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中江藤樹、本田宗一郎―—「SDGs」、「CSR」の考え方に通じる利他精神を唱えた先駆者たち

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女性

猿真似の話を昨日のブログでしていましたよね

それがどうした、ぼくドラえもん

女性

……いきなり遊ぶの止めてもらえますか。ところで、学ぶというのは真似るから来ていると思うのですが、猿真似とそうではない、「学びの真似」の違いは何ですか?

(急に変わって)良い質問ですね。一番大事なのは、学ぶ主体者の姿勢だと思います。形だけ真似てやろう、と思った瞬間に猿真似になります。学ばせて頂きますという姿勢があれば、それは猿真似ではありません。まさに、学びです

女性

動機が問題ということですね

あと、それのエッセンスというか、本質をどう吸収するかということだと思います。そして、それが学ぶ側にとってプラスに作用している必要があります

女性

なるほど、自己満足ではダメということですね

もちろん、真似をする人は良かれと思っているのでしょうが、周りは否定的ということもあります。それでは駄目なので、ワンランク落ちて……

女性

猿真似になるということですね

そういうのを、猿も木から落ちると言います

女性

はい、はい。ちょっと外した感じですね。そして抽象論になってしまっていますので、何か具体的な話をして下さい

日本には多くの偉人、賢人もいて、多くの実践があるのですが、何故か不思議と海外に目を向けてしまう人が多いのです

女性

灯台元暗しですか

誰かの言葉として遺っていますよね。日本人は手本となるべき教えは、海の向こうから来るものだと思っている、と。その原因は、民族の古来よりもっているDNAがなせる業(わざ)かなと思っています

女性

島国に閉じ込められているので、海の向こうにきっと理想の世界があり、そこから素晴らしい教えがやってくる、こんな感じですか

そうですね。最近になって「ESG」(環境・社会・ガバナンス)とか「CSR」(社会的責任)、「ステークホルダー資本主義」(すべての利害関係者に配慮する資本主義)など、やたら言われ始め、日本人の中にはその言葉に飛びついている人がいますが、もともと日本は商道徳が根付いていた国なのです。ところで、近江商人の「三方よし」の家訓は知っていますか?

女性

右よし、左よし、前よし、三方よし

あのね、チコちゃんに怒られるよ。『売り手よし、買い手よし、世間よし』です

女性

この言葉に、売ることだけ考えては駄目だという考えが込められていますね

最近は『世間』という言葉を余り使わなくなりましたけどね。私の母は私がいたずらをすると、世間様に申し訳ないとよく言っていました。母ちゃん、世間様って何、と聞くと、世間様は世間様じゃあ、と言っていました。今、ふと思い出しました



 中江藤樹の利他的な考え方が、「三方よし」の教えを生み出す

「士農工商」の言葉が遺っています。そこから推測しますと、江戸の封建時代の商人はきっと賤しい身分とされていたのでしょう。「宵越しの銭は持たない」生き方が潔(いさぎよ)いとされていた時代です。それは、お金そのものに対する当時の人たちの感覚からくるものだと思います。お金は人の手を介して流通します。回す間に手垢(あか)が付きます。その汚いお金を有難がって貰う商人は、何て賤しい人間という感覚だったのでしょう。

先に紹介した近江商人の「三方よし」の家訓は、近江聖人と言われる中江藤樹(1608-48)の思想的影響を受けています。

中江藤樹は日本陽明学の祖と言われ、もともと伊予(愛媛県)大洲藩士でしたが、故郷の病気がちの母の面倒を見るために脱藩、つまり武士を辞めてしまうのです。当時の感覚からすると、気が狂ったのではないかという受け止め方だったと思います。

彼は、『孝』こそ最も重要な道徳的原理と考えたのです。父母を敬い、先祖を尊び、大自然を敬う。そのために、心を磨き、家族と相親しみ、行いを立派にして、健康に気を配ることでした。故郷の小川村に戻った時は27歳でした。そこから、酒の販売を始めますが、酒を買いに来る村人の状況に合わせてお酒の分量を量りながら販売したと言われています。

そのように働きながら陽明学を学び、晩年は私塾を開いて弟子の育成に務めたと言われています。そのような利他的な考え方が、「三方よし」の教えを生み出したと考えられるのです。

(道の駅 藤樹の里あどがわ 中江藤樹孝養像)

そして、近江商人の経営理念の「三方よし」こそが、現代の資本主義社会に求められる利他精神の源流であり、近江商人の商いの心こそが日本人の精神風土を形成したのではないかとまでいわれるようになったのです

地元では、NPO 法人「三方よし研究所」を立ち上げ、先人の遺した思いを後世に伝えるべく活動をしています。


 本田宗一郎の考えは、Hondaの基本理念として受け継がれている

近江商人の「三方よし」に似ているのが本田宗一郎(1906-91)の「人間尊重と三つの喜び」です。『買う喜び、売る喜び、創る喜び』です。本田宗一郎は言わずと知れた、自動車メーカーHondaの創業者です。彼の経営理念は、そのまま会社の基本理念として現在まで受け継がれています。

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Hondaフィロソフィーは、「人間尊重」「三つの喜び」から成る“基本理念”と、“社是”“運営方針”で構成されています。
Hondaフィロソフィーは、Hondaグループで働く従業員一人ひとりの価値観として共有されているだけでなく、行動や判断の基準となっており、まさに企業活動の基礎を成すものといえます。 Honda は「夢」を原動力とし、この価値観をベースにすべての企業活動を通じて、世界中のお客様や社会と喜びと感動を分かちあうことで、「存在を期待される企業」をめざして、チャレンジを続けていきます

彼は常々「120%の良品を目指す」と口癖のように言っていたようです。お客様はわが社にとって何よりも貴い宝。お客様に満足して頂くために、120%の良品を目指す必要があると常々言っていたそうです

 「持続可能」の一番のお手本は古代の日本国家にあり

中江藤樹と本田宗一郎のお二方を簡単に紹介しました。共通しているのは、人生の考え方(理念)と利他精神だと思います。

貴重なお手本だと思います。こういったものの中から、何かを学ぶ必要があるのです。

会社などの組織体で言えば、まず重要なのは設立の理念、そして、自社のためだけではなく、世のため人のために、どのくらい貢献できるか、それが定まっていれば、困難に遭遇した時は、その組織体を周りが支えてくれるようになります

「SDGs(持続的発展)に至る企業と社会の関係」(長谷川直哉「SDGsと企業の責任」『日経』2020.3.3日付)とか「CSR(社会的責任)を事業方針に組み入れた責任経営」(同上)などと理屈ぽく語られていますが、自身のアイデンティティーをしっかり確立し、どのような事を通して社会に貢献できるか、ということをそれぞれの企業体が具体的に考え抜くということだと思います。それ以上でもそれ以下でもありません。

どのような国家組織にすれば、未来永劫存続できるだろうか、その考えの結論は『古事記』の中の冒頭の神話の中に込められています。神話の形にしたのは、中国にこの理屈を知られたくなかったからです。『古事記』は単なる神話ではありません

造化三神が最初に登場します。宇宙の最高神である天之御中主神は、出現してすぐに消えてしまいます。そのことは、宇宙全体に大きな影響を及ぼす神ということを言い表すためです

組織はトップでほぼ決まります天之御中主神にあたるものを考えます。人間でも、社訓、社是、会社理念でも構いません。その人のもとで、メンバーが一体になれる、その考えのもと、メンバーが団結できる、どちらでも良いと思います。とにかく、中心軸を定めます。

次に、イザナギ、イザナミの2神が登場します。組織を切り盛りする中心メンバーが2人必要です。会長合わせて3人ということもあり得ると思います。

そして、イザナギとイザナミは字が1字しか違いません。中心メンバーの2人は、権限の強弱をわずかにつけろというのが『古事記』がその名前に託したメッセージです。それに従って、古代の律令制国家は右大臣、左大臣を設けて、左大臣の方を若干権限を上にしたのです。ちなみに、太政大臣という役職がありますが、空位のことが多かったようです。

古代の日本人は、「宇宙の理」にかなった国づくりをすれば、「千代に八千代にさざれ石の苔むす」まで、つまり未来永劫存続することを見抜いていたのです。そういうことについて全く学ぼうとせず、立憲主義、共産主義など西欧の血でまみれた社会のルールや概念を金科玉条のようにして、日本の社会にあてはめようとする「猿真似」軍団が日本に多くいます

彼らの行おうとしていること、考えていることは客観的に見れば破壊行為です。

「看脚下」という禅の言葉があります――そのような無知蒙昧な人が周りにいた場合は、「足元が暗くありませんか、足元を見ないと転びますよ」と、やさしく話しかけて、教えてあげて下さい


読んで頂きありがとうございました

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