
「今から2年4カ月前に円安問題をこのブログで扱いましたが、覚えていますか?」

「その時の為替レートはどのくらいだったのですか?」

「156円台になったというニュースが驚きをもって報じられていました」

「ということは、この2年の間に約10円、円安に動いたということですね」

「その時のブログには、円安基調はしばらく続くと書きました。その通りになったということです」

「先行きの見通しはどうですか?」

「介入の効果は、しばらく続くでしょう。しかし、やがては元の円安水準に戻ると考えています」

「どうして、戻ってしまうのですか?」

「日本経済のファンダメンタルがまだまだ弱いからです。そこに根本原因があるので、それを強くする措置を実行しなければ今の円安の流れを変えることは出来ません」

「ここからが本論です ↓表紙は「日経ビジネス」提供です
円安は「経済力」の結果である
外国為替市場のレートは、各国からの資金がそれぞれのルートから市場に押し寄せ、その結果決まるものですが、基本的には各国の経済力や金融政策、市場参加者の将来予想などを反映して形成されます。経済力の強い国の通貨が強くなるのは、ある意味、自然なことです。片山財務大臣は「円の過度な変動や無秩序な動き」(『産経』8.4日付)と表現していましたが、決して無秩序とは思いません。少なくとも現在の円安は、市場参加者が日本経済のファンダメンタルズを評価した結果という側面が強いと考えられます。「失われた30年」を経て、日米の経済力に差が出始めたため、円安の進行として現れているのです。要するに、日米のファンダメンタルズ(経済構造)の違いが引き起こしたものなので、それなりの必然性はあるのです。
2022年9月に今回と同じく円買いドル売り介入をしましたが、それは24年ぶりのことでした。それ以来、現在に至るまで何回か円買いドル売り介入を実施しています。ただ、今回の介入はアメリカの協力の元で行われたという特徴があります。「友情の証」(トランプ大統領)とのことですが、中間選挙を間近に控えて自国製造業の競争力を削ぐドル高を抑えたいという思惑があり、両者の利害が一致したのです。
ところで、1ドル150円台というのは、約35年前の水準です。その頃は冷戦が終わり、グローバル時代の幕開けと言っていた時代です。国境を越えて、自由に資本と労働力、モノとサービスが交換できる時代に入ったと、殆ど手放しでその明るい未来の到来を確信していた頃です。油断大敵とは、よく言ったものです。本来なら、その期間に経済のファンダメンタルを強化するための新たな成長産業を育成する国家戦略を打ち立て、そのシナリオに従って基礎体力を付けなければいけなかったのですが、日本の場合はそこから「失われた30年」の時代に突入するのです。

(「マネクリ-マネックス証券」)
「失われた30年」はなぜ生まれたのか
ところで「失われた30年」はなぜ、起きたのでしょうか。現在の円安を招いたのは、1990年以降の「失われた30年」が原因です。そもそも日本が経済発展をしたのは、戦前に形成された官民協調の仕組みが、戦後も形を変えて継承されたからです。実は、それは戦前に形づくられた、ある意味日本の資本主義育成の手法だったのです。
日本の資本主義は、欧米のように市民社会や民間企業が自然発生的に成長したものではありません。明治政府はまず自ら「富岡製糸場」などの国営工場を作り、それを三井・三菱といった「政商」へ格安で払い下げることで、意図的に民間産業を育成しました。渋沢栄一のように意図的に起業活動をした者も現れました。そしてやがて財閥、銀行、総合商社系列企業が誕生し、国家の目標(富国強兵・殖産興業)と企業の利益を完全に一致させて日本経済を牽引しました。
戦後、GHQによって財閥解体が行われましたが、官民の協調システムは形を変えて生き残りました。むしろ戦時期の国家総動員体制(いわゆる1940年体制)の仕組みが、戦後の高度経済成長期に最も効率よく機能し、短期間で世界第2位の経済大国になったのです。1980年代の日本経済は世界の中で確たる地位を獲得していたと思います。「世界のトップ企業50」の半分以上が日本企業で占められたこともありました。そして起きたのが日本バッシングです。アメリカから「日本の官民癒着や規制は不公平だ」との激しいバッシングを受け、市場開放や規制緩和を迫られるようになったのです(日米構造協議など)。この結果、掲げられたのが「官から民へ」というスローガンでした。政府は規制緩和といった経済環境を整え、後は市場の自由競争に委ねるべきだという考えに基づく政策が採用されました。新古典派経済学の考え方です。この流れは小泉政権の構造改革を経て、アベノミクスにも受け継がれました。デフレ脱却を掲げて、異次元の金融緩和を実施しましたが、経済成長を遂げるという目的を果たすことはありませんでした。イノベーションを起こして需要を喚起し、経済発展を仕掛けることによってデフレ脱却を図るべきだったのです。ちなみに、その反省を踏まえて提示されたのが、サナエノミクスです。

(「www.amazon.co.jp」)
アメリカは国家主導でイノベーションを育てた――アメリカの成長戦略
アメリカは1980年代から1990年代にかけて日本の官民協調型の産業政策を批判しながら、国家がイノベーションを後押しする新しい官民協調モデルを築き、インターネットをはじめとするハイテク産業の育成に大成功を収めたのです。経済学的に言うと、シュンペーター理論と整合的な産業政策の採用です。シュンペーターはこのブログで前に取り上げたことがありますが、経済発展の理論を打ち立てた人です。アメリカの政策当局(特に民主党系の経済学者や大統領経済諮問委員会など)は、自分たちが進めてきたハイテク産業政策が「シュンペーター的」であること、すなわち「破壊的イノベーション」を国家がデザインしていることを認めています。
アメリカの官民一体政策を進めるために作られた法制度が「SBIR制度(中小企業技術革新研究プログラム)」(1982年)と「バイ・ドール法」(1980年)です。前者は、各政府機関(国防総省、エネルギー省、NASAなど)に対し、予算の一定割合を中小・ベンチャー企業の研究開発に使うことを法的に義務付けたものです。中小企業は収益に直接結びつかないような研究に対して躊躇することが多いのですが、そのような初期段階の研究開発に対し、政府が返済不要の補助金を出し、ビジネスとして成立するまで「ゆりかご」の役割を果たしたのです。Qualcomm(クアルコム)など多くのベンチャー企業はSBIR制度の支援を受けて成長しました。またAppleも、政府が長年支援してきた研究開発成果を活用した企業の代表例とされています。
後者の「バイ・ドール法」は提案した両議員の名前を冠した法ですが、「国のカネで開発した特許でも、開発した大学や企業がそのまま持ってビジネスにして良い」としたのです。これにより、スタンフォード大学やマサチューセッツ工科大学などの研究者が、国の予算で開発した技術を持って次々と起業し、それが現在のシリコンバレーのIT産業群に発展したのです。①世界時価総額ランキングの上位を占めるプラットフォーム企業:アップル、アルファベット、メタ、インテル。②ユニコーン・テック企業:エヌビディア、ネットフリックス、テスラ。③現在のトレンドの生成AI企業: オープンAI、アンスロピック。これらの有名企業だけでなく、様々なつながりを持つ数万社のスタートアップ企業がシリコンバレーの狭い地域に密集し、絶えず「新結合」(シュンペーター)を続けているのです。
シュンペーター理論の核心の一つは、「イノベーションを起こした企業が一時的に市場を独占し、巨万の富(超過利潤)を得ることこそが、次のイノベーションの原動力になる」というものです。完全競争市場よりも、独占的利益がある方が企業はリスクを取るという考え方です。アメリカ政府は長年、GoogleやAppleなどの巨大IT企業が市場を独占し、莫大な利益を上げることを事実上容認・保護してきました。これは「イノベーターへの正当な報酬」であり、その利益が次のAIや量子コンピューターへの巨額投資に回るというシュンペーター的な好循環を意識していたためです。日本では独占禁止法が制定されて以来、自由競争を阻む独占は良くないこと、という観念が強いのですが、イノベーションを促進する観点から、巨大企業の市場支配と競争政策とのバランスをどう考えるべきか、改めて議論する時代に入ったのかもしれません。

(「マネックス証券」)
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