
「子供の自殺が増えています」

「ウチの子は自殺するタイプではないので、安心していますけど」

「自殺するタイプというのが、あるのですか?」

「責任感が強く完璧主義の子は危ないと言われています。友達がいなくて、孤立気味の子も危ないと思います」

「その子の持っている資質・特質+その子の置かれた状況の中で自殺が起きるということでしょう」

「日本は高止まりしているのでしょ」

「子供自殺率は、G7の中でトップです」

「アメリカよりも上ですか?」

「アメリカは近年上昇傾向にありますが、それでも日本の方が上です」

「ここからが本論です ↓表紙は「日経ウーマン」提供です」
なぜ日本では子どもの自殺が減らないのか
厚生労働省によると、2025年、大人を含めた全体の自殺者数は統計開始以降初めて2万人を下回ったそうです。ところが、その一方で少子化が進行しているにも関わらず、小中高生の自殺が2年連続で過去最多となりました。10~19歳の自殺死亡率も2016年の人口10万人当たり4.5から、2025年には7.8へ上昇しています。15〜19歳の自殺率は先進国(G7)の中でもトップです。15〜19歳の死因の第1位が「自殺」なのは日本だけですし、減少する兆しがありません。自殺の原因は学校での学習や進路の悩み、家庭状況など、様々あると思いますが、G7各国や他のヨーロッパ諸国と比べても日本の数値はかなり高い上に、高止まりしていますので、構造的な問題が絡んでいる可能性が大きいと思われます。
| 国名 | 15~19歳の自殺死亡率(人口10万対) | 死因における「自殺」の順位 |
| 日本 | 7.8~12.2 | 1位 |
| デンマーク | 約5.9 | 事故などに次ぐ順位 |
| ドイツ | 約4.7 | 20代以降で上位に |
| オランダ | 約3.5 |
(WHO、OECDの統計(2023)などを参考に作成)
こども家庭庁「我が国と諸外国のこどもと若者の意識に関する調査」(令和5年度)
| 日本 | アメリカ | ドイツ | フランス | スウェーデン | |
| あなたが人生で行っていることにどのくらいの価値があるか(点数は平均値/10点満点) | 5.79 | 6.37 | 6.77 | 6.39 | 6.71 |
| 自分自身に満足している | 57.4 | 73.2 | 73.9 | 75.6 | 72.3 |
| 自分には長所がある | 65.6 | 82.6 | 85.2 | 81.2 | 73.1 |
| 自分の国の社会に満足している | 34.6 | 42.3 | 63.1 | 46.5 | 60.0 |
| 自国の将来は明るいか | 23.1 | 49.2 | 61.8 | 55.3 | 61.1 |
| 学校生活に満足しているか | 70.8 | 73.4 | 83.6 | 77.8 | 79.7 |
「自分自身に満足しているか」という問いに対し、欧米の若者の大半が「そう思う(またはどちらかといえばそう思う)」と答えるのに対し、日本の若者は諸外国に比べて自己肯定感が低いという結果が毎回のように出ます。日本の若者は、諸外国と比較して自己肯定感や社会の将来に対する期待が低い傾向を示しています。こうした意識と自殺との間に直接的な因果関係があるとは断定できません。しかし、自分自身の能力や適性を知り、自分なりの生き方を見つける機会が十分に保障されていないことが、過度な競争や同調圧力の下で、子どもたちの生きづらさを強めている可能性は考えられます。小中高生の自殺者は2024年が529人、2025年が538人と、過去最多を更新しています。物質的に豊かなこの国で、少子化が進行している中での自殺者の増大、そこには何らかの原因があるはずなので、それを探ってみたいと思います。
日本の近代教育は誰のためにつくられたのか
日本の近代教育は、1871年の文部省の設置、そして翌年の学制発布によって始まりました。明治政府が全国的な教育制度を整備した背景には、欧米列強に対抗する近代国家の建設という国家的な要請がありました。同時に、個人の立身出世や実用的な知識の習得という理念も掲げられていました。しかし、国家の中央集権化が進むにつれて、教育には国民意識の形成や国家を支える人材の育成という役割が強く求められるようになったのです。
近代国家を作るためには、西洋の技術を学び、近代的な軍隊を組織する必要がありました。そのためには、国民全員が共通の言葉(標準語)を使って共通の教科書で学ぶ必要があると考えたのです。そうすることによって、人工的に「国民」を生み出すことができ、国民としての意識も醸成されると考えたのです。要するに、子供一人ひとりの能力を引き出す教育ではなく、国家にとって有為な人材を生み出すための教育という位置付けだったのです。戦後になって、教育基本法が制定されましたが、その基本的なスタンスは、戦後になっても変わりませんでした。教育勅語から教育基本法に「店の看板」の架け替えは行われ、「個人の尊厳」「その能力に応ずる教育」と謳われたものの、文部省主導の教育行政は戦後も継続される中で、国主導の教育が引き続き行われることになりました。本来は、戦後に掲げられた教育理念に基づいて教育行政が行われるべきだったのですが、それが停滞し、画餅になっているのが現状です。
そのことが分かるのが教育基本法の第一条です。そこに「教育の目的」が謳われています――「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」。同法は2006年に改正されていますが、第一条については、一字一句変えていません。本来は、現代の教育事情に合わせて変えるべき条文だったと思います。何が問題なのか。2つのことを指摘しておきます。1つは、教育の目的を「人格の完成」に置いたことです。「人格の完成」は、人生の最終目標です。長い社会生活を経験する中で、人格が完成されていくものです。学校教育において最初に重視すべきことは、子どもが自分自身の能力や適性を発見し、自分なりの生きる力を身につけることだと思います。人格の完成という遠い目標を掲げるだけでなく、そこへ向かう出発点として「自己発見」を明確に位置付ける必要があるのです。そして2つ目は、「国家の都合」が書かれています。あくまでも教育は子供のために行われなければいけませんが、「国家及び社会の形成者」になるための教育と言っており、子どもの個性の伸長とアイデンティティの確立という観点が欠落しています。
文科省は全国一斉教育の手引き書である「学習指導要領」を作成しています。何をどの学年で教えるかを文科省が決めてしまっています。つまり、国の都合によって内容が定まっているということです。本来は「学習指導要領」ではなく、「教育指導要領」にすべきです。一人ひとりの子供に対してどのような姿勢で臨むのか、子供の能力をどのように見出し、どこを伸ばし、それを将来の進路にどうつなげていくのかということが書かれていなければいけないと思います。子供たちの状況によっては、教える順番を変えたり、異学年混合クラスをつくったりしても構わないのです。学習指導要領にも個性や主体性を尊重する理念は掲げられています。しかし、実際には学年ごとに定められた学習内容を限られた時間内に履修することが優先され、一人ひとりの能力や適性に応じた柔軟な教育が実現するような態勢がとりにくくなっています。

(「NHKニュース-NHK ONE」)
「自分を発見する教育」への転換を
世界には、今の日本が参考にした方が良いと思われる教育を実践している国があります。簡単に紹介したいと思います。
デンマークの教育は、知識の詰め込みではなく「人生のための学び(Learning for Life)」を最優先に掲げています。デンマークの思想の根底には、近代教育の父と呼ばれ牧師であり、教育思想家のN・F・S・グロントヴィが提唱した「生のための学校」という考え方があります。文字や点数に追われる学習は「死んだ学び」であり、人と人が対話し、自分自身の生き方を見つけることこそが「生きた学び」である、という哲学が、国家の教育基盤になっています。
この国のシステムで魅力的だと思ったのは、「エフタースコーレ」という「1年間だけの全寮生活」です。中学を卒業した後、高校にそのまま進学しても良いし、「エフタースコーレ」で親元を離れて同世代の仲間たちとの全寮生活を選択しても良いのです。多くの生徒が約1年間、親元を離れ、仲間との共同生活を経験します。通常の教科学習に加えて、音楽、スポーツ、演劇などの活動にも取り組みながら、自分の興味や適性を探り、将来の進路について考えます。学力の形成だけでなく、人間的な成長や共同生活の経験を重視している点に、日本の教育が学ぶべきものがあると思います。2026年度には、第10学年の生徒の36.2%がこの制度を利用しています。何をするのか。自分を見つめ、友人の意見を聞く中で、アイデンティティを確立して、次の進路を選ぶのです。
デンマーク以外にも、ヨーロッパを中心に「自分を見つめる期間」を公的に保障する制度があります。例えば、イギリスには「ギャップイヤー」と言って、高校卒業から大学入学までの1年間、あえて進学を遅らせて、ボランティアや旅行、インターンシップを行う仕組みがあります。社会に出る前に「自分と社会のつながり」を肌で感じるための期間として定着しています。フランスの「フィロゾフィー(哲学)」教育ですが、高校の最終学年で「哲学」が必修になっています。「私は何者か」「私は自由か」「国家とは何か」といった答えのないテーマについて周りの仲間と議論をして論文を書くのです。アイデンティティの確立のための通過儀礼になっていると思いました。
日本では、テストの点数や偏差値、さらには入試の結果が重視され、そのための学びという捉え方です。他者との比較競争をさせられ、さらに受験のレールに縛られます。近年は強い経済のための「人的資本」ということが言われ始めていますが、魂を吹き込んだ上で知識や技能を身に付けさせなければ人は戦力的な資本にはなりません。人の心は敏感です。自分の存在が認められていないと感じることは、孤立感や生きづらさを深める一因になり得ます。そのように壊れやすい複雑な生き物を育てるという自覚の上に立ちつつ、一人ひとりの子供に視線を合わせた教育システムを考える必要があります。それがひいては、自殺を防ぐための重要な長期的取り組みの一つの方法だと思います。急がば回れという言葉がありますが、促成栽培ではなく、長いスパンそして総合的な観点から子供を育てる必要があるのです。
ちなみに、デンマークの1人当たりのGDPは世界9位、イギリスは20位、フランスは26位、日本は今や韓国にも抜かれて39位です(IMF統計/2025)。教育政策と経済のパフォーマンスは直接には連動しませんが、回り道をしている国の方がパフォーマンスが高いというのは示唆的だと思われます。教育に時間をかけ、一人ひとりの成長を重視することは、決して経済発展と矛盾するものではありません。むしろ、個人の能力や創造性を引き出すことが、長期的には社会全体の活力につながる可能性があるのです。
ところで、教育とは、何のためにあるのでしょうか。国家を支える人材を育てることも、社会に必要な知識や技能を身につけさせることも、教育の重要な役割です。しかし、その前に、一人ひとりの子どもが自分自身を知り、自分なりの生き方を見つけられるようにすることが必要ではないでしょうか。人間には、それぞれ異なる能力や適性があります。それを見つけ、伸ばし、社会との関わりの中で生かしていく。その過程を支えることこそ、教育の原点だと思います。
子どもの自殺が増え続けている現実は、日本社会に重い問いかけをしています。もちろん、自殺の原因を教育制度だけに求めることはできません。医療や福祉、家庭や地域社会による支援も欠かせません。しかし、子どもたちが長い時間を過ごす学校教育のあり方を、根本から問い直す必要があることも確かでしょう。
国家のために子どもを育てるのではないし、単なる学歴目当ての教育も間違っていると思います。子どもたちが自分自身の人生を生きられる力をつけてあげる。その結果として、社会が豊かになり、国家も強くなる。教育の目的を考えるとき、私たちはこの順序を忘れてはならないと思います。

(「Instagram」)
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