
「明治神宮の森の木を切るとか,切らないとかという問題はどうなったのですか?最近は報道がないのですけど……」

「開発業者に配慮をしているのかもしれませんね」

「明治神宮の森を見て、外国からの人は感動すると言っていましたね。都心でこんなに緑が守られている国はないのではないかと……」

「あのを、……誤解がないように議論を整理すると、明治神宮には内苑と外苑があり、代々木の原生林と言われている内苑は今も一切伐採されておらず、今後も人間の手を入れない鉄則が守られています。あなたがおっしゃっているのは、外苑にある樹木のことだと思います。神宮第二球場周辺の木は、もうすでに伐採が始まっています」

「地域の住民との合意はできたのですか?」

「きちんとした合意は出来ていないと思います。ただ、日本は所有権が絶対的に強い国ですからね」

「どうして切る必要があるのですか?」

「超高層ビルの建設と老朽化したスタジアムの建て替えをしようという計画の中で出てきた伐採計画です。当初は1900本のうち743本を伐採する計画だったのですが、東京都の要請もあり、619本に変更しました」

「ただ、それでも相当な数だと思います」

「切った以上の苗木を植えるということで、トータルとして緑の本数は増えるという理屈で最終的に行政(新宿区)の許可が下りたのです」

「日本には再開発の際に緑を守るための仕組みがないのですか?地権者が開発を決め、行政がゴーサインを出せば、樹木の大量伐採も認められてしまうのですか?」

「そうなんですね。そこには課題があると思っています」

「ここからが本論です ↓表紙写真は「www.savejingugaien.com」提供です」
神宮外苑の樹木伐採を止められない法制度
2人が話題にしている神宮外苑の大木の伐採問題ですが、2024年10月末から神宮第二球場周辺などで実際の樹木伐採が始まってしまいました。それに対して周辺住民が2つの裁判を起こしました。一つが、新宿区長を相手取っての「樹木伐採許可 取消訴訟」です。もう一つが、東京都を相手取った「再開発事業 施行認可取消訴訟」(以下「再開発取消訴訟」)です。前者は「原告適格なし」、つまり訴える内容と照らし合わせて原告資格がないと判断され、今年の5月12日に訴えが却下されています。また、後者についてはすでに結審しており、来年の1月に地裁の判決が出される予定です。
裁判になった場合は、法論理での戦いとなります。社会的に緑を守る必要があり、その意義を行政や多くの人が仮に認めたとしても、現行法の法体系の中で、争っている権利がどのように位置付けられているかで、ほぼ決まってしまうところがあります。日本の法体系では所有権が強く保護されていますが、その一方で、都市計画や環境保全のために所有権の行使を制限する仕組みも設けられています。問題は、都市の緑が持つ公共的価値を、こうした制度がどこまで保護できるかという点です。現行法のもとで事業認可を覆すには、認可手続きや行政判断に法的な違法性があることを具体的に示す必要があります。
「再開発取消訴訟」は、東京都が出した事業認可の取り消しを求めたもので、その際の法論理は環境アセスメントに基づいた認可が誤っているというものです。環境アセスメントは、事業が環境に及ぼす影響を事前に調査・予測・評価し、その結果を事業計画や行政判断に反映させる制度です。しかし、環境への重大な影響が明らかになったからといって、それだけで事業が自動的に中止される仕組みにはなっていません。ここに、環境保護の観点から見た制度上の限界があります。そのため、仮に大いに問題があると判断した場合でも、「中止・廃止も含めた抜本的見直し」という強い公的意見(知事意見)を表明できるだけです。このような日本の法体系を考えると、来年1月の地裁判決は原告側には相当に高い法的なハードルがあると思われます
ここで考えなければならないのは、都市の緑という公共的な財産を守るために、誰が法的な異議を申し立てることができるのかという問題です。樹木がもたらす環境的な利益は、特定の個人だけではなく、多くの市民が享受しています。しかし、その利益が広く社会に及ぶという性格を持つために、個人の権利としては認められにくいのです。これでは、社会全体の利益を守るための法的な仕組みとして、十分とは言えないのではないでしょうか。

(「日刊」スポーツ)
環境アセスメントは自然を守る防波堤となり得るか
環境アセスメントが防波堤となり、自然や生態系が守られた代表的な事案としては、愛知県「藤前干潟(ひがた)の埋め立て計画」があります。日本の環境アセスメント史上で最も有名かつ、アセスメントによって開発がストップした最初の金字塔とされる事案です。名古屋市が深刻なゴミ最終処分場の不足を解消するため、広大な干潟を埋め立てて新たなゴミ処分場を建設しようとしたのが始まりでした。その後、干潟を調査したところ、シベリアとオーストラリアを往復する渡り鳥(シギやチドリなど)にとって、日本最大の極めて重要な中継地(エサ場)であることが科学的にも立証されたのです。そんなことから、環境庁(当時)が環境アセスメントをもとに「看過できない重大な影響がある」として計画に強く反対。名古屋市はこれ以上の認可取得は不可能と判断し、埋め立て計画を完全に撤回したのです(1999年)。注目したいのは、名古屋市が埋立計画を断念したことで、問題が解決不能になったわけではないということです。市はごみの減量と分別を進め、従来とは異なる方法で問題の解決を図りました。自然を守るという判断が、行政に新しい政策を生み出させたのです。
最近では、青森県「みちのく風力発電事業」の事例があります。八甲田山系の尾根沿いに、高さ約150mの巨大な風車を最大150基建設する大規模な計画が持ち上がりました。環境アセスメントのプロセスにおいて、樹木約35万本の大量伐採、国指定の天然記念物のイヌワシ、そして法によって保護されている希少野生動物種のクマタカが風車に衝突する(バードストライク)リスクなどが指摘されました。市民団体や日本自然保護協会などが反対活動を展開し、青森県知事や環境大臣から懸念の意見が相次ぐ中、事業者はアセスメントの途中段階で「事業からの撤退」を表明したのです(2023年)。
これらの事案は行政側がアセスメントを武器にして事業者に「NO」を突きつけ撤退に追い込んだものです。一方、神宮外苑の再開発では、東京都は所定の環境影響評価手続きなどを経て事業を認可しています。しかし、手続きが形式的に整っていることと、都市の緑を守るという観点から十分な判断がなされたことは、必ずしも同じではありません。今回の訴訟は、その両者の関係を問うことになります。

(「大阪自然環境保全協会」)
都市の緑を「公共財」として守る時代へ
法というのは、社会正義を実現するための道具として使われるべきですが、日本の場合は、法体系が人間生活の上に位置しています。だから、今回のように周辺住民が「100年かけて育まれた都市の森を守りたい」と訴えたとしても、撥ね返される恐れが強いのです。周辺住民は私益のために訴えている訳ではありません。むしろ、開発業者の方が私益を求めての事業です。「100年の大木」を切り倒しても、その跡地に「小さな若い苗木」を数多く植えれば、帳簿上は緑の本数が増えたということで処理されるという数の論理の下、伐採そのものにも免罪符が与えられてしまっています。
その点について世界の流れをみると、緑を守るために所有権に歯止めをかける方向で動いています。ロンドンやニューヨークなどの海外の先進都市では、都市にある樹木や森林を単なる「公園の飾り」ではなく、防災や市民の健康を維持するための重要なインフラ、つまり「アーバンフォレスト(都市森林)」として位置づけ、100年先を見据えた強力な法的・先進的システムで保護しています。イギリスでは、たとえ個人の庭や私有地であっても、歴史的な木や都市に不可欠な木を所有者の都合だけで伐採することは法律で厳しく制限されています。個人の「私有権」に属する木であったとしても、その「環境的価値(コモンズ)」は所有者だけに帰属する訳ではないという考え方です。
欧米の都市森林管理で最も重視されるのが、空から見たときに「どれだけ街が木の葉(樹冠)で覆われているか」という樹冠被覆率(Canopy Cover/じゅかんひふくりつ)の数字です。ニューヨークでは、2023年に2040年までに市全体の樹冠被覆率を30%にまで引き上げる「都市森林計画」を立てました。樹冠被覆率というのは、木が広げる葉の面積が問題になりますので、大木1本を切る代わりに3本の苗木という理屈は通じません。ニューヨークでは、樹木を単なる景観資源としてではなく、都市の気温を下げ、雨水を吸収し、市民の健康を守る社会的インフラとして位置付けているのです。そして、ロンドンでは、大規模な開発事業に際して、敷地内に確保される緑の量と質を数値化する「都市緑化係数」という仕組みを導入しています。樹木の保全や新たな植栽、屋上緑化などを総合的に評価し、その結果を開発許可の判断に反映させています。都市の緑を、開発が終わった後に付け加える装飾ではなく、開発計画の段階から確保すべき社会的資源として位置付けているのです。法体系を現代の動向に合わせて変えなければ、環境を守ることができにくくなっている時代だからこその措置です。
【世界の主な都市の樹冠被覆率】
| 都市名 | 樹冠被覆率 |
| ニューヨーク | 23.4%(2021年) |
| シドニー | 19.8%(2022年) |
| パリ | 17.6%(2025年) |
| 東京23区 | 7.3%(2022年) |
(出典: 都市別の調査結果を引用した慶應義塾大学の記事、および東京23区の樹冠被覆率に関する研究)
東京23区では、2013年の9.2%から2022年の7.3%へと、9年間で1.9ポイント低下しています。今年は2026年です。さらに低下していると思われます。東京都や各区にも緑地保全や緑化推進の制度はあります。しかし、東京23区の樹冠被覆率が実際に低下している以上、従来の施策が十分な成果を上げているとは言えません。緑を増やすという抽象的な目標ではなく、樹冠被覆率の向上を明確な政策目標に据え、既存の大木を守ることを都市計画の基本原則に組み込む必要があると思います。
気候変動で夏が過酷さを増す中、海外の都市は木陰を「公衆衛生の必須インフラ」と捉えて必死に増やしているのが現状です。都心の地価は現在も値上がり傾向です。マンションも今後しばらくは増えるでしょう。ただ、緑をいかに確保するかという視点がないままの行政が続けば、東京、特に23区は「コンクリートとアスファルトの山」になり果てることになります。
神宮外苑の樹木伐採問題は、単に一本一本の木を残すか、切り倒すかという問題ではありません。都市の緑を誰のものと考え、誰が守り、次の世代にどのように引き継いでいくのかという、社会の基本的な考え方が問われているのです。100年かけて育った大木は、100本の苗木を植えたからといって、直ちに取り戻せるものではありません。自然には、人間の都合で短縮することのできない時間があります。その時間の重みを、私たちはもっと大切にすべきではないでしょうか。
法は人間社会をより良くするために存在するものです。社会の価値観が変わり、都市の緑が市民の生命と健康を守る重要なインフラとして認識されるようになったのであれば、法制度もまた、それに応じて変わらなければなりません。神宮外苑の問題は、日本の都市政策と法制度を見直す、一つの重要な契機になって欲しいと思っています。

(「東京新聞」)
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