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『東大出てもバカはバカ』(豊田有恒著) ―—「バカ」の意味と原因を探りながら、現代の教育の問題点を探る

  • 2021年1月1日
  • 2021年1月1日
  • 教育論
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「アフリカのある国の諺だそうですが、『子どもを一人育てるためには、一つの村が必要』という諺を知っていますか?」

女性

「いえ、初めて聞きました。多くの人が関わらなければいけないということでしょうか?」

「半分合っていますが、半分間違っています」

女性

「どこが間違っているのでしょうか?」

「ニュアンスの違いなんですが、一人の人間として育てるためには、多くの人たちとのコミュニケーションの輪の中に入れて育てる必要があるという捉え方が正着だと思います」

女性

「具体的には、どういう人たちが関われば良いですか?」

「友達というのは実は自然に出来るし、それはそれで大事なのですが、大事なのは縦軸の人間関係です」

女性

「縦軸なので、親子関係、先輩・後輩の間柄、上司・部下の間柄、こんなところですかね」

「後は、顧客との関係、趣味の仲間同士の関係ですかね」

女性

「そう言われれば、私はそこで苦労したことがあります。友人関係は気の合った者同士なので、一緒に旅行や食事をしたり、愚痴をこぼす相手になっています」

「そのように、実社会に出ると、縦関係で苦労することが多いのです」

女性

「家族関係は、縦関係ですよね」

「家族は、完全な縦関係ではないでしょ」

女性

「そうですね、特別な人間関係ですよね」

「あなたは今、さらっと「特別」という言葉を使ったのですが、そのように思わない人もいますからね」

女性

「虐待したり、性の対象として考える人もいますからね」

「そういうのが増えているのは、地域の崩壊と関連があるのではないかと思っているのです」

女性

「エビデンスが欲しいところですね。ここからが本論です ↓」

 教育とは、勉強を教え人間を育てること――後者の視点が欠落している

教育というのは、2つの意味があり、教科的な知識を教え、そういう中で人間としての素養や素質を育てるということですが、現代において前者だけしか考えない教育者、更には学校、家庭が増えています。これは一体、どういうことなのかなと思っていますが、子育てが「孤育て」となってしまっていて、我流の子育てが蔓延していることの結果ではないかと思っています。

「よく遊び よく学べ」。昔の人がよく言っていた言葉です。最近、余り聞かれなくなりました。この言葉の意義は、「学べ」よりも先に「遊び」が入っていることです。ここで人間教育の重要性を説いているのです

 この「遊び」というのは広い意味での「遊び」です。あらゆる年齢層との関わりが必要ということです。「遊び」というと、同年齢だけの子供集団を思い浮かべるかもしれませんが、そういった「横のベクトル」にプラスして、「縦のベクトル」が重要なのです。2つのベクトルの中で育まれることにより、人間は社会的動物として育っていくのです。

つまり、人間は社会生活を営むために様々な知識や技能が必要です。それにプラスしてどの場面でどのような態度をとり、どのような言葉を使うかということが大事なのです。それらがバランスよく習得されていることが、大事です。昔は「頭でっかち」と言ったりしたのですが、確かに多くのことは知っていて、成績も優秀なのですが、バランスが悪い人がいます。「遊び」が足りないのだと思っています。自動車のハンドルと同じで、遊びがないと、言っていることを周りは受け留めず、常に人と衝突するだけの人生になってしまいます。

 「縦ベクトル」の人間関係が重要

かつての時代は、地域に異年齢集団があり、ガキ大将が地域の子供たちの面倒を見ていました。そして、そこに各家庭や地域の大人が関わるという構図があったのですが、それが殆ど崩壊していますので、それを意識的に学校現場で再現する作業が必要なのです。

例えば、「総合学習の時間」を使って、小学6年生が小学1年生を、小中一貫校の場合は、中学3年生が小学1年生の子供の遊び相手をしてあげるということをさせます。

そういったことを高校生に「人間関係づくり体験学習」として地元の保育園とタイアップして行っているところがあります。40人の高校1年生が事前に遊び方を含めて講習を受け、0歳児と4.5歳児の2クラスに分かれて、一人ひとりペアを組んで遊んだり、食事の世話をしたりします。合計5回、保育園に通って最後は「お別れ会」をして終了というプログラムです。

この実践は沖縄県の高校の話ですが、ある大学の医学部では、大学1年生で小児科志望の学生に対して、やはり地元の保育園との交流授業を行っているところもあります。

「会ったばかりの頃は泣かれっぱなしで途方に暮れた。でも回を重ねるごとに個性が分かってきた」「子どもは好きじゃないと思っていたけど、転んで泣いたりした子を抱っこしたりあやしているうちに、自分の中にある違う自分に出会えた感じがした」といった感想を書いています。

こういった何気ない縦関係の交流が、教育学的には極めて重要なのです。幼い子たちにとって大人ではない、お兄さん、お姉さんに遊んでもらって楽しかったという体験を味わうことが出来ますし、高校生たちは頼られるうちに、それが自己肯定感に繋がっていきます。青年期はコンプレックスを持ちがちです。だから、少しのことで自殺を考えたりする揺れ動く世代なのですが、小さな子から一瞬でも頼られた、喜ばれたという体験が自分を見つめ,自信を持つきっかけになったりするのです

 学校統廃合は地域の人間関係を破壊する

文科省は学校統廃合をすすめる理由として、子供の成長、発達にとって多様な子供集団が必要という理屈を持ち出しますが、実は「横ベクトル」はそれほど多様性は必要ないのです。多様性が必要なのは「縦ベクトル」なのです。

どういうことか。例えば、自分の過去を振り返れば分かると思いますが、30人、40人とクラスメートがいても実際に友達は3,4人だったと思います。同世代とは、本当に気が合った人間以外とは付き合わないものなのです。

そして、学校教育では「横ベクトル」の人間関係しか体験しないのですが、実際の社会では、実はほとんどが「縦ベクトル」の人間関係ばかりなのです。そういった「練習」を余りすることなく、実社会に飛び込ませているのが現実なのです。器用に上手く立ち回れる人もいますが、戸惑う人も実際にいますし、職場の人間関係で悩む場合は殆どすべてが「縦ベクトル」の人間関係なのです。

学校統廃合によって、地域にある「縦ベクトル」を破壊しておきながら、周りから子供をかき集めて「一斉一律教育」をしています日本の公教育がよくなるはずがありません。少しお金があって、子供の将来を考える人が、私立を選ぶのはそういう考えに賛同できないところから来ていると思うのですが、本来はおかしなことなのです。

 点数は取っても、バランスの悪い人間がいる

『東大出てもバカはバカ』(豊田有恒著、飛鳥新書、2020年)という本が昨年の9月に出されました。東大に入るにはそれ相当の学力が必要なので、バカでは合格できないのに変な題名だなと思った人がいるかもしれません。

ここで筆者が言わんとしているバカというのは、世間知らずの人間、バランスの悪い人間という意味なのです。本当は、登場人物の成育歴が分かれば、教育学的に貴重な資料となるのですが、その辺りは書かれていません。

東大合格者の中には、少ないかもしれませんが、高校生活を堪能してある程度余裕をもって合格する人もいれば、脇目を振らずにすべてを犠牲にして勉強一筋、「東大一直線」という人もいるでしょう

一番怖いのは,後者のようなタイプの人間が政治家になったり、会社の上司になったりすることです。東大卒という自信を胸に、間違ったことを堂々と言ったり行ったりするからです。そして、机上の学問しかしていないので、周りの空気を読んで自分自身を軌道修正することができない。ほとんどピエロなのですが、最後の最後まで気が付きません。本人も不幸ですが、周りはさらに不幸ということです。東大教養学部を無くせという意見がありますが、日本のためにもそれが良いと思います。

この本の中で紹介されている人は多分、そういった類の方だと思いますが、この中で「ルーピー鳩山由紀夫」として紹介されていますが、彼が史上最強ではないかと思います。その他に、米山隆一(元新潟県知事)、古賀茂明(元通産省官僚)といった名前が出ています。彼らは最近よくインターネットでコメンティターとして登場しますが、いつも自信をもって偏った意見しか言わない人たちです。支持されるどころか、常に反発されています。

彼らがどのようにして育てられたのか、周りの証言とともに、向学のため知りたいと思っています

読んでいただき、ありがとうございました。

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