
「卒業文集を止めてしまう学校もあるそうです」

「理由は何ですか?」

「止めた学校の教頭先生曰く、プライバシー保護と文集がなくても各自が過去の作文を読んだりして、思い出を振り返ることができるからだそうです」

「面倒くさいし、カネもかかるから止めたという風に聞こえます」

「理屈は何にでも付くと言いますからね」

「最近の学校教育、特に公立学校は、プラスαの手間を惜しむようになったと思っています」

「卒業文集は、プラスαの手間なんですね」

「部活動も地域に指導を移行させようとしていますよね。心配するのは、一度手間を惜しむ考え方に慣れてしまうと、あらゆる場面で手抜きが始まるようになるのではないかと思っています」

「そういう心配はあるかもしれません。ただ、働き方改革の流れもありますから……」

「やむを得ない動きとして容認するということですか?」

「小学生の子を持つ母としては、従来通り続けていって欲しいのはやまやまです」

「現場でそれぞれ工夫をすれば良いと思います。作文を書かせるのが大変なら、親子で話し合って1ページを書いて下さいと全部任せてしまうのも手です」

「そうすると、親の中には苦情を言う人が出てくると思います」

「そういう人たち親子を集めて講習会を開いて、完成してもらえば良いと思います」

「成る程、プライバシーの問題はクリアされるし、教員が作文指導で苦労することもなくなりますね」

「そのために学校に出勤しなければいけませんけどね……。ここからが本論です↓ 表紙写真は「みんなの教育技術」提供です」
伝統的に継続してきたものを簡単に止めてしまう愚
卒業アルバムも卒業文集も、自分の成長を確かめつつ、過去の様々な思いや考えを振り返りながら、未来に向けての道しるべになればという考え方から定着していったものだと思われます。卒業アルバム・卒業文集がいつ頃から始まったのか。詳しい年代は分かっていませんが、明治時代の中ごろから作られ始めたと言われています。そして大正時代には、多くの学校で卒業アルバムを作るようになっていったとのことです。
それなりに現場の中で歴史を積み重ねてきたものについて、説得的な理由なしで、廃止に踏み切ってしまうのは、あってはならないことです。仮に廃止にする場合は、学校はその旨を教育委員会に届け、了解を取る必要があると思います。そして、それと同時に保護者に事情を説明して承諾を得ることは当然のことです。
廃止する側は、卒業文集は単に思い出を書き集めたもの、だから大した意味はないと思っているのかもしれません。仮にそう思っているのなら、子供たちにとって意味あるものに変えてあげる工夫をすれば良いと思います。
(AERA dot(アエラドット)/朝日新聞デジタル)
取り組ませ方によっては子供たちの成長のきっかけとなる
小学校の6年間と中学校の3年間は、人生の中で心も身体も大きく成長する時期です。自我が芽生え、アイデンティティを確立するという課題を背負う頃です。自分はどこから来てどこへ行くのか。自分という人間を生かす場所を見つけるという作業をしなければなりません。
当たり前ですが、人間は一人ひとり違った個性を持って生きます。成長するためには、自分の持っている個性と特性を自分なりに掴む必要があります。その時の有効な手段が作文です。思い出を振り返ることは、自分を振り返ることに繋がります。自分という人間を客観的に見つめられるようになれば、今度は自分の将来に対して展望が出てきます。なるべく具体的、かつ大きな目標を持って書くということが大事です。夢は書くことによって実現すると言います。あの大谷選手も「世界一の選手になる」と小学校の卒業文集に書いています。
こういった話を学校の教師は子供たちに語ってあげる必要があるのです。「卒業文集を作るので6年間の思い出を書いてね。作文用紙2枚以内だよ」―—こんな薄っぺらな説明ではダメです。この程度の説明しか出来ない人に限って、廃止と言い始めるのです。
(「note」)
自分探しの一歩として卒業文集を位置付ける
スポーツや実業界で活躍する人たちも、日本の伝統である卒業文集に取り組んできたのです。イチローの卒業文集は大変有名です――「僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。……略……その球団は中日ドラゴンズか、西武ライオンズです」。書くことによって自分の中に意識化できます。潜在意識に自分の夢を刻み込むのです。これが実現に向けての大事な一歩となります。
プライバシーの問題があるというならば、個人別の卒業文集を作成してあげても良いと思います。今まで書き溜めた作文と卒業の作文を併せたものを1つのファイルにしてあげるのです。そして、自分が何を書いたのかを級友の前でプレゼンテーションをすれば良いと思います。文集をつくることが目的ではなく、本人の成長のきっかけにするのが目的だからです。
書くことがないという子には、今まで褒められたことの話でも良いと言ってあげて下さい。具体的にどういった場面で、誰からどのように褒められたのかを書くのです。自分が興味を持って取り組んだことでも良いのです。後で読めば、自分について自信を深めるきっかけになるかもしれませんし、自分探しの手掛かりになるかもしれないからです。
卒業という折角の機会・チャンスを無駄にせず、自分探しの一歩として文集づくりをして欲しいと思っています。
(「Gooブログ」)
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