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「ゆとり教育」の失敗から学ぶべきこと ―― 官僚主導の教育改革が残した教訓 / 中央集権的教育行政を転換する時代

「あなたは「ゆとり教育」世代ですか?」

女性

「そうですね。土曜日が隔週でお休みだった記憶があります」

「2002年から完全5日制に移行しますが、その時はどうだったのですか?」

女性

「私は中学から私学だったので、関係ありませんでした。公立は良いなあと思ったこともありましたけどね……」

「どうして私立に行ったのですか?」

女性

「母が女の子も、これからは学力が必要になる時代だし、高校受験で苦労しなくても良いようにと言われて、それで……」

「そういうご家庭が多かったと思います。完全週5日制と同時に、学習内容を3割削減した「ゆとり教育」の本格的スタートを境に公立から私立へのシフトが一気に進みます」

女性

「大学受験を今まで通りにしておいて、公立の小中だけを動かすから当然そうなりますよね。子供の私でも分かりました」

「入った学校(私学)は、土曜日は授業でしたか?」

女性

「それをウリにして生徒募集していましたね」

「得をしたのは私学関係者だけだったみたいですね。ここからが本論です ↓表紙は「数学プロセス」提供です」

 「ゆとり教育」はなぜ始まったのか

1980年代は「校内暴力」や「激しい受験競争(詰め込み教育)」が社会問題化していた時期です。これらへの反省から、1984年に設置された政府の「臨時教育審議会(臨教審)」などが「これからは心のゆとりが必要だ」、「週5日制を検討すべきだ」という提言を出し始めました。「ゆとり教育」は80年代に方針が固められ、90年代に実験的に始まり、2002年に完全導入されたのです。

一般論として文明国家が進展すれば、文明の頂点が高くなるため、それに対応すべく学習内容が難化するのは当然です。そんなことは少し考えれば分かりそうなものなのに、学習時間と学習内容を削るという真逆の対応をします。なぜ、こういうことが起きたのでしょうか。官僚主導政治の欠点が出た瞬間でした。現場との距離が大きいまま政策が設計されるという、官僚主導政治の弱点がここでも表れました。現場のリアリティを予測できる人物を欠いたまま戦略を「雲上人」が集まった審議会で練ると、どうしても机上の空論になりがちです。そして最後は、発言力の強い人間の意見に振り回されることになるのです

臨教審では、瀬島龍三氏(元大本営参謀・伊藤忠商事会長)や天谷直弘氏(元通産審議官)が大きな影響力を持っていたとされています。瀬島氏は中曽根首相の「ブレーン」として行革や臨教審を裏で仕切った最大の実力者です。彼は詰め込み教育の時代ではなく、個性重視の時代、人材の多様化と主張しました。天谷氏は日本が文明のトップに立った今、必要なのは創造力なので、子どもに「ゆとり」を与えるべきだと主張したのです。

1980年代前半、学校現場は「校内暴力」「いじめ」「過酷な受験競争(偏差値教育)による子どもの自殺」などが噴出し、深刻な危機に瀕していました。臨教審の識者たちは、これらの病理の原因をすべて「詰め込み教育」、「受験競争」と結論づけてしまったのです。そのため、「授業内容を減らし、学校を週5日制にして『ゆとり』を与えれば、子どもたちの心が豊かになり、いじめや暴力はなくなり、自ら考える力が育つはずだ」という空想論がここで完成することになるのです。

(「元企業戦士の1日1歩ブログ」)

 文部省による制度化と学力低下への懸念

臨教審の答申を受けた文部省の官僚たちは、1980年代末から2000年代初頭にかけて、学習指導要領改訂を通じて「ゆとり教育」を具体化していきました――「生活科」の新設と低学年の理科・社会の廃止(1989年改訂)、「総合的な学習の時間」の導入(1998年改訂)、教育内容の「3割削減」と「絶対評価」の導入(1998年改訂/2002年実施)。

1998年に教育内容3割削減の学習指導要領が発表された直後から、すでに学力低下を懸念する事例が相次いでいました。期せずして、1999年に出版された書籍『分数ができない大学生』がベストセラーとなり、私立文系や中堅以下の大学だけでなく、一流大学の学生の基礎学力低下が浮き彫りとなり社会問題化したことが象徴的な事案でした。

ゆとり教育からの転換(いわゆる「脱ゆとり教育」)の最大の契機となった事例は、2004年に発表された国際学習到達度調査(以下「PISA」)における日本の順位急落、通称「PISAショック」です。「PISA」というのは、経済協力開発機構(OECD)が高校1年生を対象に行っている学習到達度調査のことですが、2003年調査(2004年発表)では「読解力」が8位から14位へ急落したのです。これがメディアで報じられたことをきっかけにして、国民の間でゆとり教育への批判や危機感が一気に高まったのです。

(「www.mdsweb.jp」)

 「脱ゆとり教育」と残された課題

これらの世論やデータを受け、文部科学省は方針転換を余儀なくされました。2008年の学習指導要領の改訂は、脱ゆとりへの明確な転換となりました。1980年代から続いた「授業時間・学習内容の削減」の歴史に終止符が打たれました。小学校では2011年度から完全に施行され、主要教科の授業時数が約10%増加し、算数や理科などの学習内容が再び拡充されたのです。ただ、転換と言っても、元に戻っただけのことです。「ゆとり」と騒いだ30年間は一体何だったのでしょうか。

文部科学省は、「ゆとり教育は間違っていた」あるいは「失敗だった」と公式に表明したことはありませんが、2016年、当時の馳浩文部科学大臣が記者会見で「ゆとり教育との決別」を明確に宣言しました。これが事実上のゆとり教育失敗宣言になったのです。一時の気の迷いでどこかに向かって進んだものの、間違いと気が付いて引き返し、何もなかったように元の道を歩んでいるということです。公式に過ちと認めていないので、何の総括もされていません。ということは、また同じような誤りを繰り返す可能性が高いということです。

失敗には個人的な失敗と組織的な失敗、構造的な失敗があります。ゆとり教育の失敗は中央集権下での官僚政治がもたらした構造的な失敗です。そもそも教育という営みは個別具体的な営為であるにも関わらず、全国一律で方針を決めること自体が間違っています。そして、教育は現場を伴う営みであるにも関わらず、審議会のメンバーたちが現場に精通した人間の意見をリスペクトしようとしませんでした。そのため有識者たちが理想論を述べ、それがそのまま会の意見としてまとまり、政策として打ち出されてしまったのです。そのため、地に足が付かない空理空論が日本の教育界を覆い、その「被害」は子供たちに及んだと見ています。

ところで一体、いつまで中央集権的な教育行政を続けるつもりなのでしょうか。この態勢では、同じような失敗を何度も繰り返すことになり、結局、国際社会の荒海の中で沈没することになります。都道府県の教育委員会がすでにあります。地域ごとに教育課題は異なります。人口減少地域、都市部、外国人児童生徒の多い地域では求められる教育政策も違い、これからは今まで以上に個別対応が必要になってきます

例えば、教育分権が進んでいる国では、州や自治体単位で教育課程や運営に裁量があり、一つの政策判断が全国一律に及ぶリスクが相対的に小さい一方、日本では学習指導要領の改訂が全国の学校に同時に適用されます。全国一律の制度設計のため、政策の誤りを全国に拡大させることになるのです江戸時代の「寺子屋・藩校教育」は、地方分権体制の中で始まりました。各地の教育委員会が、それぞれの地方の状況に合わせて教育課程を決めた方が良い結果が生まれると思います。

(「みんなの学校新聞」)

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