
「中国がアメリカのアトランタ動物園に、オス、メス2頭のパンダを10年間貸与するそうです。日本にパンダが1匹もいなくなったのに、どうしてそういうことが起きるのでしょうか?」

「納得できないという顔をしていますね」

「アメリカはこれで合計6頭になります。日本はゼロなんですよ。どうしてですか?」

「中国との関係があまり良くないという一言に尽きますけどね」

「ということは、日本よりもアメリカとは良好ということですか? 私は逆だと思っていました」

「アメリカとの関係は、良好とかそういう次元では中国は捉えていないと思います」

「どういう次元ですか?」

「ケンカをしても決別しない証としての意味合いが強いのではないかと思っています」

「いわゆる、「押さえ」ですか?」

「簡単に言えば、御機嫌取りのようなものです。中国との関係では、公明党が政権から離脱したことや二階氏が政界を引退したことが大きかったですね。中国とのパイプがそれで切れてしまいました」

「そういったことがパンダの貸与に関係するのですね」

「ここからが本論です ↓表紙写真は「テレ朝NEWS-テレビ朝日」提供です」
日中友好の出発点と認識のすれ違い
1972年9月29日、当時の田中角栄首相と周恩来総理の間で「日中共同声明」が調印され、日中両国は国交を正常化しました。そのわずか1か月後にパンダが日本に到着しました。贈られたのは「カンカン」と「ランラン」の雄と雌の2頭でした。中国側からの「これからは末永く仲良くしていきましょう」という親愛の情が込められていたことは確かでした。当時、パンダは日本で絶大なブームを巻き起こし、中国という国を日本の人々に身近に感じさせる大きな役割を果たしました。
さらに1978年8月には日中平和友好条約が締結されます。これは国交正常化を恒久的なものにするために結ばれた平和条約でした。平和友好の意味は、人間関係で言えば「親友になろう」ということです。過去にはいろいろなことがあったけれど、すべてを明らかにして謝罪すべきことは謝罪して、未来に向かって歩んでいこうと約束したはずでした。
にも関わらず、どうしてこのような対立状況が生まれてしまったのでしょうか。友好の指標であるパンダは1匹もいなくなり、戦後最悪の状態になってしまいました。高市内閣がどうのこうのではなく、歴代の政権が中国に対して取ってきた対応策が積もり積もって、ここまで来たということです。
そもそも、友好条約の捉え方自体に日中間で大きく異なっていました。中国はそこからが出発点と捉えていたのですが、日本はゴールだと勘違いしたフシがあります。中国からすると、それから改革開放をして努力したではないか、ところが日本は相も変わらず独善的な歴史観を振りまいて、中国側からするとフラストレーションが溜まる一方だったのです。2人の会話にあるように、パイプがある間は「ガス抜き」ができますが、それが無くなり一気に目詰まりを起こして、高市首相の台湾をめぐる発言で切れてしまったということです。
識者の中には、安保法制をめぐる議論の中で台湾問題は存立危機事態ということが何回も言われていたではないか、何を今さらと言う方がいますが、同じ言葉でも相手の機嫌が良ければ冗談として笑いとばしてくれるようなことも、機嫌が悪いとケンカの原因になることがあります。要するに、日本側の態勢とタイミングの問題なのです。

(「日刊スポーツ」)
尖閣・台湾問題という未解決の宿題
友好条約を締結する際、最も重要な論点であった尖閣と台湾についての帰属問題を今後の協議に委ねてしまいました。極めて危うい外交手法ですが、とにかく日本の政権筋は成果を少しでも早く得ようとし、詰めるべきことを詰めなかったのです。中国からすると、台湾の歴史は日清戦争以降の歴史問題が絡んでくるので、協議の中で歴史認識を一致できると考えたと思われます。ただ、日本側には、そこまでの考えはなかったと思われます。その辺りの認識の差が、後のすれ違いに繋がったと思われます。
また、日本国内でも台湾問題については意見が大きく分かれていました。日本は1952年に台湾と一早く国交を結んでいました。当時は中華民国と言っていましたので、条約名を日華平和条約と言います。「2つの中国」と言っていた時代です。今、そんなことを言ったら大変な問題になりますが、本土の中国は共産党が支配する国という捉え方もあった時代です。
人と人との関係もそうですが、国と国との関係修復も話合いのテーブルに着くのが出発点です。そして、長き歴史をお互いに背負っているので、どこから関係がこじれていったのか、過去に遡って検証することが必要です。目を背けたくなるようなことに対しても直視して相手と誠実に向き合わなければ真の友好など生まれません。条約を結んで終わりではなく、そこからが対話の始まりだったのです。

(「毎日新聞」)
ニクソン・ショックが生んだ拙速な国交正常化
本来であれば、国内での議論を詰めた上で日中関係修復に向かうべきだったのですが、そうは言ってはおれない事情が突然起きてしまいます。長く中国の共産党政権を敵視していたアメリカが、日本に一切相談することなく秘密裏にニクソン大統領訪中を発表したのです。いわゆる「外交上のニクソン・ショック」です。それまではアメリカに対する配慮もあって慎重に対中政策を進めていました。しかし、日本政府はアメリカに先を越されたことに強い衝撃を受け、「このままでは日本だけが取り残される」という危機感から、日本は急速に中国との交渉に舵を切ったのです。
ところで、なぜニクソン大統領は日本に知らせずに対中接近をしたのでしょうか。その辺りの事情については孫崎享氏の『戦後史の正体』に詳しいのですが、佐藤栄作首相との関係悪化が原因とのことです。「日本に事前通告しなかったのは、佐藤首相への報復だった」(同書)と孫崎氏は述べています。いずれにしても、日本は十分な国内合意を形成しないまま国交正常化へと進みました。その結果、台湾問題や歴史認識問題についても、肝心な部分について詰め切らないまま今日に至ったのです。
現在の日中対立を理解するためには、単に近年の外交関係だけを見るのでは不十分です。その原点には、国交正常化の過程で先送りされた課題があります。とりわけ台湾問題は、日清戦争まで遡って歴史検証をする必要があります。感情論やこの間の政治状況に流されるのではなく、長い日中関係の流れの中で冷静に検証する姿勢が求められているのです。その辺りのことについては、次回のブログで発信したいと思います。

(「産経ニュース」)
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