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新聞はなぜ読まれなくなったのか ―― 福沢諭吉の『時事新報』から読み解く新聞の原点と衰退 / 大量販売の時代から「考える新聞」の時代へ

  • 2026年10月27日
  • 歴史
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「昨日は久しぶりに都内に行きました。井之頭線、山手線、南北線といろいろ乗りましたが、昼頃ということもあったかもしれませんが、ついに新聞を読んでいる人に会うことはありませんでした」

女性

「私は毎日のように電車通勤していますけど、たまにいるかなという程度ですね」

「私の学生の時代は、通勤のサラリーマンが新聞を読むという車内風景が普通にありましたけどね」

女性

「完全になくなりましたね」

「そもそも、新聞をとっていない家が多くなっています」

女性

「とっている家が少なくなったと言った方が正確だと思います。ウチの実家は、私が就職が決まった時にやめてしまいました」

「何かあったのですか?」

女性

「父親がその時、ポツンと一言、「もう社会人になったのだから、新聞はいらないだろう」と言ったのが印象的でした」

「お父さんは、あなたのために少しでも社会を知って欲しいという思いで新聞をとっていたのですね」

女性

「そういうことが、その時に分かりました。ここからが本論です ↓表紙「共同通信PRワイヤー」提供です」

 明治初期に形成された日本独特の新聞文化

日本の新聞の多くは、新聞販売店(配達所)による「戸別配達」によって日々各家庭に届けられます。そして、その販売店が「集金、営業、チラシの折り込み、読者管理」のすべてを行っています。我々日本国民は、そのことを当たり前のように受け止めていますが、世界的に見ても珍しいシステムなのです。このシステムは一体いつ頃つくられたのかという問題意識のもと調べてみると、明治15年頃には、都市部を中心に新聞の戸別配達が行われ、遠隔地には郵便を利用するなど、今日の新聞宅配制度につながる仕組みが形成されつつありました。ただし、現在のような新聞販売店による専売制度が確立するのは、昭和初期になってからです。

新聞社からまとめて紙面を買い取った配達所が、「はっぴ」を着た配達員(天秤棒を担いだり、走ったりして運ぶ)を雇い、毎朝契約者の自宅や会社へ直接届けていました。当時書かれた絵画を見ると、そのような新聞配達の様子が書かれています。都市部では、現在とほぼ同じ「定期購読・毎朝宅配」の文化が定着していたのです。東京から離れた地方の読者に対しては、明治4年に確立された近代郵便制度(郵便局)が使われました。新聞は格安の通信料で地方の読者の元へと郵送されていました。

定期購読していない層向けには、駅や街頭での直売り、あるいは本屋や商店の店頭に置いてもらう「委託販売」が行われていました。江戸時代の「瓦版」の歴史があるためか、明治になって新聞が続々と創刊されました。高級紙(知識層向け)として『東京日日新聞』(現:毎日新聞)が明治5年、『読売新聞』が明治7年に大衆紙として、『朝日新聞』が明治12年に大阪で創刊されました。『朝日』は明治21年に東京に進出、それを期に単なる大衆紙にとどまらず、質の高い海外ニュースや政治経済も扱う「高級紙と大衆紙のハイブリッド(総合紙)」へと急速に進化していきます。

現在では存在していませんが、明治15年に福沢諭吉が『時事新報』を創刊しています。福沢の方針で「不偏不党の商業新聞」として自立するため、広告収入を重視した本格的な高級紙(クオリティーペーパー)を目指します。こうした経営努力もあって、明治20年代から30年代には、有力な高級紙の一つとして、新聞界で大きな存在感を示すようになりました。

(「高速オフセット」)

 福沢諭吉が目指した「独立自尊」の新聞

このように明治の早い時期に新聞が「そろい踏み」しています。江戸時代に全国に広がった寺子屋や藩校などの教育基盤を背景として、日本には新聞という新しい情報媒体を受け入れる素地が形成されていました。ただ、重要なのは、この新聞文化がその後どのような経緯を経て、現在に至ったのかということです。特に、高級紙と大衆紙という2つの視点から概観したいと思います。

『時事新報』以外の3紙は、その創刊において知識人や元官僚が関わっていますが、彼らは福沢諭吉のような自分の思想(独立自尊・実学)を国民に教育・啓蒙するための新聞という捉え方をしませんでした。当然、それぞれの新聞には独自の政治的主張があり、社会的使命もあると思っていたでしょう。ただ、福沢のように、独立自尊という明確な思想を社会に広めるための手段としての新聞という強い位置付けはなかったと思われます。

新聞本来のあり方を考えると、福沢が掲げた「不偏不党」「独立自尊」という高尚な目標・方針は理想的だと思いますが、実際には当時の新聞の多くは、政府から資金援助を受けたり、自由党や立憲改進党などの政党から資金援助を受けたりして運営がなされていました。経営基盤が不安定であるが故の動きです。しかし、時事新報は完全な独立を掲げたため、政府や政党からの資金援助に依存しない、経営上の独立を目指しました。すべての費用を自前の販売収入と広告収入だけで賄う必要があったため、最初から経営のハードルが極めて高かったのです。

その上、福沢は「多くの国民に実学や国際情勢を届けたい」という善意から、購読料(新聞の代金)を他の主要な大新聞よりも安く設定したため、最初のうちは部数が伸びず赤字も解消されませんでした。また、「不偏不党」というのは、特定の権力や政党に従属せず、自分の判断で意見を述べることです。明治10年代は自由民権運動の全盛期ですが、「不偏不党」を掲げることは、経営上、必ずしも有利に働いたとは限りません。自由民権運動が盛り上がり、政府と政党の対立が激しかった時代に、どちらの陣営にも属さず、独自の立場から論陣を張ることは、固定的な支持層を形成する上で難しさもあったと思われます(慶応大学出版会ウエブサイト、都倉武之「時事新報史」2007)。そして、福沢諭吉というオピニオンリーダーの執筆に頼っていたような新聞でしたので、福沢の死去(1901年)以降、内紛や債務の増大など、さらにそれに追い打ちをかけるように関東大震災による被害などがあり、結局、1936(昭和11)年に『東京日日新聞』に吸収され、創刊以来の独立した新聞としての歴史に、いったん幕を下ろすことになりました。

(「Yahoo!ニュース-Yahoo! JAPAN」)

 新聞の繁栄を支えたビジネスモデルが衰退を招く

日本独特の新聞販売店による宅配網は、効率よく大量の新聞を配るために作られました。そのため、新聞社が生き残るには「一部の知識層に深く届く数万部の新聞」よりも「あらゆる家庭に届く数百万部の新聞」を目指す方が、ビジネスとして圧倒的に有利だったのです。『時事新報』を追い抜いていった朝日、毎日、読売は、「大衆紙の『読みやすさ・面白さ(小説やスポーツ、事件)』と、高級紙の『質の高い政治・経済・国際報道(論説)』を一つの紙面に詰め込む」という、いわば「総合紙(ハイブリッド)型」を目指すようになります。

結果として、イギリスの高級紙が数十万部、大衆紙が数百万部という住み分けをしているのに対し、日本の朝日や読売などの大手や地方紙も含めて、総合紙路線を走っていると言って良いでしょう。ただ、問題なのは、インターネットの普及によってこの路線が国民に見捨てられつつあるのではないかということです。つまり、ネット上には、現象を書き連ねるだけの簡易なニュースが無料で溢れています。テレビ番組欄は今やテレビのコントロールキーを操作すれば簡単に見ることができますし、株価の現在値もインターネットで簡単に検索できます。新聞を開いても、すでに知っている情報や、必要性を感じない情報が増えています。新聞の部数減少には、上記の様な要因やその他の原因があります。しかし、私が最も問題だと考えるのは、新聞そのものが、購読料を支払ってまで読む価値を十分に提供できなくなっているのではないか、ということです。

データを示します。日本新聞協会によれば、新聞の総発行部数は2000年の約5370万部から2025年には約2487万部へと、四半世紀で半分以下に減少しています。これは単なる一時的な不振ではなく、新聞という情報媒体のあり方そのものが問われていることを示しています。ちなみに、2025年の1世帯当たりの発行部数は0.42部です。10世帯のうち6世帯が新聞を取っていない計算です。新聞を読んだことがないという子供がいることが、珍しくない時代なのです。

『時事新報』が目指した「経済と理性を重んじる独立した専門高級紙」というその志や硬派な報道姿勢を、果たして今の商業紙は受け継いでいるのでしょうか。このブログで今まで指摘してきたように、各主要紙の報道を見ると、多くの記事が「今起きている事実(現象面)」を追いかけるニュースバリューの域を出ていません。「なぜそれが起きたのかという歴史的・構造的な深掘り(クマと森林政策の関係など)」や「どのような経済学のパラダイムシフトが起きているのかという理論的分析(アベノミクスと高市政権の経済思想の違いなど)」が決定的に不足しています。もちろん中には、優れた調査報道や専門的な解説も見られます。しかし、日々の紙面全体を眺めると、出来事を伝える記事に比べ、その背景にある歴史的・構造的な問題を掘り下げた記事が十分に提供されているとは思えません。このように、クオリティペーパーとしての要素が極めて少なくなっており、大衆紙路線をひたすら走っているような紙面になってしまっています。これが長期にわたる読者離れを招いていると思っています。

新聞は、単に日々の出来事を伝えるために存在しているのではありません。その出来事がなぜ起きたのか、社会のどこに問題があるのか、そして私たちはこれから何を考えなければいけないのか。そうした問いに向き合い、読者に判断の材料を提供することも、新聞の重要な使命だと思います。かつて福沢諭吉は「独立自尊」「不偏不党」という理念を掲げ、新聞を通じて国民の知的な自立を促そうとしました。時代は大きく変わりましたが、その精神は今日でも失われてはならないものだと思います。インターネットの普及によって、情報そのものの希少価値は大きく低下しました。しかし、情報を読み解き、物事の本質を見極める力の重要性は、むしろ高まっています。新聞に求められているのは、情報の量で競争することではなく、読者に新しい視点を提供し、社会を理解する力を育てることではないでしょうか。新聞が再び国民にとって必要な存在となるためには、その原点に立ち返ることが求められていると思います。

(「Yahoo!ニュース-Yahoo!JAPAN」)

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