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天才数学者・岡潔の教育観に学ぶ / 「情緒」を育む教育と天才教育の必要性を説く

  • 2021年1月8日
  • 2021年1月8日
  • 教育論
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「岡潔(おかきよし)という人を知っていますか?」

女性

「いえ、御免なさい。知りません」

「世界的に有名な数学者なのです」

女性

「殆ど、名前は知られていないような気がしますが?」

「私は、この人はギフテッドだったのではと思っています。というのは、外国ではしばらくの間、日本には岡潔というのはグループ名か、何人かの岡潔がいると思われていたそうです」

女性

「それは、どういうことですか?」

「Kiyoshi Oka の名前で次々とレベルの高い論文が発表されるので、国際的な数学の学会関係者は絶対に1人の人間が書ける訳がないので、多くの「Kiyoshi Oka」という団体がいると思ったそうです」

女性

「Okaをイギリスのスミスのような名前だと思ったのでしょうね」

「そうでしょうね。中には、日本には10人のKiyoshi Okaがいると言っていた人がいるそうです」

女性

「そんなに凄いレベルの論文をいくつも発表されたのですか!!」

「簡単に彼の略歴を紹介しますと、1901年生まれで、京都帝国大学の数学科を卒業しています。フランス留学後に広島大学教授になっていますが、その職を辞してから純正数学の研究に没頭されたようです」

女性

「教授を辞めてから研究し始めるというのが、私には分かりません」

「その感覚が我々凡人には分からないかもしれません。先程のエピソードはその頃のものでしょう」

女性

「その後は、どうされたのですか?」

「書いてある経歴をそのまま紹介しますね。『多変数複素函数論』の分野における『三大問題』といわれる難題に解決を与え、世界的な数学者として認識されるようになったとのこと。48歳で再び奈良女子大学教授に迎え入れられ、59歳で文化勲章、62歳で毎日出版文化省を受賞され、72歳の時に勲一等瑞宝章を受賞しています。1978年に亡くなられています」

女性

「亡くなられて40年以上経っているので、私なんかは知る由もないですね」

「数学が専門ですが、道徳教育に関心がおありだったようで、いくつかの著作を遺しています。今日は、彼の死後に出版された、その方面に関する本を紹介したいと思います」

女性

「数学と最初言われたので緊張していましたが、少し肩の力が抜けました。よろしくお願い致します。ここからが本論です ↓」

 天才・岡潔のキーワードは「情緒」

 岡潔は「情緒」という言葉を多用するのですが、それについて新聞記者が「先生がおっしゃる情緒は何ですか」と質問をしています。それに対して「野に咲く一輪のスミレを美しいと思う心」と答えています。その答えに対して藤原正彦氏は理解を示し、「数学をやる上で美的感覚は最も重要です。偏差値よりも知能指数よりも、はるかに重要な資質です」(藤原正彦『国家の品格』新潮社、2005年/141ページ)と言っています。


この「情緒」というのは、人間のもっているバランス感覚なのではないかと思っています。私自身かつては趣味的に写真をかじり、今は書道をたしなんでいますが、両者に共通するものはバランス感覚です。いい写真と良くない写真、同じ被写体を撮ったとしても、時には評価が別れます。書も同じです。同じ字を書いているのですが、その微妙な違いが良い字と良くない字に別れます。良いものを常に創り出すことは大変難しいことですが、良い悪いの違いを多くの人は感じ取ることが出来ます。いつも不思議に思っていることです

 

 情緒は民族によって違うし、それを教育によって伝えていくことが重要

岡潔氏の教育観を紹介したいと思います。数学の才能を天から授かった人だと思っています。全く別の立ち位置から見ていたことがよく分かるような言葉が、彼の著書には多くあります。いくつかを紹介したいと思います。

私には日本民族はいま絶滅のがけのふちに立っているようなものとしか思えない。それだけでなく、世界的にみても、人類は葬送行進曲を続けてやめないようにしか見えない」(岡潔『春宵十話』光文社文庫、2006年/113ページ)。

彼がこの文章を書いたのは、1960年代の中頃から後半のあたりです。いずれにしても、高度経済成長期であったことは間違いありません。まさに、経済大国の道をばく進していた頃なので、当時の人は全く意味が分からなかったでしょう。

そういうこともあり、『春宵十話』は角川文庫から1969年に出された後、次に再版されたのは光文社文庫として2006年のことです。冷戦が終わり、中国や朝鮮半島が日本に対してキバを剥き始めた頃になって、彼の言葉が説得性をもち始めたということでしょう。

 

 岡潔が重視したのは教育であり、「情緒」を育む教育を特に大事に考えていた

彼が一番心配していたのは、戦後教育の在り方です。そのボタンのかけ始めが違っていると彼は思っていたのです。何事もそうですが、最初の手ほどきを間違えてしまうと、その軌道修正がなかなか大変です。そのことを随分心配していたことが文脈から分かります。

「くにがこどもたちに被教育の義務を課し、それを30年続けてひどく失敗すれば、そのくには滅びてしまうだろう。ところでこのくにでは最近概算10年、新学制の下に義務教育の卒業生を出したが、これ明らかに大変な失敗である。顔つきまで変わってしまうほどに動物性がはいってしまい、……」(岡潔『情緒と日本人』PHP研究所、2008年/151ページ)。

 ここで言う「くに」は当然日本のことですが、絶望の余り日本と言えず、「くに」という言葉で表現をしています。「卒業生」というのは、団塊の世代と言われる人たちです。安保闘争を戦い、戦後の若者文化をつくった世代ですが、岡氏は手厳しい評価をしています。

失敗しないためにはどうすれば良いのか。やはり「情」という言葉を使って説明しています――「よい家庭の内容は『情』である。知や意志ではないから、自らを運んで作り上げようとするやり方では、よい家庭はできない。よい家庭が出来なければ、その人の人生は憩いの場所がない。よい家庭が出来ていれば、樹が土の中深く根を張ったようもので、よし地上に嵐が吹き荒れようと、びくともしない」(岡潔『情緒と日本人』164ページ)

「子供についていえば、数え年5つぐらいになれば他人の喜びが分かるから、このころから、他人を喜ばせるようにしつければよいと思う。こうして育った子は、外からはいる悪いものにも、内から出る悪いものにもおかされないと思う」(岡潔 前掲書、165ページ)

このように、彼の著書の多くに家庭教育にまつわる記述が多いのです。そして、特に幼児期から小学校の低学年あたりを大事な時期として考えていたことが分かります

 天才教育が必要と説く

「最後に、国家が義務教育と並んで力を入れるべきものとして天才教育があると思う」(岡潔『春宵十話』光文社文庫、2006年/148ページ)と指摘しています。何故なのか、ということです。彼の理屈は、日本が日本として独自の道を歩むのであるならば、それはいらないだろうと言います。ところが戦後、日本は世界という土俵の中で西洋文明と本格的なコラボレーションをし始めました。西洋文明というのは、猛烈な競争で成り立っているような文明なので、そこの一員として生きていくのであるならば、英才教育が必要と言います。昨今の日本を取り巻く状況を見れば、彼の提言が今になってようやく分かるようになったということです。

「日本も今のような妙な教育ではなしに、ちゃんとしたやり方で天才教育をすれば、国際的舞台でも相当にやれるのであるが、その点にはみなおそろしく劣等感をもっているから始末が悪い」(岡潔 前掲書、151ページ)

彼のアドバイスは、現在においても有効だと思います

読んでいただき、ありがとうございました。

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