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【教育】危機は静かに忍び込むようにやって来る――お粗末な対応では危機が拡大する

  • 2019年12月10日
  • 2020年5月17日
  • 教育論
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政治、経済の危機はそれなりのスピードで来る

自然災害を経験した人がよく口に出す言葉――「まさか、こんなことになるなんて」。人為災害も同じである。もちろん偶発的なものもあるが、人為災害の場合は、必ず前兆がある。そして、悪意であれば欲望と破壊、善意であれば無知が根底に潜みながら組織が動き、人が動くので、よく気を付けていれば未然に防ぐことができる。ただ、その防ぎ方がお粗末では、危機が拡大するだけである。本日の話題は、お粗末な対応で、危機が拡大しそうな事例である。

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自然災害は、どんなに鈍感な人でも、人間ならば分かる。政治、経済の危機はそれなりのスピードで来て規模が大きいので、普通の感覚さえあれば捉えることができる。マスコミのニュースの取り扱いに政治経済関係が多いのは、そのためである。

教育、保育、福祉の問題に関する危機は、忍び足でゆっくりやってくる

そのため見過ごしたり、気に留めないで済んでしまったということになりがちである。マスコミも余り関心を示さない。記事にしても買わないし、読まないからだ。従って、肩書がなく、名前も売れていない人が教育問題で飛び込みで原稿をもっていっても、内容に関係なく門前払いだろう。ただ、このブログでは、余りマスコミ受けしないが、気付いて欲しいことを中心に危機的状況を発信しようと考えている。

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(マナラボ)

つい先日、『神戸新聞』という地方紙が、教員免許更新制度について報道していた。その内容を簡単に言えば、実効性がないのではないかということである。マミコミが教育でも教員免許という、誰もが殆ど気にしないようなことを記事にすること自体が珍しい。ただ、問題の捉え方が皮相的で、処理の仕方が安易である。要するにワンパターンの報道の仕方――制度の概要を報道し、現場の状況をデータを駆使して紹介し、最後に有識者ということで大学の教員のコメントを載せて終わりである。

大学教授のコメントは役に立たないことが多い!

 政治経済関係は、大学で専門に研究している人で良いが、教育の問題は現場を知らず、ただ机上で制度や文献を研究しているような方にコメントを求めてもトンチンカンなものが出てくる場合が多い。現場の長、場合によっては当事者の生徒・児童でも構わないと思う。子供の中にも大人顔負けの意見を言う子がいる。そういったものを、記事の出発点にすれば良いのにと思うことがある。

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(おやこの黒板)

『神戸新聞』は都内私立大の教授のコメントを載せている――「教員の資質を培うには、職員室でのコミュニケーションが必要だ。勤務する学校の児童や生徒についてしっかり議論すれば、課題が具体化する。その話し合いを通じて、子どもとの関わり方や解決方法を学ぶことが質の向上につながるのではないか」。免許更新制度については、「仕組みが複雑で、学校の管理職も把握できていない」と述べておられる。こういうのをトンチンカンと言う。

 教員免許更新制は「教育再生」を掲げる第1次安倍政権の下で導入が決まり、2009年度から始まっている。導入の目的は教員の指導力向上とペーパーティーチャーの排除である。指導力不足など教育現場に対する批判が高まったのを受けて、文科省が中心となって制度設計をしたものと思われるが、調理師の免許更新のような発想で作られたような代物である。

教員免許更新制の矛盾

かつて教員免許は「一生もの」であったが、今は10年ごとの更新が必要となり、その際に30時間以上の講習(5日間の講習)を教職課程のある大学で受講しなければいけなくなった。少し考えれば分かるが、板書の仕方、授業の進め方、子供に対する対応、試験問題の作り方や保護者との対応など、大学の講習を受けただけで向上するはずがない

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しかも教職課程のある大学が、教育学部を設置しているとは限らない。そうすると、教員免許をもっていないし、現場を直接知らない大学の教官が、教員免許を持っている人に教育を教えるという「珍現象」が起こることになる。調理師免許講習や運転免許講習で、教える人が免許を持っていないと知ったならば、そのような講習は誰も受けないだろう。しかも講習料(約3万円)は免許を持っている人が、無免許の人に払うことになっている。

つい先日も教員が集団で仲間の教員をいじめるという「カレー事件」があったが、近年、新聞の3面記事に教員がよく登場するようになった。データを見れば分かるが、今の更新制度は、教員の資質向上や指導力向上には殆ど役に立っていない。そのような小手先だけの改革で教員の資質向上が図れると思うこと自体が安易である

教育現場に携わる者の意見

では、どうすれば良いのか。温故知新、古に学んで欲しいと思っている。日本は近代教育制度をスタートさせるにあたって、人づくりの人材とモノづくりの人材を別系統でそれぞれ養成しようと考えた。いわゆる師範学校を設けて、真っ先に行ったのが小学校の教員養成であった。小学校の低学年に力量がある教師を配するのが重要と考えているが、その辺りは教育界では一つの合意になっていないかもしれない。

卒業後に教職に就くことを前提に授業料が無料であった上に、被服費なども支給されたので、優秀だが経済的に恵まれない家庭の救済にもなっていた。それを模倣しろとは言わないが、今のように教職課程を取ればどんな学部でも教員免許を取れるというのは、かなり乱暴な制度である。

大学進学率が10%台だったころは特に大きな問題が起きなかったが、進学率が50%となり、定員割れの大学が現れ始めるような状況下では粗製乱造のそしりは免れない。学部を卒業して、さらに2年間教員養成の大学院を修了した者に期限なしの教員免許を授与するといった抜本的な対策が欲しい。

教育の現場がブラック化すると同時に、学力がない教員が現場に立ち、授業崩壊、落ちこぼれ、登校拒否から挙句の果ての教育不信ということが国民の間に少しずつ広がっている。

国会議員の先生は、「桜」のことだけで騒がないで、大局観に立って日本のために様々な施策を考えて欲しいと願っている

無題

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