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日本古来の「シラス」とは何だったのか ―― 井上毅の統治論を超えて、人間と自然の秩序を考える /「シラス」は人間と自然を包摂する秩序原理

  • 2026年10月29日
  • 歴史
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「シラスという言葉を知っていますか?」

女性

「学校で習ったことはありません。大事な言葉なのに、どうして教えないのかなと思っています」

「中学校の歴史の教科書を調べてみたのですが、1社だけでした」

女性

「その言葉は誰が、どこから探し出したのですか?」

「井上毅が憲法草案を練る中で、『古事記』の出雲神話の中から「シラス(知らす)」と「ウシハク(領く)」の言葉をみつけ、それを国家の統治理論として概念化したのです」

女性

「その考えは、現在はどうなったのですか?」

「帝国憲法の「統治ス」の解釈をめぐって、起草者がそれはシラスという意味を込めたと言っていましたので、それを尊重しようという立場の学説の中で受け継がれています」

女性

「それに対して反対論があるのですよね」

「天皇主権論です。学校では、戦前は天皇主権、戦後は国民主権と習ったのではないかと思います」

女性

「ここからが本論です ↓表紙は「フォトライブラリー」提供です」

 「シラス」という先人の知恵

「シラス」は治ス、知ラスと書くことも可能です。「シラス」は古語の「しる」に由来し、「知る」「治める」という意味を持つ言葉です。井上毅はこの言葉に、君主が国土や人民を私有物として支配する「ウシハク」とは異なる、日本独自の統治理念を見いだしました。「ウシハク」を欧州や中国の君主に見られる「力による私的な領有・支配」とする一方、「シラス」を「君徳による公平・無私の統治」と定義されています(『梧陰存稿』「言霊」篇)。井上は明治20年に伊藤博文に2つの憲法草案を提出していますが、いずれの第一条は「日本帝国ハ万世一系ノ天皇ノ治ス所ナリ」と「シラス」の言葉が使われていたのです。

井上がこのようにこだわったシラスですが、それは『古事記』の出雲神話に由来します。天照大神が治めている葦原中国を自身の子孫が統治すべきと考え、使者を派遣します。幾度かの使者派遣を経て、建御雷神らが大国主神のもとを訪れ、「汝がうしはける葦原中国は、我が御子の知らす国である。汝の考えはいかがか」と大国主神に問う場面があります。出雲神話の中の有名な場面です。

井上が日本の古典に目を向けるきっかけとなったのは、ウィーン大学の法学者であったシュタインのアドバイスが伊藤を通じて井上に送られていたからです――「憲法というものは、単に西洋の進んだ条文をコピーして持ってくれば機能するというものではない。その国の、数百年・数千年にわたる固有の歴史、伝統、宗教、精神に根ざしたものでなければ、ただの紙切れ(死法)になる」(八木秀次『明治憲法の思想』)。これを受けた井上毅は、「日本の歴史や古典の中に、西洋の立憲主義に対抗でき、かつ日本人が納得できる『固有の統治原理』があるはずだ」と考え、日本の古典研究(国学や神話の研究)を始め、ついに「シラス」「ウシハク」という概念を見つけ出したのです。

(「www.izmcci.or.jp」)

 「シラス」は人間と自然を包摂する秩序原理

井上は前項で紹介した『古事記』の一節から、以下のように考えました。「ウシハク」は、力によって私的に土地や人民を支配・領有している状態であり、「シラス」は、公平無私に、民の心を鏡のように映して統治する状態と考えました。言葉の論理の世界では、「シラス」と「ウシハク」は両立するのですが、法論理の世界では困難な場面も出てきます。つまり、「シラス」を天皇自身も従うべき客観的な規範として捉えるならば、一つの問題が生じるからです。明治憲法は第3条で天皇の不可侵性を定め、第4条で天皇が統治権を総攬することを規定していますが、こうした制度の中で天皇の統治権を拘束する上位の規範をどのように位置付けるのか。その関係は必ずしも明確ではありませんでした。私は、ここに井上のシラス論が抱えた法哲学上の問題があると考えています。

そして、シラス概念にこだわった井上でしたが、現実の政局の中で、自らの理念との間に緊張関係を生じさせる行動を取ったのです。井上はキャリア官僚として法案成立を推し進めたい側でした。ところが、自由民権運動の影響もあり、特に初期の議会は、政府と民党(政党)が対立をして、なかなか予算案が議会で採決されませんでした。そんなことから、井上は予算問題で政府と民党が紛糾した際には、詔勅をもって解決を図るという手法を取ったのです。1893(明治26)年の第4回帝国議会では、政府と民党の予算対立を解決するため、1893年2月10日に「和協詔勅」が発せられました。これは、議会政治における対立を天皇の権威によって収拾するという、明治憲法体制の一つの特徴を示す出来事でした。当初、井上はこのような詔勅を出すことには反対だったのですが、第三回の頃から必要性を唱え出し、ついに第四回で「伝家の宝刀」が使われたのでした。

これでは「シラス」とは言えません。ただ、そのことを一番よく分かっていたのは井上自身だったと思います。井上の考えたシラスは、人間界だけを考えた法概念だからそのように行き詰まってしまったのです。「シラスの対象に自然界も含める」という、自然との関係を含めた法哲学的な考察があれば矛盾なくシラスーウシハクは両立します。井上がシラス論を組み立てた動機は、あくまで「近代西洋の法理(主権論・立憲主義)に対して、日本独自の国家統治の正当性をどう説明するか」という、極めて政治的・人間社会限定の法理的課題でした。しかし、日本の伝統的な社会観は自然を「じねん」と呼び、そこに人間も動植物といった自然界をすべて包摂する考えです。シラスとウシハクも、その視点から考える必要があったのです。

日本の伝統的な自然観では、人間は自然界から切り離された存在ではありません。人間もまた、動植物や山川とともに自然の秩序の中に生きる存在です。そうであるならば、シラスもまた、人間社会の統治に限定するのではなく、自然を含めた秩序原理として捉え直すことができるのではないでしょうか。これは井上の解釈をそのまま復元するものではなく、日本の伝統的な思想を現代の法哲学へと発展させようとする試みです。そして、そもそもシラスとウシハクは、互いに否定し合う概念だったのでしょうか。井上は両者を対立的に捉えましたが、私は、両者の関係をもう一度、古代日本の社会観や自然観の中から考え直す必要があると思っています。西洋近代法は、人間を権利義務の主体として位置付け、所有権や契約を中心とする法体系を発展させてきました。その成果は大きいものの、自然そのものをどのように法秩序の中に位置付けるかという課題も残したのです。

(「流れる雲のようにーエキサイトブログ」)

 井上毅の「シラス論」は何を見落としたのか

井上のシラス論に対する西園寺公望の批判的な「書き込み」は、有名な話ですが、それは井上の著書である『梧陰存稿(ごいんそんこう)』への書き込みのことです。梧陰というのは、井上の号です。死後に遺族が井上が書き残した原稿をまとめて出版したので、このような表題になったのです。話を書き込みに戻しますが、それは西園寺が読後に書いたものであり、何か体系的にまとまった文章ではありません。それは一体何を意味していたのかについて、戦後の1949年に宮沢俊儀が「法曹時報」に論文を掲載しています。その中で「井上がしきりに明治憲法に附着する『西洋性』あるいは『舶来性』を無視し、その『日本性』を強調しようとする非科学的な態度を、批判している点は、高く評価されていいと思う。明治憲法がいかにつよくヨーロッパ・アメリカ的憲法の影響を受けていたかは、井上などは、誰よりもよく知っていたはずである」と述べています(「明治憲法の成立とその国際政治的背景」『日本憲政史の研究』岩波書店、1977)。要するに、西園寺は、明治憲法が西洋の憲法思想や制度から強い影響を受けているにもかかわらず、井上が日本固有の統治理念を過度に強調している点を問題視し、批判したと考えられます。

そして、明治憲法の第1条は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定めました。しかし、この「統治」という言葉に、井上毅が重視した「シラス」の精神がどこまで反映されていたのかは、改めて検証する必要があります。井上は日本固有の統治理念を憲法の中に位置付けようとしました。しかし、実際に成立した憲法は、天皇が統治権を総攬するという制度を採用しました。その制度の下で、天皇の権威と政治権力との関係をどのように整理するのかという問題が残されたのです。私は、その問題を考える上で、シラスを単なる統治技術や政治権力の正当化原理としてではなく、人間と自然を包摂する、より根源的な秩序原理として捉え直す必要があると思っています。

井上の功績は、日本の古典の中に独自の統治思想を見いだしたことにあります。しかし、その思想を近代国家の制度に結び付ける過程で、十分に展開できなかった部分もあったのではないでしょうか。私は、そこに現代の私たちが引き継ぐべき課題があると考えています。

(「ACORN」)

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