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『日本/権力構造の謎』を読む (その2) ―― 文化を創造できなくなった国 / 閨閥 (けいばつ) が支える見えない統治構造

「今日もカレル・ヴァン・ウォルフレン(1941~)が書いた『日本/権力構造の謎』(早川書房、1994)を話題にしたいと思っています」

女性

「大変大きな問題ですからね。総理大臣の権限が弱いという話は衝撃的でした」

「そういう話をマスコミは絶対に話題にしませんし、書けませんからね」

女性

「それは何故ですか?」

「まさに日本の権力の核心に迫るような話題だからです。総理大臣が決めていないのなら、一体誰が決めているのかという話になってきます」

女性

「実際に日本の政治を動かしている勢力をカレル氏は「システム」と呼んでいますが、彼らも正体を明らかにされたくないということですか?」

「そうですね。その見方で概ね合っています」

女性

「しかし、そのような重大なことを外国のジャーナリストが暴いたというのが少しショックです。本来は、日本の学者、あるいはジャーナリストの仕事ではないかと思います」

「そうだと思いますが、日本のジャーナリストは自国のことについて知っているだけに、様々なしがらみの中で書けないことも出てきてしまうということだと思います」

女性

「様々な専門の学者がいらっしゃるので、彼らに期待しても良いのではないかと思います」

「日本の学者はプライドが高く、現実の政治について何かモノを言うのは、ジャーナリストの仕事だと思っているフシがあります」

女性

「そういうことを含めて彼が書く決断をしたのでしょうね。ここからが本論です ↓ 表紙は「メルカリ」提供です」

 文化を創造できなくなった国

現在の政権構造は明治維新の延長線上にありますが、この政権は日本的文化を育んできた律令国家以来の伝統的秩序を否定することで成立しました。日本は伝統・文化の国だと言われますが、現在私たちが日本文化として誇るものの多くは、実は明治以前にかたちづくられたものです。

ちょうど今、大相撲の本場所が行われていますが、もともと相撲は場を清める神事でした。地下から悪神が出てこないように、大きな男たちが塩を撒いて踏み固めるという行事だったのです。それが、江戸時代に今のかたちに整えられたのです。映画「国宝」で話題になった歌舞伎もまた江戸時代の庶民文化の中から生まれたものです。このように、日本人が世界に誇る文化の多くは、近代化以前の社会の中で育まれたと言ってよいでしょう。

一方、明治以降に成立した政権は、日本的なものに対して冷淡な取扱いをしてきました。学校制度を導入して、地方に残る方言を消し去るために、標準語を導入しました。「国語」という教科名は、“これから標準語を日本国の言葉とする”という意味で付けたのです。本来は「日本語」とすべきですが、それだと“方言は日本語ではないのか”という疑問が出てきてしまうので、「国語」にしたのです。その導入から約160年、各地に根付いていた方言は急速に衰退していきました。その結果、地域固有の文化や共同体意識も弱体化していったのです。また、学校教育の「音楽」では、琴や三味線といった日本の楽器は一切登場しません。それを見ただけでも、日本の文化に対して冷淡であることが分かります。

象徴的なのが、国立劇場の問題です。2023年10月末をもって閉場して以来、再開のメドが立っていません。文化庁は建設資材の高騰などを理由に入札の不調が続いたため、と言っています。しかし、本気で伝統芸能を守る気持ちがあるならば、落札できるような予算措置を講じて建替えを進めれば良いだけの話です。いろいろ屁理屈を言いながら、現在は2033年の再開場を目指して計画を立てていると言っていますが、7年も先の話になっています。やる気が全くないと言われても仕方がないような対応振りだと思います。無形文化を国家的な遺産と考えて守ろうとする強い意思が感じられません

かつて文化人類学者の梅棹忠夫は、日本を「ブラックホールのような国」と表現しました。外来文化を積極的に採り入れようとする力は強いのに、進んで日本文化を創造し発信しようとする意欲が乏しいという意味です。言い得て妙です。

(「NHKニュースーNHK ONE」)

 「システム」が支配する国家

日本人の多くは、「日本が、他国と同様の主権国家、つまり国策としてなにが最善かの判断ができ、しかも決めた国策の責任を究極的に負える国政の中枢を持つ国家」(『日本/権力構造の謎 上』)だと思い込んでいます。しかし、実際には「究極的な政策決定権をもつ最高機関が存在しない」(同書)のです。先の衆議院選挙で圧倒的な勝利を得て300以上の議席を得た自民党。その自民党と維新が連立政権を組んで成立させたのが今の高市内閣です。それだけの安定基盤があれば、思った通りの政策を実現させることができるのではないかと思いがちですが、そうはならないのが日本です。5月21日に国力研究会を発足させましたが、高市総理は出席しなかったとのことです。これは「システム」に対する配慮のためだと思われます。

安定政権を得たことに対して、警戒感を強めているのが「システム」です。なぜ、それが分かるのか。彼らはマスコミを使って世論操作を行いますが、『日経』や『週刊文春』、『週刊新潮』は反高市的な記事を流し始めています。彼らの攻めどころは“経済”です。一番、攻めやすい材料だからです。ただ、経済活動は国全体で行っているので、その責任を時の内閣に求めるのはおかしいのですが、彼らからすれば関係ないのです。世論さえ作れればと思っているでしょう。例えば、『週刊新潮』(5月28日号)は「高市首相が目を背ける日本経済の“危機”」というタイトルです。政権を倒すつもりはなく、強くならないように“牽制球”を投げているのです。

カレル・ウォルフレンはは「日本では、権力を分け合う半自治的ないくつかのグループの力のバランスをはかることによって国政が行われてきた」(同書)と述べています。国力研究会がどのような意図のもと発足したかは現時点では定かではありません。ただ、「システム」の存在を実感している麻生氏が大きく関与して作られた組織なので、注目をしたいと思います。どちらにしても、空洞化した権力構造に対して、政治の側から中心を取り戻そうとする試みなのか、それとも従来型の自民党内結集に終わるのか。今後の動向を注視する必要があります。

(「dメニューニュースーNTTドコモ」)

 閨閥が支える「システム」の人脈構造

カレルは「日本には、はっきりと識別できる支配階級が存在する」と述べていますその構成員は主として、官僚、財界人、自民党の有力政治家であり、彼らは管理者(アドミニストレーター)として国家を運営しているというのです。こうしたネットワークを支えてきたものの一つが婚姻関係です。政界、財界、官界では、結婚を通じて非公式な人的結合が形成されてきました。有力政治家の子弟が財界人の家系と結び付き、その子どもが再び政治や官界へ進むという循環が繰り返されてきたのです。二世議員、三世議員が話題になることがありますが、この構造は明治の財閥形成期から見られた現象です。

かつて「華麗なる一族」という映画が上映されたことがありました。山崎豊子氏の同名の小説を映画化したものです。話の発端は、阪神銀行の頭取である万俵大介が預金順位を全国上位に引き上げ、銀行の生き残りをかけた合併(小が大を呑む合併)を画策するのですが、その野望のため、大蔵省や政界の重鎮に娘婿を送り込むなど、政財界をまたいだ「閨閥(けいばつ)」を張り巡らせるというものです。内容はフィクションですが、閨閥によって自分の勢力を固めるという実際の話をヒントに作者がまとめたものでしょう。

このような閨閥形成はいつ頃から始まったのでしょうか。明治時代に財閥が形成される頃から始まっています。例えばということで紹介すると、三井側にいた渋沢栄一の孫は、岩崎弥太郎の孫娘と結婚して、三井と三菱が縁続きになっています。古河財閥の創始者・古河市兵衛は小野組の番頭・古河太郎左衛門の養子となって製糸工場を創設していますが、その古河財閥は、陸奥宗光を閨閥に取り込んでいます。また、西郷隆盛の弟・西郷従道の孫は古河市兵衛の孫養子となって古河従純を名乗り、後に古河鉱業の社長に就任しているというように、結婚を一つの武器にして勢力を伸ばしていったのです。

婚姻関係を結ぶことそのものが悪い訳ではありません。しかし、政界・官界・財界が閉鎖的なネットワークによって結ばれ続けるならば、新しい発想や異質な人材が入ってこなくなります。そして、その閉鎖性こそが「システム」の自己保存能力を支えてきたとも言えるでしょう。

(「ヨルマド」)

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