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偏差値で人生を決める国 ―― 大学入試と新卒一括採用が、若者の主体性を奪っている / 学校が「点取りマシーン養成所」になっている

「前回のブログで私大の学校数の問題について話題にしました」

女性

「行政レベルでそのような対立があるとは知りませんでした」

「財務省と文科省、どちらの考えに近いですか?」

女性

「私の子どもたちのことを考えれば、大学を減らして欲しくはないし、AI時代に800校もの大学が本当に必要なのかと言われれば、いらないのかなと思ってしまいます。正直、迷うところです。ところで、大学進学率はどの位ですか」

「大学進学率は58.6%、短大進学率が2.7%で合わせて約60%です(令和7年学校基本調査による)」

女性

「他の国、例えばG7各国と比べて、この数字は高いのでしょうか? 低いのでしょうか?」

「4年制大学のみの進学率だけを見ると、平均的な数値です」

女性

「就職率も98%なので、今の大学の数は実情に合っていると言えるのかもしれません。むしろ私は、高等教育や大学教育での中身の教育が大事だと思っています」

「実は、それが一番重要でしょうね。日本の大学は入るのは大変ですが、出るのは簡単になっています」

女性

「そのために進路変更ができにくくなっています。そこが一番問題なのではないかと思います」

「成る程、例えば、アメリカやフランスなどは、入学のハードルを低くして多くの人にチャンスを与えます。その代わり、入った後に必死で勉強しなければ進級・卒業できない仕組みになっています」

女性

「自分の好きな勉強なら必死で頑張ると思いますし、本来、大学というのはそういう場所だと思います」

「日本の場合は、入った瞬間から勉強をしなくなると言いますからね」

女性

「ここからが本論です ↓表紙は「創英ゼミナール」提供です」

 日本の大学は文科省によってコントロールされている

日本の大学に入るのは難しい一方で、卒業するのは比較的容易だと言われています。その結果、中退率が世界的に見て非常に低いのが特徴です。国公立大学が1%台、私立大学は2.9%、短大が約4%です。これに対して、イタリアは約55%、アメリカは40~47%、フランスでも40~50%という具合です。G7の中で比較的低いのがイギリスですが、それでも15~16%です。

なぜこのような違いが生まれるのでしょうか。日本は入学試験を厳しくしているからです。欧米の考え方は、大学は学問をする場なので、何をどこで学ぶのかを決める主体はあくまでも学生であるという考え方が強くあります。大学は「選ぶ側」であると同時に「選ばれる側」でもあるので、ハードルを低くして多くの人にチャンスを与えようと考えます。その代わり、入学後に真剣に勉強しなければ進級・卒業できない仕組みになっています。そのため、必然的に中退率が上がるということです。

これに対して日本の場合は、入った瞬間に学生は「お客さん」になります。どういうことか。実際の学生数に応じて、私学助成金の金額が決まりますので、中退によって減員が多く出れば、助成金が減額される事態が生じますし、大学の設置者に対して、大学教育についての改善要請が出されることもあります。そのため、大学側は中途退学をしないように、様々な対応策・工夫をするようになるのです。それ自体は悪いことではありません。中央集権国家・日本の一省庁である文科省によって強く、かつ一律的に教育行政がコントロールされる構造になっているのです。

(「日本経済新聞」)

 「新卒一括採用」が学生の方向転換を難しくしている

もちろん、そのような状況でも中退をする学生はいます。文部科学省の調査によると、中退理由で1番多いのが「転学・進路変更」です(22.3%)。2番目が「学生生活不適応・修学意欲低下」です(16.3%)。「大学の授業がイメージと違った」「友達やコミュニティに馴染めなかった」というミスマッチが原因と思われるものです。

中退や転学を考え始める時期ですが、「1年生から2年生にかけての早い段階」で検討し始める学生が約8割を占めています。入学直後であれば、まだ入試に対応する学力が残っていますので、方向転換が可能だと思うからでしょう。ところが、日本は「新卒一括採用」の文化が根強いため、方向転換が上手くいかなかった場合のリスクは大きなものになります。家族もせっかく入ったのだから中途退学するのは勿体ないと思うでしょう。

実は、この「新卒一括採用」の文化は戦前の帝国大学(官僚採用システム)および明治期の財閥系企業(民間)の採用慣行から来ています。初期の東京帝国大学(現・東京大学)の卒業生は、国家試験を受けなくても自動的に官僚になれる特権を持っていました。その後特権が廃止され、全員が秋の「高等文官試験」を受けるルールに変わりましたが(1893年~)、優秀な東大生を囲い込むため、7月の卒業と同時に下級官吏として内定を出し、11月の本試験まで勉強休暇を与えるようなことを行ったのです。

さらに明治後期になると、三菱や三井といった巨大財閥が将来の管理職候補として、大卒者の定期採用を始めたのです。当時は大学が少なく、大卒者はエリートでした。企業は、特定の専門スキル(即戦力)を求めるのではなく、「地頭が良く、自社のカラーに染めやすい若者」を毎年一定数まとめて採用し、社内で育成するスタイルを確立していきました。これが現在まで引き継がれているのですが、あくまでも採用側本位のものとして定着しました。

現代は学生の個性や能力に合わせて大学の在り方や採用の仕組みを考える時代です。それにも関わらず、未だに学生を主体にした大学入試システム、採用システムがつくられていません。そこに大きな問題があるのです。

(「日経ビジネス」)

 偏差値で人生を決める入試制度の不健全さ

欧州の国公立大学の多くは、日本のような「大学ごとの個別の一般入試」がありません。例えばフランスでは、高校卒業国家資格である「バカロレア」を取得すれば、原則として国内のどの国公立大学にも進学できる権利が法的に保障されています。ドイツでは、一部の専攻学部を除いて「アビトゥア」という大学入学資格を持っていれば、基本的にはどの大学にも応募できます。このように「学びたい人に広く門戸を開く」国では、入口の定員を厳しく絞るのではなく、「1〜2年生の進級試験を猛烈に難しくして、ついていけない学生をふるい落とす」ことで、最終的な適正人数(卒業生数)をコントロールしているのです。

それが本来の大学入試のあるべき姿だと思います。大学とは、何を学びたいのかを基準にして選ぶ場所だからです。ところが日本の受験生は自分を見つめるのではなく、偏差値を見つめて願書を出しています。そして、入った大学・学部を見てから自分の勉強したいことをその中から見つけて、卒業後の進路は就活の中で決めれば良いと考えるようになっています。すべてが受け身的に物事を処理するシステムになっています。

考え方が完全に逆転しています。まず、自分の個性・特性に合った生き方を見い出す中でアイデンティティを確立し、その上で何を大学で学ぶのかが決まります。その上で願書を出す手続きに入るものだと思います。

ところが、日本の入試システムは、戦前以来の選抜構造を充分に総括・反省することなく、現在まで続いています。偏差値によって若者の進路を振り分け、大学を学問の場ではなく、就職への通過点にしてしまっています。そのため、すべての教育課程において点数・偏差値によってほぼ機械的に人間を割り振るような仕組みになっています学校は単なる「点取りマシーン養成所」になっているため、不登校・ひきこもりが増える遠因となっています。教育的に極めて不健全な状態が改善されないまま現在に至っているのです。

(「キャリア教育ラボーマイナビ」)

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