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『古事記』に隠された陰陽の法則 ——— 陰陽の原理と「硤合(そあい)反応」 / 古代神話と現代科学を結ぶもの

「硤合憲三(そあいけんぞう)氏がノーベル化学賞を受賞しました。東京理科大学で30年以上にわたって研究を続けて「硤合反応」を発見したのです」

女性

「素晴らしいことですよね」

「ノーベル賞をとった人の多くが海外での研究活動の成果による場合が多いのですが、彼の場合は、日本の大学の自由な研究環境から生まれた独自の研究の成果と言って良いと思います」

女性

「ノーベル賞をとったことは知っているのですが、どういう内容なのか、簡単に説明してもらえますか」

「内容については、本論で説明したいと思いますけど、なぜ、今回のノーベル賞に注目しているのかというと、古来の「陰陽の原理」を科学的に証明したと思っているからです」

女性

「硤合氏は、右手と左手という比喩を使って説明していたと思います」

「まさに、陰陽のかたちです。陰と陽とは、「ほんの少しだけ違う」という意味なのです」

女性

「ほんの少しの違いが重要なのでしょ」

「そうです。大きく違っていると、反応はしません。人間はメス猿に恋をしません。大きく違っているからです。男と女、部分的な違いだけです」

女性

「だから魅かれ合うということですね。ここからが本論です ↓表紙は「隠岐ジオパーク」提供です」

 偶然から必然へ――硤合反応が明らかにした自然界の仕組み

物質を構成する分子の中には、右手と左手のように、互いに鏡に映した関係にありながら、重ね合わせることのできない構造を持つものがあります。そのことは、19世紀(1848年)にフランスの科学者ルイ・パスツールによって発見されています。今から約180年前のことです。では、硤合氏が成し遂げた本当の「世界初の発見」とは何だったのでしょうか。

新聞記事を参考にしての説明ですが、最初はごくわずかしかない左右の分子の量の差が、最終的には左右の分子量の差を極大化させるということです(下図参照)。「不斉自己触媒(ふせいじこしょくばい)反応」と言っています。要するに、左右のほんのわずかの違いから始まって、自律的にどちらか一方だけがドミノ現象のように爆発的に増えていく仕組みを発見し、それが「硤合(そあい)反応」と名付けられたのです。

2つに1つ、左右どちらの分子が優勢になるのか、その出発点には、偶然のゆらぎが関与する場合があります。しかし、いったんわずかな偏りが生まれると、自己触媒反応によってその偏りが増幅されていきます。偶然に生じた小さな違いが、一定の化学法則に従って大きな結果を生み出すのです。

(「朝日新聞」)

 『古事記』の造化三神が語る宇宙創生の原理

以上のことは『古事記』の世界観と奇妙に合致しています――冒頭で「造化三神」が現れます。アメノミナカヌシ神、タカミムスヒノカミ神、カミムスヒノカミ神です。これらの神の登場は、どういう意味でしょうか。「造化」とありますので、すべてを創造する元の神が誕生したと言っています。キリスト教的な一神教の創造観とは異なり、『古事記』では、宇宙の始まりに複数の神が現れます。私は、この三柱の神のうち、タカミムスヒとカミムスヒの二神に、世界を生成する相補的な働きが象徴されていると考えています。そして、興味深いのは、『古事記』においてこの三神は「みな独神(ひとり神)と成りて、身を隠したまひき」と書かれている点です。男女のペアとして交わるのではなく、自律的に現れて、姿を消した(世界そのものの仕組みに溶け込んだ)というのです。

私はアメノミナカヌシを宇宙の根源的な存在と捉えています。この神は、宇宙の根本、すべての中心であり、まだ右も左も、陰も陽もない「カオス(混沌)」を象徴しています。タカミムスヒとカミムスヒを、そこから展開する相補的な二つの働き、すなわち陽と陰の象徴として読み解いています。『古事記』では、現れてすぐいなくなったと言っていますが、消滅したと解釈する必要はありません。高次元空間に移動したと思っています。「タカミムスヒノカミ」と「カミムスヒノカミ」は、「タ」があるかないかの違いです。ほんのわずかの違いを言い表そうとしています。要するに、陽と陰を表しています。「イザナギ」「イザナミ」も同じです。これも陽と陰を表しています。硤合氏に言わせれば、右手と左手の型ということになるでしょう。

「タカミムスヒノカミ」と「カミムスヒノカミ」は「別天神(ことあまつかみ)」なので、別次元に存在するというのが私の解釈です。そして、その別次元の法則がこの世界にも貫かれる瞬間がやってきます。「クニノトコタチノ神」と「トヨクモノ神」がこの地上世界に現れます、その後に次々と男女の神が生まれます――「ツノグイノ神」「イクグイノ神」、「オオトノジノ神」「オオトノベノ神」そして最後に「イザナギ」「イザナミ」の二神が生まれます。「神世七代(かみよのななよ)」と言っているように、七世代の神が生まれます。私は、独神から対をなす神々への展開に、未分化な世界から陰陽の働きが現れる世界の発展過程と捉えています。

「イザナギ」「イザナミ」が現れて天の御柱(みはしら)を回る場面があります。『古事記』の中では有名な場面です。『古事記』については数多くの研究書や解説書が出版されていますが、イザナギ・イザナミの会話やヒルコの誕生を、陰陽による世界生成の原理として体系的に読み解いたものは、私の知る限りありません。『古事記』は、日本はどのような国で、どのように治め、天皇はどのような存在なのかについて書かれた書ですが、この「イザナギ」「イザナミ」の意味と2人の会話、そして「ヒルコ」を間違えて解釈しているため、何も正確に読み解けていません。私が2024年に出した『古事記と日本のかたち』(幻冬舎)をぜひ読んで頂きたいと思っています。

(「日本神話・神社まとめ」)

 イザナギ・イザナミが教える陰陽の法則――なぜ「順番」が重要なのか

「イザナギ」が天の御柱を「左から」回ります。これで「イザナギ」が「陽」を意味していることが分かる仕掛けになっています。「イザナミ」はその逆なので「陰」を表しています。この二神の働きによって多くのものが生成されるのですが、陰陽、つまり右手と左手の型がある神様が次々と生まれます――「アワナギノ神」「アワナミノ神」、「ツラナギノ神」「ツラナミノ神」、「アメノミクマリノ神」「クニノミクマリノ神」等。これはビッグバン直後に様々な元素が生まれたことを神の名を語って言っている場面だと思います。もちろん、元素そのものに右手型と左手型があるわけではありません。しかし、分子の世界には鏡像関係にある構造が存在します。『古事記』に繰り返し登場する対の神々を、そうした自然界の二面性と重ねて考えることもできるのではないでしょうか。『

「イザナギ」「イザナミ」の会話があります。「私の出っ張った部分とあなたのくぼんだ部分を合わせて国を生もう」とイザナギが言います。これを性交によって国を生んだとそのまま書いている本が多いのですが、これは陰陽の反応によって様々なモノが生まれると言っているのです。『古事記』は天武天皇が直々に作成に関わったと言われている重要な公文書です。その成立事情を踏まえれば、単なる神話集としてではなく、国家や統治のあり方を伝える書として読み解く視点も必要だと思います。そのことを踏まえて解釈する必要があるのです。

そして次に「ヒルコ」を使って、陰陽についての注意を促す場面を『古事記』は用意します。イザナミが先に声を掛けて生まれた子が「ヒルコ」(失敗)でした。これは陰陽の原理について述べている場面ですが、「どちらが先に動くか(声を掛けるか)で結果がすべて決まる」という神話のロジックは、化学の世界、特に硤合反応(不斉自己触媒)の初期プロセスと驚くほどシンクロしています。「陽」を優先しろと言っているのです。「陰」を先に考えると失敗すると言っているのです。現代の生命科学では、DNAを構成する糖には主としてD型が、タンパク質を構成するアミノ酸には主としてL型が用いられています。生命がなぜこのような立体構造の選択性を持つようになったのかは、生命の起源を考えるうえで重要な問題です。私は、こうした自然界の選択性と、『古事記』が描く陰陽の働きとの間に、思想的な共通性を感じています。

ここで重要なのは、陰と陽という二つの存在そのものではなく、その二つがどのように働くのかという問題です。陰と陽が存在するだけでは、何も生まれません。両者が一定の関係を持ち、作用することによって初めて新しいものが生成されます。私は、『古事記』が描こうとしたものは、単なる神々の系譜ではなく、こうした生成の仕組みだったのではないかと考えています。

(「神社・寺院検索」)

古代の直感と現代科学――『古事記』から読み解く自然界の秩序

そして、やがてイザナミは亡くなります。その後の記述に「硤合反応」を示唆していると思われるような場面が出てきます。陽と陰のうち、陽のイザナギが残ったのです。そして、イザナギが剣により火の神の首を斬りつけ、その血から次々と神が誕生します――「イワサクノ神」「ネサクノ神」「イワツツノオノ神」等。血が岩に飛び散り、そこからも神が誕生します。さらに斬った火の神の頭や胸、腹からも神が次々と生まれたのです。まさにこの場面は、「硤合反応」のドミノ現象を言っている場面と言えなくもありません。

このように東洋思想の「陰陽」というフィルターを通して硤合反応を見ることによって、数式や化学式だけでは見落としがちな「自然界の対称性の破れと、美的な秩序の誕生」を直感的に理解することができます。古代の日本人が直感的に言語化した「宇宙創生のロードマップ」は、現代の化学者がフラスコの中で目撃した「分子が自ら意志を持ったかのように片方の利き手を選び、増殖していくダイナミズム」と、驚くほど美しい一本の線で繋がっているように思えてなりません。

『古事記』の編纂者たちが、最先端の分子生物学を知る由もありません。しかし彼らは、自然界を深く観察し、瞑想的な直感を通じて、「この世界が混沌から秩序ある生命へと進化するためには、単に陰と陽が存在するだけでなく、そこには厳格な「順番(生成を始動させる契機)」と「螺旋の調和」が必要であるという宇宙の暗号をかなり正確にキャッチしていたように思えます。

『古事記』は、単に神々の誕生や活動を伝える神話集ではありません。そこには、世界はどのように生まれ、どのような原理によって秩序を形成していくのかという、古代人の根源的な問いが込められているように思います。現代科学は、物質の構造を解き明かし、生命の仕組みに迫ろうとしています。一方、古代人は、自然界のさまざまな現象を観察し、そこに働く目に見えない原理を、神々の物語として表現しようとしたのではないでしょうか。

もちろん、神話と科学は異なるものです。しかし、世界の成り立ちを理解しようとする人間の知的な営みという点では、両者は決して無縁ではありません。科学の進歩によって、古代の神話が新たな意味を持って読み直されることがあります。そして、古代の世界観を知ることによって、現代科学が解き明かそうとしている問題の奥深さに、改めて気付かされることもあります。古代の知恵を現代の知識によって読み直し、現代の知識を古代の知恵によって問い直す。 そこに、二千年近い時を隔てた『古事記』と現代科学を結び付ける意義があるのではないでしょうか。ちなみに、アインシュタインが心酔していたのは、古代ギリシアの思想家で原子論を説いたデモクリトスだったと言われています。何千年も前の天才の直感が何らかの刺激を与えたことは間違いないと思います。

『古事記』を陰陽の原理という視点から読み解いてみた上で、それを現代に引き付けて読んでみて下さい。新たな発見があるかもしれません。ただ、『古事記』は字面だけ追いかけても何も分からない書です。リンゴが落ちる現象を何度観察しても法則性がつかめないのと同じです。手引書が必要です。どうぞ、私の書を一度お読みになって、それから『古事記』を改めて読むようにしてみて下さい。

(「幻冬舎ルネッサンス」)

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