうです(下の写真)。そして、その岩の上には3階建ての兵士の宿舎とヘリポートが設置されていたとのことです。この竹島は戦後の1954年から韓国に実効支配されたまま、現在に至っています。しかし、その後に日韓基本条約を締結していますが、その条約締結交渉の時に日本政府は竹島の領有を追認しています。腰砕け外交の最たるものです。

従軍慰安婦像が韓国の日本大使館前に設置され、軍艦島や佐渡金山の世界遺産の登録を巡って韓国から異論が出される、竹島が占領される等、何かと韓国から「いやがらせ」を受けてきました。

ただ、韓国の人たちの行動や思いの根底には、日本の過去の大国主義的かつ脱亜論的な歴史感覚から来る統治に対する批判があるのです。そもそも、日本のように、隣国を植民地にした国はありません。ある意味、前代未聞のことをしたのです。そのことを日本人はきちんと受け止めていないと思われますお互い論点が噛み合わないまま、議論と感情が平行線になっているのが現状です

(「JAPAN Forward」)

読んでいただきありがとうございました。

よろしければ「ブログ村」のクリックをお願いします。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村

最新情報をチェックしよう!