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少子化はなぜ止まらないのか (その3) ―― 共同体を失った国の末路 / 自然村の消滅と「少子化・人口減」の歴史的背景

「『古事記』には先人のメッセージが入っているのですが、それがきちんと読み解かれていません」

女性

「天照大御神を最高神にした理由は、優しい国を目指そうとしたためと言われて「ハッ」としました」

「アマテラスとスサノオはイザナギの両眼から生まれる姉弟ですが、常にアマテラスの方が優位な立場として描かれています」

女性

「そこにはどういう意図があるのですか?」

「スサノオは強さの象徴、アマテラスは優しさの象徴として描かれていますが、優しさが強さ、ということを言いたいのだと思います。たぶん、中国の道家思想の影響があったと思われます」

女性

「優しさは強さであり、強さは弱きに通じるということですか?」

「そうですね。荘子は歯と舌を引き合いに出して、硬くて強いもの(歯)よりも、柔らかくしなやかで弱いもの(舌)の方が長持ちすると言っています」

女性

「国家が永く続く秘訣をそこで語っているのですね」

「強さをひけらかすような国家運営はダメと言っているのだと思います。そして、スサノオの娘婿の大国主命はアマテラスの子供のアメノオシホのシラスを受け入れることになります」

女性

「国譲りの話として知られていますが、そうではないとおっしゃっていますよね」

「今日は、その話から始めましょうか」

女性

「ここからが本論です ↓表紙画像は「HALMEK up」提供です」

 『古事記』が描いた「シラス―ウシハク」の国家構想

出雲の話だけで『古事記』の全体の1/3を占めます。ということは、この中にこの書の編纂を命じた天武天皇の考え・気持ちが多く詰まっているはずです。天武天皇は甥の大友皇子を討っての即位です。このような権力争いを今後はなくしたいと考え、そのための法制度を考えた天皇です。その制度に関することを、この出雲の神話の中に込めたのです

手掛かりとなる言葉が「シラス」ですが、出雲神話の中で3回使っています。多く使っているということは、重要な言葉だということです。そして、その意味が比較的分かり易い場面は、使いの神が大国主命に「汝がうしはける(領有する)葦原中国は、我が御子(みこ)の知らす(治める)国である、と任命なさった。汝の考えはいかがなものか」と聞く場面です。最終的に大国主はその提案を受け入れていますが、従来は「シラス」と「ウシハク」の意味を正確に踏まえない解釈であったため、大国主命が自分の国を譲った話として語られてきました。

その後、大国主命は出雲の地に壮大な御殿を建てて自分が住んでいますので、譲った話として解釈すると辻褄が合いません。そのため、この場面は大国主命がアマテラスの御子の「シラス」を受け入れ、自身は出雲の地を「ウシハク」することを委任されたと解釈する必要があります。さしずめ、大国主命は出雲地方の長官として任命され、壮大な御殿は県庁舎ということであれば話の整合性がとれます。

ところで、なぜ少し考えれば分かる話を「出雲の国譲り」という誤った話として定着させようとしてきたのでしょうか。要するに、この話は地方分権の仕組みを説いた話だからです。明治以降の政権は中央集権を志向しました。『古事記』が地方分権について説いていることが分かってしまうと、政権の信頼性が揺らぐ可能性があります。そこで、学会を作って強引に国譲りの話として定着させたのが実際のところでしょう。

(「Amazon」)

 律令制度が育んだ千百年の安定と文化

天皇と地方の豪族が「シラス―ウシハク」の関係を結んで、そのネットワークを全国に張り巡らすことにより国全体をまとめていくという構想が『古事記』に語られていますが、それを現実社会の中で有効に作用するためには法制度を作る必要があります。それが太政官—神祇官の2官八省の律令制度です。実際の政務は太政官が執り行い、天皇は神祇官で皇祖神を祀る職務を行います。要するに、権力と権威を分離したのです。

西洋の王や中国の皇帝は、権力者であり権威者でもありました。そのため、名君であれば社会は安定しますが、暴君の場合は、というように常に国家がトップ次第という状況となり、不安定さを常に抱えながらの状態でした。それに対して日本の態勢の利点は、トップが天皇なので、権力者が仮に横暴だとしてもそれを最終的に抑えることができます。政治は安定し、革命とは無縁の社会状況がつくられていったのです。律令制度の約千百年間に日本的な文化が花開いたのはそのためです。

文化というのは、歴史を刻めば自然発生的に興るものではありません。オランダの歴史家ホイジンガは「文化は遊びの中から生まれた」と述べています。型にはまらない自由な遊び心が文化を生み出す源泉ですが、そのためには国民に経済的・精神的余裕があり、共同体が成立していることが最低限必要です。西欧の中世は暗黒時代と言われ、文化らしいものは殆ど生まれませんでした。ところが、カトリック教会の力が弱くなり自由な雰囲気が社会に流れ出すと文芸復興の動きが出てきました。いわゆるルネサンスです。このように、その社会が庶民にとって心地よい時代であったかどうかを判断する一番の材料が文化なのです。「文化は嘘をつかない」ということです。

(「www.amazon.co.jp」)

 明治以降の中央集権化が共同体を破壊した

コンスタントに文化が生まれた律令の約千百年間でしたが、明治時代になって暗転します。「富国強兵」の国家目標が掲げられ、戦争に次ぐ戦争の時代に突入します。明治に入った途端に日本から逃亡する人々が現れます。移民という言葉で説明している本が殆どですが、実態は「逃亡民」です。明治期に入った直後から1930年代までの約60年間に150~200万人が海外に脱出しています。当時の人口は4千万~5千万なので、割合にすると3.8%~5%です。中国では習近平指導部の12年間に100万人が亡命したと言われていますが、率にして0.07%です。3.8%~5%という数字が異常に高いことがこれでお分かりでしょう。多くの民が逃げ出すような国家をつくったということです。

強国を作ろうとすれば必ず無理がかかります。特に、一番弱い庶民や子供にかかります。1873年に徴兵制が導入され、多くの軍事費が必要になったため、近代学校制度の導入を決めたものの学校建設費用を賄うことができません。そこで政府は全国に7万1,497あった自然村を統合して、1万5,589の行政村をつくり、その行政村の負担で小学校を作らせることを考えたのです。

自然村というのは、まさに歴史的に各地域に自然に成立した村のことで、中には何千年もの歴史を有した村もあったと思われます。生産と消費と再生産が村の中で自治的に行われていたのです。実は、日本の文化力はこの自然村の力だったのです。人間の身体で言えば、基礎細胞にあたります。その細胞を無理矢理ひとまとめにすれば、機能は当然衰えます。しかし、その後も政権の都合で、町村合併を繰り返します。それは戦後になっても変わりませんでした。1956年には町村合併促進法なるものも制定されます。結果、1956年には3,975自治体、さらに平成の大合併によって1,724自治体にまで削減されてしまいます。こうなると、自治的な力は殆ど残っていないことになります。ただ単に中央政にとって都合の良い、無機的な地方組織がそこに存在するだけという状態になったのです。

自然村は元々の日本の共同体のかたちでした。500~1000人程度の村社会ですので、お互いが顔見知りで、どのような考えの持主とか、家族構成もすべて分かり合っていた社会です。村をまとめるリーダーが自然に生まれ、祭りや行事も村人の中から自発的に生まれ、年頃の男女を結びつけるお見合い文化も自然に定着していたと思われます。生産と消費、さらには再生産という役割を果たしていたのです。国はこれをそのまま生かすような政治を行えば良いものを、わざわざ法律まで作って潰したのです。少子化の最大の原因はここにあります。身体を支えている基礎細胞を、目標のない不規則な生活によって死滅させたようなものです

(「Weblio辞書」)

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