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明治憲法の曲解は、戦前から始まった / 天皇主権説と国家法人説

「1月7日は、どういう日か知っていますか?」

女性

「始業式の日です」

「あのね、自治体によっては違うでしょ」

女性

「あっ、そうですね。松の内ですか?」

「松の内も地方によって違ったりします。昭和天皇が崩御された日です。1989年1月7日に崩御されたのです」

女性

「ご苦労様でした」

「そこだけ合わせないで下さい。だから、今日は多摩御陵までご挨拶に行ってきました」

女性

「改めて、ご苦労様でした。いかがでしたか?」

「殆どが団体参拝ですが、個人で参拝という方もおられました」

女性

「だけど、マスコミは殆ど何も言っていませんよね」

「というか、その辺りはさりげなく政府が国民に向かって伝えるべきことだと思いますけどね」

女性

「コロナ対応で大変なんでしょう」

「ただ、その位の心の余裕が欲しいと思います。マスコミの騒ぎ方が凄いので、錯覚を起こすかもしれませんが、例年インフルエンザで3000人を超える人が死んでいますが、現在まででコロナの死者は3500人です」

女性

「大体、同じくらいなのですか?」

「専門家は、インフルエンザよりも毒性が高いということは言えないと言っています。空気感染はないので、手洗い、マスクで充分防げると言っています」

女性

「普段の心掛けですね」

「そうですね、一応、壁紙の写真は御陵の入り口の庭園の写真です。味わって頂ければと思います」

女性

「ここからが本論です ↓」

 

 「知らす」を理解することにより、日本の統治の考え方が分かる

日本は天皇の知らす国である。日本とは何かという問いに真摯に向き合うと、自ずとこの答えに辿り着くのではないだろうか」――竹田恒泰氏は『天皇の国史』をこの言葉から始めています。

知らす」(治らす、シラス)については、昨日のブログの中で書きましたが、権力によって押さえ込むような統治ではなく、広い意味の何となく治まっているというゆるやかな統治を意味します

ゆるやかな統治では、国はまとまらないのではと思うかもしれませんが、柔よく豪を制すという言葉があるように、そのような考えを国家システムに採り入れたことにより上手く治まったことは日本の歴史が証明しているところです。

ただ、単純に誰かを中心に持ってくれば良いという問題ではなく、中心に相応しい方を迎え入れる必要があります。誰もが「相応しい」と思うためには、どうすれば良いのか。その考えの果てに、神と繋ぐというアイディアが生まれたのでしょう。

西洋の神はGod、つまり唯一の人格伸なので、人間と神の間には乗り越えることの出来ない「深い溝」があるため、両者を繋ぐことはできません。そのため、神が王に権力を授けたという説を創り出します。これがフィルマーが唱えた王権神授説ですが、授かった権力を行使するのはあくまでも人間なので、統治の仕方が悪ければ、その批判は王様に向けられます。そして結局、市民革命が勃発することになり、フランスでは革命政府によって恐怖政治が行われ、幼き者も首がはねられ、王家が根絶やしにされてしまいます

日本の神は自然神なので、西洋の神とは違います。だから、Godを神と訳したのは間違っていたと言う学者もいるのです。それはともかくとして、哲学的にはアニミズム(精霊崇拝)と言いますが、山の神、川の神、海の神ということであらゆる所に神の存在を認め、それを祀ることをします。人間も自然の中から生まれたので、神になる人がいても不思議ではないし、例えば家康や松陰は神として祀られています。神道の考えからすれば、別に不思議なことではないのです。

 

 天皇主権説と国家法人説――2つの曲解説が出る

「日本は天皇の知らす国である」という考え方を込めて大日本帝国憲法の第一条が定められます。「知らす」という言葉は法律用語ではありませんので、そのまま使う訳にはいかず、そのため「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之を統治ス」(第1条)になったのです。

伊藤博文は『帝国憲法義解』の中で「所謂『シラス』とは即ち統治の義に他ならず」と明快に述べているにも関わらず、この「統治」を戦前の憲法学者が曲解をします。この曲解は日本の歴史に対する無知ゆえの曲解だと思っています。

2つの曲解説が出ます。天皇主権論と国家法人説です主権という概念は大陸法の概念で、国家と国民を対抗的な関係として位置付けた上で、どちらに最終決定権があるのかという際に使う概念です。日本は家族的国家観の国なので、主権という概念は馴染まないと判断され、大日本帝国憲法には使われていません。ところが、これが現在の憲法学会では、通説的立場を占めています。そんなこともあり、公民関係の教科書には「天皇主権」という言葉が使われているのです。

国家も組織なので、一つの法人として合理的に考えようというのが国家法人説の出発点です。美濃部達吉が提唱しますが、元の考え方はドイツから学んだものです。

国家法人説の立場に立った学説が「天皇機関説」です。国家という法人のトップに位置付けられるのが天皇という主張ですが、「シラス」者というのは、そういう存在ではなく、組織の中に位置付けられないのが天皇という地位なのです。その辺りの理解が不十分なまま、無理やり位置付けようとしたのです。つまり日本の歴史の不勉強とドイツ法学への傾倒が生んだ学説だと思っています

 戦前の曲解説が戦後も受け継がれていく

大日本帝国憲法の制定に関与した金子堅太郎は、とにかく第1条と4条(「天皇ハ元首ニシテ統治権ヲ総覧シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」)を熟読しなさいと言っています。そして、「此の二箇条を熟読し日本の歴史を講究し、我が国体に基きて憲法を解釈すれば天皇機関説の如き誤りに陥ることは決してない。然るに此の二箇条を熟考せずに只外国の憲法論の理論に依って我が憲法を解釈しようとするから、そこに大なる誤りを生ずるのである」(金子堅太郎「帝国憲法制定の精神」)としています。

大日本帝国憲法に対する戦前の法学者の曲解が、そのまま学会の中で受け継がれていきます

・「明治憲法の指導原理は、19世紀のドイツ諸国の憲法を特色づけた『立憲君主制』の原理に強度の神権主義を加味したものだったと言える」(宮沢俊儀『憲法』有斐閣、1986年/27ページ)

・「明治憲法は、立憲主義憲法とは言うものの、神権主義的な君主制の色彩がきわめて強い憲法であった」(芦部信喜『憲法』岩波書店、2007年/18ページ)

・「天皇が主権をもつのが明治憲法の基本原理である。……天皇は統治権の総覧者であり、他の国家機関の権能とされていない事柄はすべて天皇の権能とされ、すべての統治の権能の淵源は天皇にあるというたてまえがとられている。このような天皇の地位のうちに、君主の権能は神から与えられたものであるという神権説にもとづく絶対主義の考え方が最も鮮明にあらわれている」(伊藤正己『憲法入門』有斐閣双書、1998年/22-23ページ)

・「大日本帝国憲法には、天皇主権、皇室の自律、天皇大権による国政運営など天皇の統治権を広範に認める側面と、欧米諸国の憲法にならって、権利の保障、権力の分立、限定された民主政治など、……」(長谷部恭男『憲法』新世社、2011年)

傍線を引いた箇所が大日本帝国憲法を曲解している部分ですこれらに共通しているのは、国家と国民を対抗関係で捉えるという西洋法学の考え方をそのまま援用している点です。それについては、伊藤も金子も日本とヨーロッパは国の成り立ちそのものが違うので、彼らの考え方をそのまま日本の憲法解釈に当てはめるのは絶対に間違っていると再三再四言っているにも関わらず、それを無視した解釈が現在の憲法学会においての通説になってしまっています。

学会というのは、様々な考え方を闘わせるのが本来の姿だと思いますが、何か見事に制定者の考え方と違った学説で統一されてしまっています。変な師弟関係の中で、学問の自由がないという状況がうまれているのではないでしょうか。心配しています。

読んでいただき、ありがとうございました。

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