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古代中国で四大発明が生まれ、現代中国でコピー商品が多く出回る理由|価値一元化の社会に未来はない

(この文章は3/8日に書きました)

中国の四大発明は、何だか分かりますか?
女性
えっ、いきなりですか。紙と印刷、火薬と後は……
羅針盤です。いわゆるコンパスですね。中国には「坐北朝南」(高貴な人は北に背を向けて座り、南に顔を向ける)という言葉が遺っていて、方角を大変気にしました。
女性
必要は発明の母ですね。風水も中国から来ていますよね。
中国の西安にある新石器時代の頃の住居の出口がすべて南向きだったそうです。方角ということに対して、中国ではかなり昔から気にしていたと思われます。
女性
遣唐使や遣隋使の時代には、羅針盤は使われていたのですか?
円仁の『入唐求法巡礼行記』に、海上で悪天候になって方角が分からなくなり、大混乱したという記述がありますので、実用化されていなかったと思います。鑑真も非常に苦労して日本に来ていますし、使われ始めたのは、大航海時代だと思います。
女性
それら4大発明はどれをとっても素晴らしいと思いますが、それらは古代の中国が発明したものですよね。
それ以降は、どうなんですか?
それ以降は、残念ながら目ぼしいものはないんです。実はイギリスのジャック チャロナー氏が『人類の歴史を変えた発明1001』(ゆまに書房.2011)という本を書いているのですが、1001個のうち中国人の発明は30で、全体の3%とのことです


女性
何か、尻すぼみという感じがしますね。
しかも、30の発明はすべて500年前の発明です。この500年間では0ということです
女性
その原因について、どう考えれば良いですか。
実は、そのことについて北京大学の張維迎教授が国家発展研究学院の卒業式の「自由とは責任にほかならない」と題する講演の中で「問題は明らかに我々の体制と制度にあります。想像力は自由に依存します」と、述べています。
女性
それは、いつのことですか?
2017年の7月1日のことですね、ただ、その内容がSNSにアップされるや、1日以内であっという間に削除されてしまいましたが、逆に大きな話題を呼んだのです。
女性
皮肉な結果になったということですね.




 独創的な発明、発見は自由な風土のもとに育つ

中国に多種多彩な思想が咲き誇った時代があります。春秋戦国時代のおよそ500年間です。諸子百家と言われるほど、多くの思想家が出現し、百家争鳴という言葉が遺っているように、彼らはお互いに激しく議論をしました。孔子、孟子、老子、荘子、孫子などが現れ、彼らの思想的魅力は数千年経った現代でも充分通用しますし、彼らの書からは学ぶべきことが数多くあります

当時は、中国の各地に王を名乗る者が現れ、お互い覇権を争うという戦乱の時代でしたが、思想的には自由だったのでしょう。それが人間の活力を生み、発明品も多く産み出されたと考えられます。何か新しいものが発見されるためには、社会のエネルギーが高いことと、自由な雰囲気が満ちあふれ、人間の教育システムが揃っているといった3つの要素が基本的な条件として必要です。

 科挙制度が一元化社会を生み、発明が生まれなくなった

先の本(『人類の歴史を変えた発明1001』)によりますと、中国の最後の発明は、明の時代の歯ブラシだと言っています。それ以降の発明がなかったということは、明の時代に何か原因があるはずです。その問題意識でいろいろ探っていくと、科挙制度に突き当たりました。

科挙は6世紀の隋の時代に導入された「上級公務員(高官)採用試験」制度です。1904年の清朝末期に廃止されるまで、1300年以上続きました。家柄や出自に関係なく、ペーパーテストの成績さえよければ高級官僚として登用するというのは、世界的に見ても画期的なことでした。というのは、封建時代の高官は貴族の世襲が常識だったからです。とにかく優秀な人間を選んで、権力基盤を固めたいという思惑があったのでしょう。

この科挙が機能したのは、宋の時代までというのが一般的な評価です。この頃までは、出題範囲も広く、「志」を問われるような記述式問題もあったのですが、明(1368年-1644年)の時代になると、出題範囲は四書五行(論語、孟子、大学、中庸、易経、詩経、書経、礼記、春秋)に限定され、ひたすらこれを暗記したものが科挙に合格するようになったのです。そうすると、記憶力が良く、親がお金持ちで、子どものころからひたすら科挙合格に時間を使ったような人間が試験に多く合格するようになりました。

儒学に関する書籍をひたすら暗記したからといって、実務家として優れた仕事ができるかと言えばそんなことはないのは容易に想像がつきます。組織にとつて一番良くないのは、ほぼ同質の人間集団がつくられ、そこにヒエラルキー(階層制)が成立すると、実際の社会問題に柔軟に対応できない硬直化した組織、つまり上からの命令を単にそのまま連絡する組織になってしまいがちです。前文科事務次官の前川喜平氏の座右の銘は「面従腹背」とのこと。まさに、文科省のトップがそのような組織になっていることを白状しているようなものです。

そして、いみじくも今回のコロナ問題で安倍首相の全国一斉休校の要請を文科省はそのまま地方の教育委員会に伝え、感染の出ていない県、小規模校など関係なく、公立小中高校をほぼ100%休校にしてしまいました。その結果、陰で泣く子供や親、業者が出てしまう、こういうことになるのです。


(一斉休校に対する中学生の署名活動も行われている)

科挙の廃止は、日清戦争(1894年)に敗れて約10年後の清朝末期です。アヘン戦争、日清戦争の敗戦がベースにあったことは確かです。科挙の廃止を西太后に提案した康有為は、「科挙のない日本にも優秀な人は多い」と言ったとされています。

どのような人材が国家にとって必要なのか、「優秀」とは何かを常に考えないといけないと思います。「日本の科挙」とも言われる国家公務員上級職試験も、一つの曲がり角に来ていることは確かだと思います。応募者も少なくなっています。大学入試制度も科挙の影響を受けています。両方考えなければいけないと思いますが、国としては国家公務員試験のあり方を先に考えるべきでしょう。



 価値の一元化を図る共産主義的な考え方が、日本にも蔓延している

共産主義思想は、社会が共産主義に向かって動くことを頑なに信じている演繹的な思想です。そのため、一つの価値観しか認めません。そのため、それとは違う考え方や価値観に対して激しく反発したり、排除したりする傾向があります。新しい技術や発明、法則は自由な社会の風土で育つものです。硬直した価値観しか認めない社会からは、自由な発想は生まれません。中国でコピー商品が出回るのは、ある意味必然性があるのです。

日本は自由な民主主義社会ですが、教育については文科省の一元化支配を受けており、まさに共産主義国と同じような教育行政が行われています。教科書検定という名の「検閲」の実態が「産経」の報道によって明らかになりましたが、特に社会科は同じ思想的立場の教科書だけをひたすら作成させて、全国一斉授業をさせています。習金平が日本の検定制度を見習えと言ったほどです。

時代は工業社会からAIの時代に移ろうとしています1つのものを1つの方向だけではなく、縦、横、斜めと様々な方向から見て考える多様な人材が必要になってきました。全国一律カリキュラムでは、時代の要請に応えることはできないと思っています

幕末の時代に各藩の藩校や私塾で学んだ人材が、明治の近代化を成し遂げました。時代の変わり目の時の人材育成は、同じような人材を育成するのではなく、様々なルートを使って、いろいろな形で育成を図ることを考える必要があります

薬師寺金堂や西塔の復元を果たした宮大工の棟梁であり、文化功労者の今は亡き西岡常一氏は「塔組みは木の癖組み、人の心組み」(『木に学べ』小学館文庫.2003年)と常に色紙に書かれていました。それぞれの木の癖を見抜いて建物を建てる、そうすると千年位風雪に耐える建物が出来るし、人間の組織も同じと言われます。

公教育になじまない子に対して、フォローし切れていない現状があります。不登校や発達障害、ひきこもりの子供たちを参加させるような教育態勢を地域レベルで構築することを望んでいます。

最後にもう一度、西岡常一氏の味のある言葉を紹介します――「揃えてしまうということは、きれいかもしれませんが、無理を強いることですな。木には強いのも弱いのもあります。それをみな同じように考えている。昔の人は木の強いやつ、弱いやつをちゃんと考えて、それによって形を変え、使う所を考えていたんです」(同上 82ページ)

(参考、嶋田毅「科挙とは何か――あらゆる制度は自己目的化し、腐敗する」)

読んで頂きありがとうございました。




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