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傾けた愛情の量は涙の量によって分かる――戦後、「泣き」を忘れた日本人 / 泣くことを大切にしてきた日本人

女性

「アイキャツチ画像は、pixivisionの提供です。ところで、昨日のブログで話題にしていたパラリンピック開会式の和合(わごう)さんですが、今日のテレビのワイドショーに出ていましたね」

「そうですか。いかがでしたか。ワイドショーでの彼女の様子は」

女性

「やっぱり、受け答えがしっかりしているという印象を持ちました。オーディションで全員一致で彼女を推したのは、すごく納得しました」

「彼女はどうして、応募しようとしたのですか。その辺りについて、話題になっていましたか?」

女性

「今までお世話になった人への恩返しのためと言っていましたね。これだけ出来るようになった、ここまで成長できたよっていうことを見てもらいたい、だから応募したと言ったそうです」

「あの若さで、なかなかそこまで言える子はいないでしょう」

女性

「そういうことを言ったのは、彼女だけだったらしいですね」

「いい役者さんを見つけましたよね。彼女のために何かドラマを書きたいと思う人が現われるような気がしますけどね」

女性

「随分と、気に入ったのですね。彼女のことを」

「いやあ、あの彼女の泣きっぷりに感動しましたからね。あれだけ泣けるのは大したものだと思いました。まだ、日本も捨てたもんじゃあない、彼女のような子がまだいるのだなと安心しました」

女性

「泣き方に惚れたのですね」

「泣き方は大事ですよ。そこには、民族の思いや考え方が反映していますからね。ウソ泣きという言葉もあります」

女性

「ここからが本論です ↓」

 

 民俗学者の柳田国男は、泣かなくなった日本人を心配していた

民俗学者の柳田国男(1875-1962)が「涕泣(ていきゅう)史談」というテーマで1941(昭和16)年に講演をしていて、その記録が文章として遺っています。ちなみに、「涕泣」というのは、涙を流して泣くことですが、1941年という年は、日本が真珠湾攻撃をきっかけにアメリカとの太平洋戦争に突入した年です。経済力・軍事力が4~5倍もある相手との戦争。どう考えても無謀な戦争ですが、それに突入できたのは、国内世論を抑え込むことができたからでしょう。軍事ファシズムと言われる専制権力による支配のため、日本の社会は閉塞感が漂っていたのだと思います。

柳田は、その講演の中で、最近の日本人は泣かなくなっていると言っています単に泣かなくなったのではなく、顕著に泣かなくなった、これはどういうことかと問いかけています。彼が泣くということに対して問題意識をもっているのは、日本人はもともと泣くことを大事にして、それを文化として採り入れてきた民族だからです。柳田自身がその原因について気が付いていたどうかは分かりません。ただ、彼の感受性が当時の日本人の置かれた感情的な座標軸を敏感に捉えていたのでしょう。

当時の日本、感情的にも異常な状態だったということでしょう。

 泣くことを大切にしてきた日本人

そういったことが一番分かりやすいかたちで分かるのが和歌です。その観点から探してみました。飛鳥時代から奈良時代にかけて活躍した歌人・大伴旅人(おおとものたびと)が、亡き妻を偲んで作った歌が『万葉集』の中にありました。

「我妹子が植ゑし梅の木見るごとに心むせつつ涙し流る」

分かりやすい歌なので特に現代語訳する必要はないと思いますが、この歌の後半は、とにかく悲しみ一杯という気持ちを涙が流れるという表現で表わそうとしています

小野小町の歌を紹介します――「をろかなる涙なぞ袖に玉はなす我は塞きあへずたぎつ瀬ならば」。男が流す涙は「袖に玉はなす」、つまり着物の袖に涙の跡が残る程度でしょう、私の涙は流れ落ちる水の流れ(瀬)のようなものです、と言っています。どうして泣いているのかという説明はありませんが、人がそれ程なくというのは、人間関係がにまつわることしかありません。逆に、言うのも、聞くのも野暮なので、敢えて書かないというのが日本的な美意識ということなのでしょう。

悲しむという感情は、動物にもありますが、涙を流して泣くことはありません共感して心が動かされて泣いたり、親しい人との別れに悲しんで知らずに涙が頬を伝ったりすることがあります。その働きをもっているのは人間だけです。それを感情の表現として大事にしていたことが、これらの和歌を詠むと分かります。

(「San Francisco MURASAME-KAI-Word Press.com」)

戦後、 日本人は涙を流すことを極力排除してきた

問題なのは、戦後はどのように考えられ、今はどうなのかということです。戦後になって、日本人は涙を流すことを必要のないこととして排除してきたのではないでしょうか

プラス思考、マイナス思考という言葉が戦後になって出てきます。もともとは、19世紀の半ばにアメリカで起きたポジティブ・シンキング(positive thinking/積極思考)が大元だと言われています。積極思考では、言葉として重いのでプラス思考、そのうちその対極の考えをマイナス思考と謂うになったと言われています。

プラス思考で何でも物事を捉えていく。「残りは1分」と言われた時に、「1分しかない」と思うのではなく、「1分もある」と思い、何かそこでできることがあるはずと考えを巡らせる、そんな積極的な生き方が説かれるようになります。それに伴う笑い、ユーモアは免疫力や自然治癒力を高めることになるので、大いに推奨されることになります

そして、その逆のマイナス思考は、精神衛生上にも良くないし、周りに悪影響を与えることもあり、極力排除されるべきということが言われ始めます。そういう文脈の中で悲しむこと、泣くことはマイナス思考の結果として起こることなので、避けるべきとされてきたのだと思います。

(「ガールズちゃんねる」)

 傾けた愛情の量は涙の量によって分かる――「泣きのススメ」

ただ、日本人が使ってきた「カナシ」「カナシム」という古代語はかならずしも「悲しい」とか「哀しい」とは結びついていなかったのです。古語の「カナシ」は切実な感動そのものを表す表現として使われていました。

「カナシ」の中にもともとは悦びも含めて、人間の複雑な心の働きをその言葉によって表現していたのですその意味を漢字の熟語として採り入れたものが仏教用語の慈悲です。この「悲」は「カナシ」の意味です。「慈」はいつくしみなので、慈悲は、心を動かされたものに対して愛情を傾ける意味です。その傾けた愛情の量は涙の量によって分かるというのが、万葉歌人の感覚の中にあったと思います。

人前で号泣できることは、実は素晴らしい感情表現ですし、それを思い出させてくれた和合さんの演技に再度拍手を贈りたいと思います。

(「AMEDIA」)

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