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民族としての連続性をもたない時代 (1) ―—明治から敗戦まで / 中国型の中央集権国家を目指す

  • 2024年5月7日
  • 2024年5月9日
  • 歴史
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「今年の連休は、家族でどこかに出かけたのですか?」

女性

「子供の野球チームの試合の応援や、練習の手伝い、団地の会合に参加したり、旧友に会ったりということで終わりました。いかがですか? 何か変わった事でも‥‥」

「私はある講演会に行ったのですが、つくづく日本は農耕民族社会だなと思いましたね」

女性

「場を合わせる、協調することを重んじますよね」

「乾杯の音頭を取ったのですが、その時に、大変すばらしい講演有難うございましたと言って、「少し感動しました」と言ったら、「大変感動じゃあないの」と横やりが入りました」

女性

「正直なところ、講演そのものをどのように受け止めていたのですか?」

「講演者は論理よりも情に訴えるような話し方をする人でした。「大変すばらしい講演」というのは社交辞令で、「少し感動」というのが私の評価だったのです。もう少し、細かい分析が欲しいなと思ったのです」

女性

「他の人は大変感動していたということなんですね」

「話を聞いて涙ぐんでいた人もいましたからね」

女性

「そうなんですね。その感動の最大公約数を言葉として発して欲しかったのでしょうね」

「日本は和の国ですからね」

女性

「昨日(5/6)のNHKの朝の番組でデーブさんが出演していましたが、彼は日本は忖度社会と言ってました」

「いろんなものに忖度しなければいけないですからね。講演者と場の全体の雰囲気に忖度しなければいけなかったのかもしれませんね」

女性

「空気を読むということでしょうか?」

「そういうことを美風として語られることもありますが、それが社会の活性化を奪うこともありますし、社会全体を覆うことがあります」

女性

「そういう国なんですね。ここからが本論です ↓」

 民族としての連続性をもたない時代―—明治から敗戦まで

明治から敗戦までは一つの空気が支配し、日本が日本であって日本の国ではないような時代となります。NHKの朝ドラで「虎に翼」を放映していますが、今ちょうど満州事変の頃です。5.15事件(1932)、2.26事件(1936)といった軍事クーデターも起き、軍部に実権が移らんとする中で、世情も不安を増す時代です。

主人公の寅子は明律大学女子部を卒業して、女子部の仲間と司法試験の合格を目指して勉学に励んでいます。その仲間の中に朝鮮出身の女子学生がいますが、その兄が朝鮮半島で労働争議に関与したということで、東京にいる妹の所に特高警察が乗り込んできます。

当時は治安維持法が制定されていました。労働運動や社会主義運動が犯罪視された時代です。だからと言って、兄と妹は別人格ですし、ましてや兄が朝鮮半島にいて、妹は日本にいます。兄から妹への手紙を没収してしまいます。完全な人権蹂躙ですが、当時はある意味当たり前という感覚だったのでしょう。

(「JーCASTニュース」)

 中国型の中央集権国家を目指す

 なぜ、そのような社会になってしまったのでしょうか。大元を辿れば明治維新期です。そもそも維新の語源は中国ですし、「明治14年の政変」以降に出てきた言葉です。廃藩置県の「県」も中国が出所です。秦の時代の郡県制から取っています中国型の中央集権国家をつくろうと思っていたフシがあります。日本のような忖度社会は上の考えに、全体が従おうとします。急速に日本という国が変貌していくことになります。

大日本帝国憲法、これが明治憲法の正式名称です表題を見れば、どういう国を目指しているのかが分かります。当時は殖民地分捕り合戦の時代なので、日本もそれに乗り遅れないようにしようという意気込みが伝わってきそうなネーミングです。大日本帝国憲法が発布されたのが1889(明治22)年です。明治の半ばになってようやく出来た憲法なのです。そして、それをきっかけとするかのように、5年後の1894年朝鮮半島防衛を口実に日清戦争が始まります。

(「奈津子の徒然雑記帳ーFC2」)

 日露戦争が一つの契機

さらに、その10年後の1904年に日露戦争が始まりますが、この戦争をきっかけに勝利至上主義が浸透していきます。つまり、兵隊を将棋の駒のように使い、とにかく結果さえ良ければ、そこで散ることが美談となり、それを演出するのが軍部のトップといった考えが蔓延していきます。一種の軍国イデオロギーが国を覆うようになります

与謝野晶子が「君、死にたまふことなかれ」を発表したのは、1904年のことです副題が「旅順口包囲軍の中にある弟を歎きて」です。日露戦争で現地に出征兵士として赴き、大変な状況であることを知り、思わず弟を思い作った詩です。姉なら、当然抱く心情であり、気持ちです。この詩が発表されると、賛否両論の意見が出ることになります。

国家は個人の生を支持し, 保護すべきだとする立場から晶子は詩を書いたのに対して,国家が危急のとき国民は自己の命を投げ捨ててでも国家のために戦わなければならないと いう反論が出ます。ただ、その命が無駄死にならないように、トップは最大限、緻密な作戦とそれを実行することが本当に国を守ることなのかを充分論議する必要があるのです。

作家の司馬遼太郎氏は、日露戦争を境に日本が急速に変貌していったと言います。その辺りについて次回、具体的に追ってみたいと思います。

(「NHKニュース」)

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