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憲法十七条には立憲主義の考え方が込められている ―― 世界で最初の憲法 / 「和」の精神は時代を経て現代にまで受け継がれている

  • 2021年12月30日
  • 2021年12月31日
  • 歴史
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女性

「いよいよ、今年も残り少なくなってまいりました。今年最後のブログとなってしまいました。今年は、オリンピック・パラリンピックとコロナですかね。象徴的な出来事は」

「オリンピックは何か遠い昔の事のような不思議な感覚がします。そう言えば、という感覚です。コロナは終息するかなと思った途端に新種のオミクロン株の感染が拡大する勢いですね」

女性

「株で思い出したのですが、ネットで株式投資を始めたのです」

「話題は、急にそっちですか(笑)……。そういう投資をする人が増えているみたいですね。あなたの場合は、何がきっかけだったのですか?」

女性

「友達があなたもやらないかと言ってくれて、いろいろ教わって口座開設をして始めたのです。ただ、株と言っても、4、5万円しか投資できないので、買う銘柄は限られますけどね……」

「成果はどうですか?」

女性

「まだ、そういう話をするレベルではありません。それより、日本経済の動向はいかがですか?」

「さっきのニュースで東証株価、年末終値としては32年ぶりの高値で取引が終わったようです。今日は、大納会の日ですからね」

女性

「このまま、来年も上がっていくと思いますか?」

「私の見立てですが、日本の株式相場は来年は、ボックス相場だと思っています」

女性

「ボックス相場って、何ですか?」

「文字通り、上がったり下がったりを繰り返して、1年後も多分同じような値段の処にいるだろうという相場のことです」

女性

「世界的にそういうことが起きているのですか?」

「いやいや、アメリカ経済は順調ですし株価もこれから上がるでしょう。もしかしたら、一人勝ちのように動く可能性が大きいと思っています。今までは、世界の市場はそれと同じように動いたのですが、これからは連動性が無くなるのではないかと見ています」

女性

「分かりました、経済的にも分岐点の年になりそうということですね。聖徳太子もまた、そういう意味で分岐点の年に活躍した人だと思って間違いないですよね」

「上手いこと導入部分をまとめましたね。おっしゃる通りです。1400年忌というのは、偶然であって偶然ではないのではと思っています。原点に帰れと天が言っているのかもしれません」

女性

「天は喋らないけど、天変地異とそういった偶然の組み合わせによって人類にメッセージを発すると聞いたことがあります」

「昨日も、今日も小さな地震が首都圏にありました。もしかしたら、何かを伝えたいのかもしれません」

女性

「ここからが本論です ↓」

 憲法十七条は世界で最初の憲法

日本の学者は縦割り思考に慣れてしまって、憲法十七条については歴史学者が評価するもの、憲法学者が扱うことではないというのが一つの常識のようになっているみたいです。

「みたいです」というのは、憲法のいくつかの基本書を見ての判断ということです。憲法の基本書を執筆できるということは、憲法学会の重鎮にあるような方ということですが、その彼らは基本書『憲法』において憲法十七条を全く取り上げていません。

その理由について憲法学者の渋谷秀樹氏が「内容として、一般の人々の権利や自由の保障とか、権力の行使を抑制するための権力分立という発想はまったくありません。したがって、聖徳太子の十七条憲法は、現在一般的に使われている憲法と同じもの、つまり立憲主義的憲法、真の意味での憲法であるということはできないのです」(『憲法への招待』岩波新書)と言っていますが、これはあくまでも新書に書いていることであり、基本書に書かれたことではありません。つまり、端から「憲法という名に値しない」と心の中で思っているのです。

ただ、彼が「真の意味での憲法」ではないという理由として挙げているものは、「権利や自由」、「権力分立」、「立憲主義」ですが、これらは18世紀以降に西洋で確立した概念なので時代的に無理な注文です。そして立憲主義の重要な考えは、為政者も憲法に書かれたことを守らなければいけないということです。そこが立憲主義の大きな意義があるのですが、そういった考え方を十七条憲法に見出すことが出来るのです。

(「ガウスの歴史を巡るブログ」)

 憲法十七条には立憲主義の考え方が込められている

先入観で凝り固まっていると、見えていても本質が分からないということがあります。木からリンゴが落ちたのを見たニュートンが、そこから考えを巡らせて万有引力の法則を発見したというのは、有名な話です。上にあるものが下に落ちるのは当たり前、ただ、彼は俯瞰的に物事を見たのです。北半球では確かに上から下に物体は動くが、南半球では下から上に物体は動くはず。これはどういうことか、というのがきっかけだった思います。何でもかんでも、先例と思い込みで処理していたのでは、新しい発見はできません。

話を戻します。前回のブロクでも紹介したのですが、十七条憲法には、為政者を諫(いさ)めるような内容が随所に入っています――「上和ぎ下睦びて……」(第一条)、「共にこれ凡夫」、「相共に賢愚」(第二条) 。西洋で立憲主義の考え方が出てきたのは、それまでは法というのは、統治者が国民に対して守るべきことを示すというのが常識だったのです。人には厳しく、ところが王は勝手なことをしているという怒りが民衆を市民革命に駆り立てることになります。そういった社会的経験から生まれたのが立憲主義の考え方ですが、実はそういう考えはもうすでに日本では聖徳太子が十七条憲法の中に散りばめて書いているのです。

いかに太子が先見の明があったかお分かりでしょうか。時代を先取りするような内容の憲法なのです。ところが、情けないことに先入観で凝り固まっている学者先生方には何も見えないというのが今の状況です。憲法学会から、ニュートンのような人が出てくることを期待したいと思っています。ニュートンが万有引力の法則を発見したのは、ちょうどヨーロッパでペストが流行っていた頃です。そのため、大学が閉鎖となり彼は故郷に帰っていた時に落ちるリンゴに出会ったのです。

(「毎日が発見ネット」)

 歴史を紐解くことが重要

聖徳太子の「和」の考え方は、一体どこから持ってきたのでしょうか。彼のオリジナリティと考える人がいるかもしれませんが、太子の当時の微妙な立場を考えれば、自分の意見を全面に押し出すことは難しかったのではないかと思います。そのため、太子は「天皇記」「国記」に心血を注いだのではないかと思います。客観的なものが欲しかったのだと思います。ただ、残念ながら、それらの書物は、蘇我氏滅亡の際に焼失してしまったので、文献的手がかりは『記紀』しかないのですが、それまでの日本の歩みを振り返って出てきた言葉が「和」だったことは確かでしょう。

「和」にまつわる話を2つだけします。1つは、魏志倭人伝の中に出てくる女王卑弥呼にまつわる話です。日本の歴史教科書は、漢字をそのまま使っていますが、これは蔑称だと思います「卑」は卑しいなので、そのまま読むと、卑しいと呼ばれていた女ということです。日本は言霊(ことだま)神話の国ですので、国の王の名前は重要機密事項だったはずです。変に教えて呪い殺されたら大変だというのが当時の人の感覚だと思います。だから、ヒミコは「日の巫女(みこ)」だったと思います。多分、名前ではなく、役職名だっのではないかと思っています。中国の方で、日本の音に合わせて卑弥呼という漢字を当てはめたのだと思います。

そのヒミコにまつわる有名なエピソードがあります。それは、30余の小国間で争いが絶えずなかったが、話し合いの結果、一人の女性ヒミコを女王とすることによって争いは鎮まったというものです。多分、この史実をもとにして『古事記』の天照大御神の天の岩戸の話が作られたのではないかと勝手に思っていますが、当たらずと雖も遠からずではないかと思います。

推測はともかくとして、太子が『和』という前に、日本にはそれ以外に多くの話し合い、譲り合いの精神に基づいて問題を解決した事例が多くあったのだと思います。それを太子が十七条憲法の中に「和」として組み入れたのではないかと思います。

(「教科書を分かりやすく通訳するサイト」)

 「和」の精神は時代を経て現代にまで受け継がれている

その「和」の精神は時代を経て明治、大正、昭和、そして現代にまで受け継がれてきています。江戸期の大政奉還、明治期の廃藩置県は革命と呼んでも良いような根本的な変革です。ところが、それを殆ど抵抗らしい抵抗もなく当時の政府は実行することが出来ています。ということは、多くの協力があったということです。まさに、「和」の精神がその時代においても見事に受け継がれていたということです。

そして、現代は令和の時代です聖徳太子の和が元号にも入っています。ちょうどコロナ禍で世界的に大変な状況です。テレビの映像を見ていると、殆ど馬耳東風という人が多くいる国もありますが、日本は国からの自粛要請やマスク着用を本当に真面目に守ろうとします。和の伝統が日本人のDNAの中に刻み込まれているのではないかと思います。

(「はじめての三国志」)

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