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英語教育の推進は、文科省による「愚民化政策」の一環か

 

「昨日、のめり込みの話をしたけれど、続きをしましょう」

 

「また、のめり込みの話ですか?」

 

「日本人の弱点なので、それを自覚してもらうために話題にしようと思ってね」

 

「弱点って?」

 

「のめり込むのは、ある程度仕方がないかなと思います。そこで止まれば長所にもなるけれど、のめり込み過ぎて、今までの歴史や原理・原則、基本を忘れてしまうので、弱点と言っているのです」

 

女性
「例えば、どういうことがありますか?」

 

「明治維新の頃、文明開化の波の中、今まで身に付けていた和服、草履、下駄、足袋を脱ぎ捨てて、背広に革靴、帽子をかぶって紙巻タバコを吸い始めた。戦後となり、それまでは英語は敵国語で勉強する奴は馬鹿と言っていたのに、負けた途端に「ギブ・ミー・チョコレート」で英語を勉強しない奴が馬鹿扱いされるようになった」

 

女性
「日本は和の国なので、何でも吸収してしまうのですよ」

 

「そういう見方もできるかもしれない。ただ、吸収して消化するなら良いが、本体が乗っ取られていないか?」

英語教育にのめり込み過ぎです。現場からの警告的な発信です英語教育は80年代半ばから90年代にかけて広がった「グローバリズム」の流れの中で、強く後押しされるようになりました。

「グローバリズム」「グローバリゼーション」「グローバル化」といろいろ表現されていますが、近年は流行語のようにほとんど無批判に使われるようになっています。

時代的なきっかけは、1989年の冷戦終結、91年のソ連崩壊です。これからはすべての国々が一つの共同体としてまとまろうという意味が「グローバリズム」の言葉に込められていたのでしょうが、まとまり方が問題です。本当に一つの考え方・価値観でまとめてしまうのと、様々な価値観をお互いに認め合い、共生を認めた上でのまとまり方は違います。例えると、前者はレンガを幾何学的に積み上げた城壁であり、後者は日本の城の石垣です。私自身は、後者の石垣に美を感じますが、共産主義的な考え方をもつ人は前者に美を感じるのかもしれません。

ところで、文部科学省は「グローバリズム」(文科省は「グローバル化」)の黒船に思いっきり乗り込んでいます。「『英語が使える日本人』の育成のための行動計画」(2003年3月:文部科学省)によれば、「経済、社会の様々な面でグローバル化が急速に進展し」「国際的な経済競争が激化し」ているが、「これに対する果敢な挑戦が求められて」いるので、「子どもたちが21世紀を生き抜くためには、国際共通語としての英語のコミュニケーション能力を身に付けることが不可欠」と言っています。

最初に結論ありきで強引に文章を作っています。こういうのを「取って付けた理屈」と言います。だから、簡単に反論できます。最後の結論を変えてしまえば良いのです――「子どもたちが21世紀を生き抜くためには、日本のアイデンティティをしっかり保持する必要があります。母国語の力を磨き、世界の国々に日本イムズを発信していきたいと思います」。

英語が国際語の地位を得ているのは、アメリカの経済力、政治力、外交力が世界一だからですアメリカの前はイギリス。英語の前はラテン語ですが、ヨーロッパ世界を支配していたローマ帝国の公用語です。だから、日本が仮に経済力、政治力、外交力が世界一になれば、日本語が国際語の地位を得ることもあり得ます。その位の気構えで臨んで欲しいと思います

そもそも日本の社会は、日本語だけで充分勝負することができます大陸の国々は、戦争や紛争で様々な国が勃興し、しばしば国境変更があったことから、将来の生活のために自国語以外に外国語を勉強した方が良いという考え方が定着するようになっただけです。例えば、『教育論』の著者ラッセルは幼少の頃から英語と同時にドイツ語やフランス語を学び、3か国語を話すことが出来ました。その彼が「外国語の問題は、必ずしもやさしくない問題である」、「外国語を教えたければ、その言語を母語とする人が教えるべきである」(安藤貞雄訳『教育論』岩波文庫、1990年)と述べています。

特に日本は母音文化の国です。それに対して、どの外国語も子音を多かれ少なかれ使います。日本人がヒアリングやスピーキングが苦手なのは、そのためです。そして、年齢を重ねれば重ねるほど外国語特有の子音が聞き取りにくくなるので、仮にバイリンガルとして育てたいのならば、3、4歳頃から英語をネィティブの指導のもとで行う必要があります。

いよいよ今年の4月から小学3年生で英語教育がスタートします。5年生からは正式教科になります。2021年度からは、中学英語はオールイングリッシュという計画になっています。文科省は「国民総バイリンガル計画」に前のめりになっていますが、計画が余りにも杜撰(ずさん)なので英語の学習は従来通りで良いと思います

小学校の教員で英語の教員免許を持っているのは現在1割位です。中学生に教える場合は、英語の免許がいるのですが、小学校の英語は無免許で良いというのもおかしな話です。ネィティブを含めて人材を確保できない準備不足の段階でのスタートは、却って英語嫌いを大量生産するだけです

カナダでは教科によっては仏語で行うという試みもしてきたそうです。そのカナダ・レジャイナ大学の准教授のポール・シンクレア氏は母国の経験を語っています――「特別な言語の才能がない限り、……英語と仏語のどちらも中途半端なまま成長する。地元の言葉と植民地時代の外国語の教育を両立しようとしてきたインドやアフリカ諸国でも同じような現象がみられる」。そして、日本の試みに対して「英語力を強化するどころか、母国語の力を低下させてしまう懸念すらある」(「私見卓見」『日経』2020、1.24日付)と述べておられます。PISAの順位が今回8位から15位に大幅にダウンしたのですが、そういった影響もあるのではないでしょうか。

併せて読みたい! 国際学力調査(PISA)の新聞報道に接して

教え方によって差がつき、それがそのまま中学に持ち越されます。英語ぎらい、落ちこぼれ、そして不登校、引きこもりといった問題が必ず起こります。

現場の実態を知らない方は、教科にすれば子供たちは全員笑顔で勉強をし、すべて理解して英語の能力を身に付けてくれると思っているかもしれません。大いなる誤解と錯覚です現場を知らないまま、大本営がインパール作戦、神風特攻隊といった無謀な作戦を立てて敗戦となった先の大戦の教訓が全く生きていません。

文科省は相変わらず平均値を上げる発想ですべて事に当たろうとしていますが、英語に興味・関心があり、その必要性が高い子女に個別指導をするとか何か特別の手当をして、その能力を伸ばすといった個別対応システムを考えれば済む話だと思います。全体の底上げを狙う作戦は、場合によっては全員討ち死にになる恐れがあります。

ただ、最近はもしかしたら共産主義者に文科省が乗っ取られ、愚民化政策を密かに進行させているのではないかと思い始めているところです。現に、文科省のトップである次官にまで昇りつめて辞めた方が、今や全国で反日活動をしています。

その国を亡ぼすためには、文化と言語を破壊すれば良いのです。言語を破壊すれば、思考力が停止します。破壊活動が活発に動いています。

破壊活動をする者と守る者、その攻防が日本列島の中で現在、秘かに続いています

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