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森林大国・日本の盲点(その1) ―― 拡大造林政策がもたらした生態系の歪みと里山の崩壊 / 森を壊したのは誰か

「仙台の住宅地にクマが出没したそうですね」

女性

「シカやイノシシといった動物も市街地に現れるようになったのですが、どうしてですか? 温暖化と関係があるのですか?」

「温暖化とは関係がありません。生態系の乱れと「里山の奥山化」(羽澄俊裕『けものが街にやってくる』)のためです」

女性

「生態系の乱れというのは、どういう意味ですか?」

「シカが増えているのは、天敵のオオカミがいなくなったためです。ニホンオオカミが1905年に絶滅したと言われています。それ以来、シカが増え始め、シカによる食害が増えたと言われています」

女性

「森が持っている生態系のバランスが崩れ始めたということですね」

「そうですね。そういった生態系を維持しつつ、森と集落の間に里山を設けて野生の動物たちとの共生を図ってきたのですが、過疎化の進展で里山が里山の働きを失いつつあります」

女性

「それが里山の奥山化の意味ですね」

「山間部のおじいちゃん、おばあちゃんと話をしていて、子や孫には帰ってきて欲しくないという声を聞くようになりました」

女性

「それはどうしてですか?」

「里山の維持管理は、普通の田畑の耕作より手間暇がかかり、その上に経済的な見返りがほとんどないので、それを子や孫にさせるのは忍びないということです」

女性

「行政が対策を立てなければいけない分野なんですね」

「そういうところに手が回らないのが実情だと思います。ここからが本論です ↓表紙は「猫スペースきぶん屋」提供です」

 森林大国・日本――「管理されてきた自然」という自覚の欠如

 日本の国土の2/3は森林で覆われている「森林大国」です。海外からの観光客の中には「日本に来て、思った以上に緑が多いので驚いた」というような感想を寄せる方が結構いるそうですが、日本の森林率は世界的に見てトップクラスです。森と湖の国と言われているフィンランドやスウェーデンとほぼ同じくらいの森林率を誇ります(下表参照)。しかし、そのような自覚を日本の政府や国民はあまり持っていないと思います。一番の問題は、そこにあるのかもしれません。

太古の昔、日本列島そのものが広大な森林列島だったと思われます。温暖多雨の気候と肥沃な大地のため、樹木は繫茂していたと思われます。何も手をかけなければ、密林になると言われるのが日本の森林です。枝打ち、伐採、間引きなどを行って、人間にとっても森にとっても、さらにはそこで生きる動物たちにとっても良い森林環境をつくるために試行錯誤を繰り返してきた歴史があります。日本の原生林は割合的に、ほんの数パーセントしかありません。その位、先人たちは森の維持・管理に手間暇をかけてきたのです。

はるか昔、この列島に人類が住み着き始め、彼らは森の近くに居を構えました。三内丸山遺跡は縄文前期中葉~中期末葉の1500~1700年くらいの長きにわたって定住生活を営んだことが分かる貴重な遺跡です住居の周りにクリ、ウルシ、クルミ、ニワトコなどの木々が植えられていたことが分かっていますが、元々あったブナやナラの原生林を切り開いて、人間の食用や生活上、役に立つ木々を植え、「縄文の里山」が形作られていたのです。

(「農林水産省」)

 「拡大造林政策」の帰結――均質化された森と生態系の歪み

近年、クマが市街地に頻繁に出没するようになりました。その理由について、ニュースで掘り下げて解説しているとは言えません。ただ、単に出没した事実と、どのように対処したのかということだけを伝えています。クマ、シカ、イノシシといった野生動物がなぜ突然に姿を現すようになったのか、その理由を突き詰めると、戦後の「拡大造林政策」に行き当たるからです。

戦後の日本には、どうしても解決しなければならない2つの国家課題がありました。一つは、国土の復旧です。戦時中の乱伐や災害で荒廃した山々に木を植え、洪水などの災害を防ぐ必要があったのです。もう一つは、戦後復興のための住宅建設や公共事業です。このため、木材の需要が爆発的に増えることになりました。当時は木材価格が高騰し、経済成長のボトルネックになっていたため、国を挙げて「成長が早く、建材として優秀な針葉樹(スギ・ヒノキ)」を増やすことが急務だったのです。

「拡大造林政策」の「拡大」とは、単に植林面積を増やすという意味ではありません。国有林(日本の森林の約3割)だけでは戦後復興の膨大な木材需要を賄えなかったため、民有林(私有林や公有林)に対しても、多額の補助金を出して「広葉樹を切り倒してスギなどの針葉樹を植えること」を強力に働きかけたのです。この辺りは、補助金を出して統廃合を今でも進めている文科行政と似ています。

要するに、「拡大造林」とは「日本中の森を、場所を問わず(私有林含む)、一斉に針葉樹の生産工場に変える」政策だったのです。本来、多様な樹種によって構成されていた天然林は「価値の低い雑木林」と見なされ、経済合理性の名の下に均質化されていったのです。しかし、その後の輸入木材の増加や価格競争の激化により、日本の林業は急速に採算性を失っていきました。その結果、多くの人工林が十分な手入れを受けられないまま放置される「放置林」が全国的に拡大することになります。本来であれば、間伐や下草刈りといった継続的な管理によって維持されるべき森林が、管理主体を失い、機能不全に陥っていったのです。

 (「ウオッチドッグ」)

 里山の消滅と共生の崩壊――人と動物の境界はなぜ失われたのか

 縄文時代に三内丸山の人々が、自分たちに必要なクリを植えつつも、周囲に多様な森を残したのに対し、「拡大造林政策」は「日本中どこでも同じスギ」を目指しました。自然の理に反していたと言わざるを得ません。植物生態学者の宮脇昭氏は「森は木や草の特性に応じて高木、亜高木、低木、下草などいろいろな植物がお互いにいがみ合いながらも限られた空間で少し我慢しながらともに生きている。これが多様性に富んだ健全な植物社会の姿です」と述べていました。人間社会と同じです。試験で同じようなタイプの人間ばかり集めたとしても、組織として機能しないことがあります。刺激や摩擦が生じないため、却ってエネルギーが起こらないということだと思います。

かつての里山は、人間が薪(まき)を拾ったり炭を焼くなど日常的に手を入れることで、「明るい広葉樹の森」が維持されていましたそこは単なる自然ではなく、人間の生活と結びついた「管理された自然」でした。木の実を求めてクマや野生の動物たちが里山に入ることはあっても、それが一つの緩衝地帯となり、人家への侵入を防ぐ役割を果たしていたのです。

さらに、集落では焚き火の煙が立ち上り、人の声や作業音が日常的に響いていました。野生動物は本来的にこれらを嫌うため、日常生活そのものが彼らを「寄せ付けないバリア」になっていたのです。シカやイノシシといった草食動物たちが育てている栗林や作物を食べにやってくることがありました。縄文人たちは「落とし穴(陥し穴)」を多用して、これを防いでいたようです。さらに、この時代にはすでに「縄文犬」と呼ばれる犬たちがいて、クマやシカの接近をいち早く察知して吠えて人間に知らせたり、追い払ったりしていたようです。人間は知恵と工夫によって野生動物との距離を保っていたのです。

しかし、現代においては状況が大きく変わりました。人口減と地方の衰退により、森の管理を担い手が不足し、里山に手が回らなくなっています。その結果、「人口減少 → 手入れ放棄 → 森林の荒廃 → 餌環境の変化 → 獣害の増加」という悪しき連鎖が生じています。かつて存在していた人と自然との穏やかな境界は崩れ、野生動物が人間の生活圏に侵入するようになったのです。

里山とは、本来、人と自然、そして野生動物との関係を調整する「中間領域」でした。里山の生活を通して、人と動物が共生する姿が「日本のかたち」だったのです。その機能が失われた現在、問題は単なる野生動物の増加ではなく、人間社会そのものの構造的変化にあると言えるでしょう。地方の衰退とは、単に人口が減ることではなく、自然との関係を維持してきた仕組みそのものが失われることを意味しているのです。

(里山風景/「宮津市」)

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