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さらば、社会主義、共産主義 / 人類の歴史と共に歩んだ「自由競争市場」は半永久的に存続する


「資本論、マルクスの名前を再びよく聞くようになってきました。単行本や全集を出版するなどの動きがありました」

女性

「社会や経済に混乱の兆しがあるからでしょうか?」

「ただ、マルクスの願いは達成されたので、墓の下では『もう、いいよ』と言っているかもしれませんね」

女性

「彼の願いはユダヤ国家の建国でしたものね」

「1947年にイスラエル共和国が、祖国の地に建国できましたからね」

女性

「マルクスの理論が建国に役に立ったのですか?」

「直接の影響はなかったと思います。そういう見解も今まで聞いたことがありません」

女性

「冷戦が終わり、祖国建国に実際に影響を与えることはなかった。なのに、マルクスが今でも持ち出されるのは、どうしてでしょうか?」

「冷戦終結と言いますが、アジアの極東地域ではまだ冷戦構造が続いていると見た方が良いと思います」

女性

「中国そして北朝鮮ですか?」

「両国は一党独裁国家ですし、中国はマルクス・レーニン主義をまだ言っています」

女性

「ここからが本論です ↓」

 資本主義という概念を広めたマルクス

マルクスと言えば、社会主義、共産主義という言葉を思い浮かべる人が多いと思いますが、彼は社会主義、共産主義という概念を明らかにするために、資本主義という概念をまず広めます。白が分かれば黒が分かるし、「明るい」が分かれば「暗い」が分かります。対照的なものとして提示したのです

資本主義体制下では、資本と生産手段の私的所有が認められている。ただ、それを認めることによって搾取が行われ、経済格差も広がると説いたのです。そうなれば、資本を持つ者と持たざる者との間に格差が広がり、そういった不満の高まりが、やがて階級闘争を呼び起こすことになるだろうと説いたのです。

そのことの解決策として革命を説きます。そのようにして、資本主義の欠点を指摘しつつ、その対案として持ち出してきたのが、社会主義、共産主義という概念だったのです社会主義、共産主義下では資本と生産手段は原則的に公有となり、「持つ者・持たざる者」の格差は無くなり、真に平等な世界となるだろうと主張したのです。

こういったマルクスの理論に対して、世界の学者たちはどのような反応を示したのか。P.F.ドラッガーは「19世紀末の思想家のほとんどすべてが、資本主義社会には階級闘争が不可避であるとするマルクスの見方に同意していた。事実1910年には、ヨーロッパ、そして日本の思想家のほとんどが、社会主義的な傾向をもっていた」(『ポスト資本主義社会』ダイヤモンド社、2007年)と言います。


ただ、マルクスの革命理論の前提である資本主義社会を、彼が言うように、ある特定の時代に立ち現れたシステムであり、社会主義、共産主義の対抗概念であることを認めてしまうと、彼の術中にはまることになります。資本主義の悪しき点は、社会主義社会の中ですべて解消されると思い込むようになるからです。

 

 マルクスがユダヤ人であったことは、彼の理論を考える上で重要なファクターになる

ユダヤ人は亡国の民です。祖国を追われて約2000年、とにかく自分たちの祖国を再建したいという思いで民族としての団結を図ってきた人たちです。その思いは、マルクスも同じです。マルクスはもともと大学の研究者になりたかったのです。学問的な才能を祖国再建のために何とか生かせないか、そんなことを考えたと思います。

アプローチの仕方としては2つあると思います。1つは、ユダヤ人国家の再建を国際世論として形成されるような理論を編み出すことです。2つ目は、動乱が起きれば、国の枠組みが変化する可能性が高くなります。人間は知的な動物なので、彼らが正しいと思うような論理を構築すれば良いのではと考えるようになっていったのだと思います

なぜ、それが分かるのかと言えば、最初に『共産党宣言』というアドバルーンを彼が30歳の時に上げています。彼は、その後「資本主義経済」の研究に入っていますので、社会主義、共産主義社会については、研究の集大成として辿り着いた概念ではないことが分かります。

ここに一冊の書があります。モルデカイ・モーゼが書いた『あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい』の中で、「これ程までに多大の影響を戦後日本に及ぼしたマルクス主義とは一体、如何なるものなのか。日本の皆さんは、虚構論理というものを信じられるだろうか。それは一見学問体系の如き体裁を整えているが、事実は真っ赤な虚構論理であるというものである。世界には、大変手の込んだ虚構論理というものが存在するのである。それがマルクス主義なのである」(158ページ)としています。

モルデカイ・モーゼは1907年生まれのユダヤ人ですが、彼の生涯は亡命に次ぐ亡命でした。最後は1941年に米国に亡命し、ルーズベルト大統領のブレーンとして活躍します。戦後十数回来日をしています。

 

 自由競争市場に支えられた資本主義は、半永久的に生き延びる

資本主義は歴史の中で登場しましたが、資本主義の核心部分を構成するのが市場経済です。「アメリカのオーソドックスな経済学には、実は資本主義という概念はほとんどありません。めったに資本主義という言葉は使いません。市場経済なのです。あるいは市場経済という概念なのです」(佐伯啓思『さらば、資本主義』新潮新書、2015年/185ページ)


「資本」の具体的中身は、土地、資金、工場、機械設備といったところでしょう。これらは、規格品を大量生産する場合において必要なものです。イギリスの産業革命が18世紀から始まっていますので、その頃の状況を言い表そうとした言葉であることは確かです。

資本主義経済の核心部分は市場経済ですが、市場経済というのは、人類が知的生活をし始めた頃からすでに成立をしています。その規模はともかくとして、余剰物を貨幣で交換できる市場が歴史的に成立します。そこでの価格は、需要と供給という2つのベクトルによって動きます。自由競争市場は、人類の叡智が生み出したシステムとも言えるのです

だから、自由競争市場は、人類の歴史と共に歩んできましたので、これが無くなることはないでしょう。つい最近、北朝鮮が庶民の間に自然発生的に生まれた自由市場を権力的に閉鎖の措置をとりました。このように、自由市場を無くそうとすると経済は混乱をし始めると思います。実際に、ソ連は社会主義経済ということで、自由市場を敵対視しました。結果は、ご承知の通りです。

資本主義経済が自由競争市場によって支えられている限りは、その資本主義経済は機能するでしょう。資本主義経済というのはシステムなので、例えば国家や中央銀行の介入の度合を変えることがあるでしょう。ただ、自由競争市場がその核心部分において機能している限り、そのシステムは大丈夫と言えます

だから一番怖いのは、過度な経済分野への干渉・介入です。そういう観点から最近の日本の金融界を見ると、日本銀行の介入の度合いが過度になっています。これについては、どこかで書きたいと思いますが、経済は「生き物」なので、過度な統制を嫌うのです

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