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森林大国・日本の盲点(その2) ―― 森林崩壊はなぜ起きたのか / 「少子化×地方×自然」の構造的危機

女性

「前回の説明で森とクマの因果性が分かりました。折角なので、もう少し突っ込んでみたいと思います。すいません、私は文系なので、初歩的な質問をするかもしれませんが、ご容赦下さい」

「いやいや、素朴な疑問というのが、意外に重要な質問ということが多いので、是非お願いします」

女性

「広葉樹林が動物たちにとって魅力ある「食べ物の宝庫」というのが分かったのですが、針葉樹林はそういう意味では、魅力がないのでしょうか?」

「針葉樹は、栗やドングリのような大きくて多肉質な果実は付けませんが、「松ぼっくり(球果)」の中に種を持っています。針葉樹の種は、タンパク質や脂質が非常に豊富です。
どのような動物の餌になっているのか、インターネットで調べてみて下さい

女性

「今は便利ですね。えっと、出てきました。松ぼっくりの種は、リス、ムササビ、アカネズミ、ヤマガラ(鳥)にとって大事な食料だそうです」

「針葉樹は一年中葉を落とさない常緑樹が多いため、小鳥や小動物たちにとっての住み家になったり、外敵から身を守る場所、雨や雪から身を守る場所として利用されたりしています。しかし、クマやイノシシ、シカといった大型・中型の哺乳類からすると、住みづらい処なんです」

女性

「戦後に広葉樹を切り倒して、針葉樹ばかり植えたので、クマやイノシシ、シカたちの居場所が少なくってしまったのですね」

「広葉樹林は、実の種類も多く、昆虫なども豊富に発生するため、生態系全体が豊かです。針葉樹林の密度が高いと日光が地面まで届かず、シカやウサギが食べる下草が育たないのです」

女性

「森は針葉樹と広葉樹が交り合うことによって多様性を維持できるのでしょうね」

「縄文人たちは、それぞれの特徴を生かして両方の木々を利用していました。建築資材は針葉樹という固定観念を持つようになったのは戦後です。三内丸山遺跡を象徴するような大きな柱が立っていますが、あの柱は広葉樹であるクリの木を使っています。硬くて腐りにくいため、丈夫な建物を建てる時に使ったと言われています」

女性

「縄文時代には適材適所が行われ、戦後になって、ご都合主義が横行して森が荒廃し始め、クマが出没するようになったということですね」

「過去から何も学んでいないということです。ここからが本論です ↓ 表紙写真は「note」提供です」

 「人工の森」が生んだ構造的歪み

現象面ではクマが現れ、シカが市街地に現れるようになりましたが、その背後には、日本が「森林大国」(下のグラフ参照)であるという自覚の欠如があったと思われます。そして、その森を単なる人間の道具のように考え、目先の建材需要に応えるべく広葉樹林を切り倒して針葉樹林に植え替えてしまいました。これらの3つの大きなミスが、現在の事態を招いたと考えても良いでしょう

三内丸山の縄文人たちは、特定の木(クリやウルシ)を管理しつつも、周囲の多様な森を壊さずに利用していました。彼らは「人間に便利な木」(針葉樹林)と「森を豊かにする木」(広葉樹林)とが共存してこそ、持続的な生活が成り立つことを経験的に理解していたのです。

これに対し、戦後の「拡大造林政策」は、当時の経済状況(住宅建材の急増)には適応していましたが、生態系のバランスという点では大きな歪みを生んでしまいました。針葉樹(スギ・ヒノキ)中心の単一林が、なぜ問題なのか。主な理由は以下の3点に集約されます。

①「食べ物」の消失: ドングリや葛などの実をつける広葉樹が減少したことで、クマやイノシシ、シカなどの大型哺乳類の食料を奪ってしまい、結果として彼らが人里に降りてくるようになりました。獣害の一因となりました。②「生物多様性」の低下: 針葉樹の人工林は光が地面まで届きにくく、下草が生えません。そのため昆虫や小さな動物も減り、「生きた森」ではなく「木材生産工場」のようになってしまいました。③「防災機能」の弱体化: 広葉樹は深く根を張り、落ち葉が厚い腐葉土を作って水を蓄えます(緑のダム)。一方、管理放棄された針葉樹林は落葉しないものが殆どのため腐食土を形成されませんし、根が浅いため土砂崩れや洪水のリスクを高めることになります。

(「農林水産省」)

 国家主導の森林政策と里山の崩壊

アイヌには、クマを「山の神」として崇めるという風習があります。森に何らかの異変がある場合、真っ先に反応するのがクマであることを経験的に知り、そんなに早く知ることができるのは、「神」に違いないということになったのでしょう。とにかく、クマやシカといった野生動物にとって棲みにくい森は、自然の循環がなされていない森だということです。

そのような森を生み出した最大の原因は、前回にも触れましたが、戦後の「拡大造林政策」です。林野庁(農林水産省の外局)が中心となって策定したものですが、単なる一官庁の施策ではなく、戦後復興と高度経済成長を支えるための政府全体の重要施策(国策)でした。1964年の「林業基本法」によって、国家として林業を振興する法的枠組みが強化された上で、当面の目標である建材確保のため、森林の約4割を人工林(その多くが針葉樹)に転換したのです。

問題は、人工林の候補地の多くが里山に集中したことです。そして、単に木を植えるのではなく、里山の広葉樹林を「価値の低い雑木林」と見なして伐採し、経済価値の高い針葉樹(スギ・ヒノキ)に植え替えることを組織的に推し進めました。そのことが、現代における獣害の増加や花粉症、生物多様性の低下といった深刻な副作用をもたらすことにもなりました。

かつての里山は、人間が薪(まき)を拾ったり炭を焼いたりするために、適度に手を入れ続けることで「明るい広葉樹の森」が維持されていました。ところが戦後のスギやヒノキの密植により、成長した針葉樹が日光を遮るため、地面は真っ暗になり、下草も生えず、動物も住めない「緑の砂漠」と呼ばれる状態になりました。

さらに人口減による地方の過疎化によって里山に手が入らなくなり、放置されて森が藪に覆われるようになりました。蔦(つた)類の植物が樹木に絡みつき、全体を覆い隠してしまったり、背の高い野草などが下から生えたりして人が踏み込めないような状態になると、動物たちのエサとなる多様な植物が育たなくなります。適度な藪は「生き物の多様性を守る住みか」になりますが、手入れがされず森全体が飲み込まれるほど藪化してしまうと、「森の健康が損なわれ、住める動物が限られてしまう」のです。

(「TOSHU(東集)」)

 森林再生と国家課題の統合

三内丸山の「多様な森との共生」とは対極的な「経済優先の森づくり」が、そのような結果を招いてしまったと言えます。縄文人が1500年の長きにわたって知恵と工夫によって維持して森を、戦後の文明人はわずか80年足らずで破壊してしまったのです。ある意味、皮肉なことです。根本的な原因は、縄文人たちが「自然の恩恵を使いながら、その自然が回復する手助けもする」というギブ・アンド・テイクの考えをもちつつ、畏敬の念を持って森や森の生き物たちと接していたのに対して、文明人たちは森を単に利用すべき対象物として捉えたところにあります。自然からの復讐がなされたのだと思っています。

ただ、近年になってようやく、国も「国家的危機(重大事態)」として認識し始め、最近では、針葉樹の人工林を切り開いて広葉樹を植え戻しす「針広混交林」(しんこうこんこうりん)の動きが出始めました。予算も付き始めましたが、「失われた数十年」を埋めるには人手も時間も圧倒的に足りていないのが実情です。

森の修復には30年~50年という長いスパンでの計画が必要です。植え替えた広葉樹が実を付け、動物たちが山に留まれるようになるまでには長い年月が必要です。森を修復(間伐や植樹)する専門職も減っており、予算があっても「動ける人がいない」という地域が続出しています。ここに少子化・人口減という問題が覆いかぶさります。

もはやこれは、クマを猟銃で撃って済むような問題でもありませんし、単なる環境問題でもありません。森林再生、地方創生、少子化・人口減対策を、「国家の持続可能性」の問題として総合的に捉える必要があります。個々の政策をバラバラに実施するのではなく、思想・制度・人材を統合した戦略が求められています。

(「林野庁-農林水産省」)

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